第15話 【ノーシス】 速さ・重さ・鋼

 ケインは疾走する。


 夕暮れ。青々とした草原を割るようにして、小道がある。ケインが通り過ぎる度に、背の高い草木が揺れて騒めく。


 自分の全ての力を、愛馬に注ぎ込む。そうすると、自分の力は抜けていくが、馬はその力強く、大地を蹴り上げてくれる。答えてくれている、という実感があった。


 自分の限界を超えている事は分かる。全ての力を、馬に注ぎ込んでいるのが、どれほど持つかは分からない。


 斥候スキルの一つを使い、馬にバフを行い続ける。

 これ程のスピードで長時間疾走した事はなかった。ケインも意識が薄れていくのを感じる。


 ケインは、朦朧とする頭で、現世の事を思い出していた。


 夜の高速をバイクで走るのが好きだった。夜のパーキングエリアで、一人食事をしたり、気ままに走り、観光し、帰ってくるような休日を過ごしていた。それが自分の趣味だったのかもしれない。


 ノーシスでも、そうなればいい、と思った。馬で走り、知らない場所に行き、人に出会いたい。


 よく後ろに、沙織を乗せていたな、と思った。

 今は居ない。それが、とても寂しく感じた。様々な思い出を振り返る。


 デート、一緒の生活、どれも楽しかった。普通の生活だったが、それが、とてもよかった。名前に縛られない普通の家庭を持てた、それが彼の一つの幸せの条件だった。


 意識が混濁する。嫌な事、楽しい事、様々な事を思い出す。


 薄暗い森を抜ける。風が、大気が壁のように彼を押し付ける。葉が揺れ、彼の通った後に舞い散る。


 それから、ノーシスに来て、沢山の人に出会った。師匠(ハツメ)、バンさん、ロッドさん、それから、リーケちゃん。


――リーケちゃん。


 握る手綱に力が入る。少し、意識がはっきりする。


 彼女のために、燃え尽きてでも走らなければならない。


 数十分前の事だった。


 昼、曇天で重々しい空気。そして、湿った空気の森は、夕闇よりも陰鬱とした雰囲気を作り出していた。


 NPCの行商人の一家の護衛をリーケとしている時だった。


 NPCの男性が馬車の御者をしており、馬車内では女性NPCとその子供。そして、リーケがいた。ケインは、自らの愛馬で並走している。


 ケインの警戒スキルを搔い潜り、野盗のプレイヤー4人が現れた。馬が驚き、馬車が止まった。すぐさま、リーケが馬車を包むように結界を張る。


 ケインは、一人のプレイヤーと剣を交えたが、リーケが叫んだ。


「助けを呼んできて!!」


 ケインは、困惑した。どうしてよいのか、分からない。ここで、3人の敵プレイヤーを相手に出来るほどの実力はない事は自覚していた。リーケは、回復と結界担当であり、攻撃魔法は無い。


 ここから、助けを呼びに行って、全力を振り絞れば30分で街にたどり着くだろう。全力、いや、命がけで。馬にバフをかけるスキルがある。スキルの使用には、精神力を使う。使い続ければ、意識を失い、やがては死ぬ。死は免れたとしても、もしかしたら記憶障害が起きるかもしれない。


 そのスキルを使い、精神が消えて無くなるまで疾走すれば。


 リーケの結界なら、時間が稼げる。しかし、女性一人置いて逃げられるものか……。


「早く!!行け!!」


 リーケらしからぬ怒声を浴び、それでも戸惑い続けているケイン。


「……大丈夫だから。お願い」


 その表情で、ようやく、ケインは馬を進ませた。その時に、敵プレイヤーを弾き飛ばす。防具に守られ、それほどのダメージにはならないだろうが、ケインは気でも失ってくれる事を祈った。


 ケインは、振り返らず必死に走らせた。その顔は、真っ青を通り越して、土気色に近かった。泣きそうな表情になりながらも、歯を食いしばり、馬を走らせる。


 その速さは、彼と馬の限界を超えていた。


 結界魔法は数々の用途がある。敵の侵入の防衛、攻撃魔法の防御、物理攻撃の防御、と守りに徹した魔法である。前衛職でも、その有用性からスキルを習得する事が多い。基本であり、使用頻度も高い、


 たまたま、リーケの師と言える人が結界魔法を得意としていた。熱狂的結界魔法万能説を唱えていた彼女の師は、リーケに結界術のスキル上げを執拗に行わせた。その結果、彼女の固有スキルが発現した。


