第9話 【ノーシス】蝗害
一か月後。
フィルフィールズという街は、かつてティアティサル・ローカストに対抗していたギルド・ミレミアムの拠点があった街だった。
ミレミアムに守れ、活気があり、盛んに人々が行き交う。NPC達は安心して商売をし、プレイヤー達は仕事を行い、NPCを守る。
平和な街だった。が……。
フィルフィールズ中央議院と市場に作られた処刑場。
女は首輪を引っ張られ、議院の地下倉庫を改造して作られた地下牢を出た。
日の光が眩しい。これが最後の光だ、と思うと、毎日見ていた日光ですら感動する。
手首を手錠で拘束され、足首にも鎖が繋がれている。首に巻かれた鉄製の首輪、その冷たさは、もう感じない。犬、猫でも、もう少しマシな扱いをするだろう。
足首の拘束具と鎖の為、歩幅は短い。そのうえ、力もなく、よろよろ、と進む。遅すぎれば、首輪を引っ張られる。
議院の廊下を歩く。
立派な扉とバリケードの名残をくぐると中央公園が広がる。そこに粗末な処刑台があった。公園内には、昔ギルドが管理していたダンジョンがある。その一部が、今はNPC達の牢屋となっている。
議院地下牢に残ったプレイヤー達の悲哀、もしくは憤怒に顔が、頭から離れない。
死んでからも、このような地獄が待っている、とは知らなかった。いや、死んだから地獄に居るのか。
――ああ、神よ……。
と、現世で、毎日祈りを捧げた神に祈る。このノーシスに、現世の神が存在するかは分からないが。神が存在するから、ノーシスは存在するのか。神が存在しないから、ノーシスのような世界が存在するのか。
何度と考えた疑問は、ついに答えにたどり着くことは無かった。
ただ、誰かが、ここはGが無い世界だ、と言った。G?GOD?GLORY?Gが無いとは何だったのか。
元日本人が「Gって日本では、害虫の事を言うんだよ」と笑い話にしていた。そんな頃が懐かしい。その日本人プレイヤーは生きているだろうか。そのせいで、その後の話や、誰が言ったか忘れてしまった。
――これが本当の死後の世界ならば、私は地獄に落ちたことなる。それとも、これが死後の裁きだろうか。
そんなはずはない、と彼女は思う。罪人は奴等で、私であるはずがない。
女は、粗末な台の上に座らされた。顔を上げた。その場の、ありとあらゆる全て、を睨みつけた。
「ミレミアムが、最後の一人になろうと!!必ず、お前たちを滅ぼしてやる」
女は吠えた。絶叫した。小さな体に満ちる全ての憎悪を吐き出すように、ありとあらゆる全て、に怒鳴りつける。
ニタニタ、と下卑た笑いを浮かべるクズどもに、呪いをかけるようだった。
そのセリフを十分楽しむかのように処刑人は時間をかける。
女は歯を食いしばる。涙が床を濡らす。
親しくしてくれたNPCを思う。彼等は元気だろうか。ちゃんと逃げる事が出来ただろうか。自分のPTメンバーを思う。先に死んでいった者、そして、自分の後に処刑される者……。最後に浮かんだのは、ノーシスで妹のように可愛がっていたリーケという女の子の事だった。
――リーケちゃんが……生き残れますように……。
女の最後の祈り、だった。
首に衝撃が走る。一瞬の、気が触れるかのような激痛の後、すぐに何も感じなくなった。女の意識は、闇の、すでに闇とも思えない場所を漂い、消えた。
ノーシスのNPCは、ノーシスの謎の一つである。
ノーシスが公表されてから12年が経った。しかしながら、12歳以上のNPCが存在し、各地に歴史もある。
ノーシスを、ゲームではなく異世界だと唱える人の有力な証拠が、12年以上前からノーシスは存在した、という説だった。これは歳や歴史は設定ではないのか、という反論も存在している。
もちろん、これが設定だ、という人々が大多数である――現世では。
ノーシスにいる人間は、そうは思わない。12年前から、この場所は存在し、NPC達は生活を営んでいたのだ、と思い込む。生活と触れ合いが、そう思わせる。そして、プレイヤー達は同じ人間としてNPCを扱うようになる。
一部の人間を除いて。
当初から、NPCはプレイヤーに劣る存在である、という認識が根強い。ステータス、装備品、スキル、と、プレイヤーのほうが優位ではある。一部の人間は、この劣るからこそ、何をしても良い、という思想を作り出した。
初期プレイヤーの一部は、そのスキル、武器を用いて、街を襲い、戦利品を集める。戦利品は、NPCも含む。NPCはプレイヤーの奴隷である、プレイヤーは全てを許された強き者だという思想により、いくつものギルドが出来た。
現世の人間の中には、こういったギルドで好き勝手する為に、自らノーシスに行く者すら出始めていた。多くの国で規制が進んではいるが、日本はノーシスへの規制が緩い。
NPCの男は、ノーシス内に点在するダンジョンに放り込まれるか、採掘場や農奴、様々な過酷な労働が待つ。NPCの女も、性奴隷や男性と同じ末路が待っている。
大多数のNPCは、プレイヤーを深く、根強く憎悪した。
ミハエルは、プレイヤーを恨むな、と教えられてきた。
両親は、プレイヤーに命を助けられた経験があったそうだ。最後の最後まで、その思想を変える事はなかった。プレイヤーに殺されても、なお。
ミハエルは、プレイヤーは消えるべきだ、と思っていた。
NPCを守ってくれる人達もいるが、やつらもプレイヤーには違いない。そして、同じプレイヤー同士で戦っている。プレイヤーというのは殺し合いが好きなのだろう、と思う。もっと、殺し合っていなくなればいいのに、と願っていた。