 彼女固有のスキル『メタルコア』は彼女の結界を、鉄壁を超え、鋼の壁に変える。


 その分、精神力の消費が激しく、結界が広ければ、より消費は激しくなる。


 MCで精神力回復アイテムを使ったとしても、どれほど持つか……リーケは、計算する。死ぬつもりで、1時間弱。MCのアイテムは、連続して使用はできない。3回程使用できる。


 敵プレイヤー3人は、リーケが必死に耐えているのを楽しんでいる。コンコン、と剣で結界を叩いて挑発し、下卑た笑みを浮かべている。


 きっ、と彼女は、その3人を睨んで見せるが、敵プレイヤー達はふざけて見せるだけだった。


 リーケは深呼吸する。そして、現世で好きだった曲の歌詞を思い出す。何度と歌っていた思い出の曲だった。


『I will spread this pain until the end comes. I will sink you into chaos until lose your sanity (終わりが訪れるまで、この苦痛を撒き散らす。正気を失うまで、混沌に沈める……』と、リーケは呟き始めた。


 NPC達は、そのリーケの声色と表情に、怯え始めた。小声ではあったが、おおよそ、彼女のイメージに合わないデスボイスに近い声だったからだ。NPCの文化にデスボイスは無い。


 可愛らしい表情が豹変している。鬼の形相、唇は吊り上がり、瞳は妖しく、異様な輝きで溢れている。


 NPC達は、恐れ戦き、新しい魔法か何かの効果を待った。敵プレイヤー達は、余裕と侮辱に満ちた顔が、一変。それほどに、真に迫るものがあり、その声も雰囲気を作っていた。


 現世で、リーケが熱狂的にファンだったエリスキューショナーというメタルバンドの歌詞の一節である。


 ロッドチーム、可愛い担当リーケ。


 彼女は生粋のメタラーであり、デスメタルやメタルコアを愛している。メタルのメロディーに身を任せている時、彼女の心は解放される。そして、驚異的な集中力を発揮する。


 何かの異変を感じ取り、敵プレイヤー達は結界に向かって攻撃するが、武器は弾かれ、魔法は阻まれて消えてしまう。


 敵プレイヤー達の形相も、必死になりつつある。時間が掛かれば、救助が来る。そうすれば、命のやり取りになる。この一方的な状況も変わる。そして、夕闇が近づいている。夜では、プレイヤーだけではなく、モンスターとも戦わなければならない。


 リーケは、心の中で、『失せろ、mother fxxker!!』と絶叫していた。


 プレイヤー達を睨みつけ、視線でお前達もこれで終わりだ、と訴える。その迫力に怖気づいたのか、一人が逃げると、それに続いて2人が逃げる。森の闇の中へと消えていく。


 意識が途切れそうになる瞬間、リーケは探知魔法を使い、敵が隠れていないかを確認した。敵が逃げた事が確認できると、安心し、倒れてしまった。


――よかった……。


 リーケが、ゆっくりと倒れる瞬間、人差し指と小指を立て、腕を上げた。が、NPC達には、それが何なのか分からなかった。


 NPC達は、倒れた彼女を馬車内へ運び、怯える馬を宥め、必死に馬を走らせた。命がけで守ってくれた恩人を、街に帰そうとした。敵プレイヤーが出てくるのでは、という恐怖と戦い、必死に馬を走らせる。


 その途中で、彼等は、リーケの名を呼ぶプレイヤーと出会った。ハツメだった。ケインの命がけの疾走は届いていた。





「で、スキルが発現したって?」

 ハツメは、ベッドに座り、ケインに尋ねた。


 未だ頭痛と吐気で、世界がグルグル回るかのような感覚がするケイン。平衡感覚もなく、意識も途絶えがちだ。そして、無気力。やる気も起きず、そのやる気が起きない自分に苛立ち、不安になる。そして、ロイーザとアバドの夢ばかり見てしまう。鬱っぽくなってしまう。