NPCは祈る相手も持たず、信仰すべき神もいない。昔は、ノーシスに住む人々は1柱を盛んに信仰していた。法則神である。
この世界の神は、3人いる。
創造神にして、現魔王。
法則神。
破壊神。
この3柱が、ノーシスの神だという神話がある。
プレイヤーをなんとかしてくれそうなのは魔王である創造神。しかし、生粋の変人との噂があり、現状、何もしていない。この世界を荒廃させると言われている魔王だから、かもしれない。この世界は魔王ではなく、プレイヤーによって荒廃している。
法則神は、信仰しても何もご利益が無い。
破壊神は存在するかも怪しい。
この世界のNPCに権利はなく、祈る神もない。
ミハエルは、洞窟の、穴に鉄格子を嵌めただけの粗末な牢屋に一人でいた。
中は暗く、自分の指を見るのが精いっぱいだった。通路にも、どこにも明かりは無い。暗闇で不安と恐怖で精神的に追い詰める。そして、逃げるにも何も見えないようにしているのだった。
おかしくなり始めたNPC達の声が洞窟内に反響している。泣き声、絶叫、怨嗟の呟き、苦痛の呻き……ミハエルは両耳を押さえつけた。が、脳裏にこびりついて離れない。
自分の精神もどれほど持つのだろう、と思うと怖かった。ここにいると狂ってしまう。
――全て、プレイヤーが悪い。NPCをゴミのように扱う、プレイヤーという存在が悪い。全てプレイヤーが悪い。プレイヤーは滅んでしまえ。ノーシスから出ていけ。
心の中で叫ぶ。願う。
その時、声が聞こえた。耳を塞いでいたのだ、幻聴のはずだ、とミハエルは思った。が、確かに聞こえたのだ。
――ミレミアムが、最後の一人になろうと!!必ず、お前たちを滅ぼしてやる!!
その、憎悪に満ちた絶叫は、ミハエルの心を照らした。プレイヤーの言葉であったが、その激情に深く、深く共鳴した。
こんなプレイヤーがいれば、いつかは誰かが、ローカストを一掃してくれるかもしれない。そう思える希望の叫びだった。プレイヤーへの憎悪よりも、それは強かった。
耳障りの悪い音を立てて、扉が開く。通路に日の光が差し込む。
「あー、ヤッた、ヤッた。ヤッた後は女だわ」
「違いないな。ノーシス最高」
と、下卑た声を上げて男2人が入ってくる。一人は松明を持っている。
一人は短い白髪、透明な宝石のようなものが入ったブレスレットをしていた。金細工が特徴的で複雑な文様をしていた。それが、松明の光を帯びて輝いて見える。
もう一人は黒髪長身。額と頬に大きな傷がある。大きなダメージを負うと、傷が残る事がある。治すこともできるが、稀にこの男のように傷を残している場合がある。
ミハエルは、この二人の姿を覚えた。今は、それぐらいしかできないが、この二人は必ず殺してやる、と誓った。
「いやぁっ……痛い……やめ……」
牢屋から一人の女性が引きずり出される女性。フィルフィールズの市場で何度か見かけた事があった顔だった。あの時には、奇麗に着飾っていたが、今では見る影もない。
連れていかれ、扉をくぐるころには抵抗も、何もしなかった。
扉がしまり、光が途絶える。陰湿な空気に取り残される。また、悲痛な声で洞窟内が満たされた。
ミハエルは、もう一度、あの絶叫を思い出していた。
――ミレミアムが、最後の一人になろうと!!必ず、お前たちを滅ぼしてやる!!
何度も、何度も、いつまでも頭の中で繰り返す。
ギルド『ミレミアム』は、ティアティサル・エリアと呼ばれる地域で生まれた。
ティアティサルは、王国の都市区域の一つであり、昔からティアティサル・ローカストというギルド機能を悪用した人身売買組織が支配している。
ローカストによってPTメンバーを殺された者、友人や家族となったNPCを捕らえられた者等、ローカストに恨みを持つ者によって構成されている。第4次掃討戦で、ローカストに最大の被害を与えたのが、このギルドである。
第4次掃討戦では、ミレミアムを含むギルト連合、そして、ローカストの互いに多大な被害を出し、連合側がティアティサルを奪還した。しかし、散り散りになったローカストのメンバーが再度集い、ティアティサル・エリアを再度、支配した。結果、第4次掃討戦はギルド側の敗北、と言っても過言ではなかった。
その際、ミレミアムの多くのメンバーが捕らえられ、凄惨を極める事となる。人身売買、処刑、凌辱、弾圧、破壊が日常となった。その影響は、ティアティサルを中心に広まりつつある。ミレミアムの拠点の一つであったフィルフィールズ陥落の知らせは、残りのミレミアムメンバーを絶望に叩き込んだ。
ローカストの支配する地域では、プレイヤーの屠殺場が出来、NPC奴隷市が開催される。ローカストのメンバーである事、もしくは客である事が、安全の保障の為、多くのプレイヤーがローカストに参加、その饗宴を楽しんだ。
今や、支配区域の全てを食い尽くすかのように被害が広がっていた。その様子は、まさしく蝗害そのものだった。そして、ローカストの支配区域は広がり続ける。
処刑された女プレイヤーの絶叫は、その場にいた多くの処刑を待つプレイヤー、NPCの胸に届いた。一つの呪い、願いであった。
――最後の一人になろうと。
この言葉は、どこからか伝わり、ミレミアムの誓いへと変わっていくのである。
多くのプレイヤー達は、自分の命が、この醜悪な敵組織を肥えさせてしまう事を恥じていた。自由を奪われ、凌辱され、ただ相手の養分となる恥辱。
その恥辱を雪ぐ誰かを待ち望んでいた。
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