 これ、現世でもあったな……と、ぼんやり思った。なるほど、精神力切れで鬱になるのは現世でも同じ、せいんしりょくだいじ、と混乱したりした。


 スキルや魔法によって、精神力を限界まで使う、という事がどういう事か、イヤと言うほどにケインは思い知った。


 あれから、四日が経った。ケインは二日、寝ていた。後の2日間は、ぼんやりしていた。たまに紘一から教えてもらった瞑想を取り入れると、多少回復が早い気がするる。


 ゼン!!と言って興奮するハツメに教えてやったりした。たまにチームの面々がやってくる。今日もハツメがやってきた。


「ホースメンっていう、ちょっと地味な感じです。自分のステータスに合わせて、馬にバフを常時かけるみたいです。精神力も使わないので、非常に便利ですが」


 ケインの固有スキル『ホースメン』は、自身の能力の一部が愛馬の能力にプラスされる。馬でなければならず、騎乗が出来るモンスターでは、能力の対象外らしい。


「まー、能力って、ノーシスで生活してみないと良し悪し分からないけど、一度だけ、能力って変更できるの知っている?」


「知らないです……」


「ステータスから、能力、そこの名称の横に変更があるの。変更にすると、空欄が出てくるから、そこに自分の希望する能力を頭で念じると文章書けるから、書いて申請。申請して、承認されると変更される。バランスが崩れるような能力は却下されるし、判断が難しいものは承認まで時間がかかるよ。当たり障りのない能力でも、一か月ぐらい掛かるかな。あと、承認されると、レベルが減る」


「レベルが……」


 それはすごく嫌だな、と思った。このレベルの経験値は、モンスターだけでなくね敵とはいえプレイヤーの分も入っている。それが消える、というのは、自分の一部を消すような感覚に思えた。まさしく、"経験"を消す行為だと。


「あらかじめ、消費するレベルを記載しておくと、通りやすくなる、という話もあるよ」


「その能力の許可って、どこでやっているんですか?」


「あー、噂では、ノーシスの会社にスキルの承認を出す部署があるとか、ないとか」

「変なとこで現実的ですね」


「そーねー……」


「……変更はしないでおきます。結構、好きなので」


 あの気を失うぐらいに疾走している感覚は、少しだけ気分が良かった。いつかは、こういうピンチ時ではなく、何もないときに走りたい、と思っていた。


 命がけで走ってくれた馬にも愛着がある。非常に地味なスキルではあるが、やれるところまでやってみようと思っていた。


 この選択が、後々の彼の危機どころか、世界の危機を救う事になる。


「そっか。いいと思うよ。最初の固有スキルって、自身の色々なものが反映されているから、自分に合っているのよね。きっと、何かの役に立つよ」


 ハツメは、そう言った。そして、立ち上がり、「また来るね」と言って出ていった。


 その後、リーケがやってきた。


「結局、逃げただけで何も役に立たなかったね……」

 ケインはぽつりと言った。


「そんなことないですよ!!助けがくるって分かったから、敵は逃げたんですよ!!」

 ケインのネガティブな発言を強く否定するリーケ。


 リーケは、ベッド横のテーブルに花瓶と花を置いた。リーケの方がレベルが高いため、回復力も高い。リーケも、ケインと同じような状況であったが、2日間で、普段と変わらない生活に戻っている。


「こんなになるまで……」

と、リーケは目を潤ませながら、ケインを見つめる。

 が、すぐに視線を逸らす。ケインも、さっと、視線をそらした。


 ドアの向こうで、聞き耳を立てているハツメは、この二人の仲が進展した事を理解した。





 エーベルソという街の、ローカスト拠点の一室。

 豪華な黒壇の、気品あるデスクに、一人の男が座っていた。革張りの安楽椅子。手入れが良いのか、革は漆黒に輝き、座っている男性を柔らかく押し上げる。


 神経質そうな痩身を革製の衣服が纏う。眼鏡、短い髪、そして、鋭く細い瞳が、その神経質なイメージを高めている。


 衣服のトライバルのような細工が目を引き、それが戦闘用ではない事を示している。


 そして、筆記用具、デスクに敷かれたレース、花瓶……デスクの上の調度品もそれぞれ細かく鮮やかな装飾が施され、非常に高価なものだと分かる。


 書類を読みながら、女性を待たせていた。女性は動かずに、男性が女類を捲るのを見ている。


 男性と比べて、女性の方はチェーンメイルの上にコートを羽織っている。身動きするごとに、じゃらり、と金属が擦れる。曲刀を腰に下げ、勇ましい姿をしていた。長髪の赤毛、睨むかのような瞳は気の強そうな印象を受ける。堀が深く、険がある顔立ちをしていた。


「で、ダンジョンへのNPCの集まりの悪さは、サスデスのミレミアム支部が原因と?」

 男は、静かに言う。責め立てている印象はなかった。


「はい」

 凛とした女性の返事が室内に響く。


 予定30人。現在、13人。半分に満たない。


「ダンジョン制圧と発掘も、サスデスでの計画も大幅に遅れています」

 前線ではないサスデスには、ミレミアムの強いパーティーは配置されない、とローカストは踏んでいた。が、ミレミアムは難民の保護とサスデスを重視したようだった。

 サスデスにNPCを集めさせ、奪う、という計画が大幅に遅れている。


 困りましたねぇ、と男性は呟いた。


 計画が遅れているのが困るわけではない。ローカストの存続意義によるものだ。


 ローカスト、蝗害を意味するこのギルドでは奪う事を何よりも重視している。NPCを、土地を、経験値を、様々なモノを奪い、蝗達の欲を満たす事で成り立っている。本能のまま食い散らかし、荒廃させる蝗達。


 それが満たせない、となると崩壊するのがローカストだ。プレイヤーの優性論と差別主義、そういった根強い思想が根底にある。その思想を元に、勢いによって一大勢力になってしまっただけだ。ただの盗賊ギルドにすぎない、と男は知っている。


 遅れは、どうでもいい。奪えない、は困る。


 男は、書類をデスクに落として、背もたれに身体を預ける。


 女は懇願にも近い言葉で、男に言った。

「障害を取り除かない限りは、不可能です。お力をお貸しください、ナムシ様」


「そのようですね……では、働きますか」

 ナムシと言う男は、イヤそうに言う割には、顔は楽しそうである。


 ナムシは書類に手を伸ばして、読み始めた。

 ゆっくりと時間が過ぎるが、女性は忍耐強く待つ。女性は、このナムシという男を崇拝していた。一緒にいる、力を貸してもらえるだけで感無量だった。たまたま、エーベルソにナムシが滞在していたから、幸運だった。


 この男、ナムシが、第四次戦争のローカスト勝利の立役者である。


 ミレミアムで内部分裂があった。

 武闘派と呼ばれる派閥が、ローカストの捕虜に対して凌辱と拷問を行い、一人が処刑された(短編)。これに、激怒した武闘派が離脱。武闘派だけでなく、ローカストを憎悪する者達が一緒になって離れていった。


 この内部分裂を、画策したのはナムシだった。


 ミレミアム側の憎悪を煽る為に、幾つもの凄惨な事件を起こさせた。激怒したミレミアムは、攻勢に出た。多くの被害が、両ギルドに発生する。そして、ミレミアムの一部が、憎悪とローカスト側の挑発によって、凌辱等の事件を起こす。彼は、ミレミアムが武闘派を処罰しなければならない所まで追い込んだ。


 一人が処罰されれば、後は簡単だった。

 武闘派は、処罰を不服とし、ギルドを離れていった。他の物も処罰を恐れ、不安を煽れば簡単に離反した。内通者を使い、説得、脅迫、金、あらゆる手によって。


 こうして序盤の劣勢で多くの捕虜を出してしまったローカストは、自らのギルドの捕虜が凌辱、虐待されている状況を利用し、ミレミアムの正義を試した。その正義に合わない者を炙り出し、その結果、ミレミアムは二つに割れ、戦力が落ちる。


 その後の戦いに勝つのは簡単だった。


 まず、離反した武闘派を叩く。ローカストは、彼等が仲間を凌辱し惨殺した事実を知っており、士気が高い。


 分断し、各個撃破という基本。

 この戦争により、ナムシは幹部になった。


 ナムシ自体はレベルも低く、しかも、固有能力も発現していない、との噂もある。戦闘しているところは、誰も見たことがない。安楽椅子で指示をするだけである。


 そんな、ナムシを崇拝するファラという女性。


「ロッド班ですか……。守護神ロッド……。今のパーティーメンバーは、と……」

 爆撃機バン。くのいちハツメ。リーケという魔法使い。新人の騎士。初心者ながら、町々を移動した記録に、ふふっ、と口元を綻ばせた。変な奴。


 ナムシは、デスクの横にあるボードゲームを自分の正面に置いた。


 歩、金、銀……将棋であったが、ファラには、これが何なのかは分からない。

 桂馬、飛車、角行、金、王を盤面に置く。それを動かしながら、長考に入る。


「この班について、もう少し詳細な情報を集めてきてください」


「は、はいっ」

 時間が過ぎて、ダレてしまっていたファラは、声をかけられて、慌てて姿勢を正した。


「あとは……」

 歩の山を、ナムシは作っていく。


「ローカストのプレイヤーを沢山。弱く、できれば素行不良で邪魔になりそうな人達。あとは、NPCを、5人前後で5組用意してください」


「分かりました」


「あとは、準備完了後に指示します」

 ファラは、頭を深々と下げて、部屋を後にする。


 ナムシが、必要と言うのだから、全てに意味がある。すぐに、ローカストのプレイヤーの選定をしなければならない。頼まれた事を頭に浮かべる。誰に、何を任せるか、人選が始まった。


 興奮に似た高ぶりを感じながら、ファラは廊下を進む。ミレミアムの偽善者共を、潰すチャンスなのだ。

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