第6話 【ノーシス】推し

 火に照らされ、アバドの顔の陰影が揺れる。


 青年、と言える歳のようだったが、その表情には、幼さ、すら感じさせる。


 美しく、中性的。大きな瞳が人懐っこそうで、特にその童顔を引き立てている。それに似合わない体躯。細見だが、力強さもある。ゴブリンを一人で相手にできるほどなのだ。


 ロイーザが初めて見る高レベルのプレイヤーがアバドだった。


 アバドは、木の枝を焚火に放り込む。パチリ、と爆ぜる。

「寝てなよ。大変だったろ?」

 無邪気に笑うアバド。明るく、そして、温かいようにロイーザには感じる。声も子供のように高い。


「貴方は?」


「起きているよ」


 その意味が、初心者のロイーザにも分かる。ロイーザを守る為に、一晩明かすつもりなのだ。


 寝てな、という言葉が、とても心を穏やかにさせた。裏切られた苛立ちも、死の恐怖も、一人でいる孤独感も、その言葉に溶けるかのようだった。アバドは、強さも、言葉も、対応も、全てが優しかった。


 1人で逃げた馬鹿とは大違いだ。


 健也も、ピンチの時には必ず一緒に居てくれたなぁ、と現世の事を思いながら、ロイーザはアバドに甘える事にした。


 身体も重ければ、心も重い。その重力に沈むかのように、深く眠りに落ちていった。ただ、ノーシスに来て一番、静かな眠りだった。

 


――健也は話をしっかり、と聞いてくれる人だった。

 会社で困ったことがあると、必ず話を聞いてくれて、動いてくれた。

 お世話になっているお礼にプレゼントを渡すと、数日後の私の誕生日にプレゼントをくれた。

 その後、少しずつ一緒にいる時間が長くなり、数回のデートの後に付き合う事になった。

 刺激は少なかったけれど、その分、私は安定していった。不安や疑問、苛立ち、自己嫌悪、そんな若い頃の問題を、彼の存在が全て解決した。一人の男性が、不安を与えないだけで、これほど心は穏やかになるものなのか、と思った。

 彼と私に対して、良くない噂が社内で流れた時、私は自分の幼さを自覚した。そして、自己嫌悪の正体を知った。

 自分は変わらなければならない。この平穏を守り、嫌いだった自分、若い頃の自分に戻らない為に。

 自分が嫌いだったのは、幼い過去の自分で、地味で目立たない自分ではなかった。それを、彼の存在は教えてくれた。

 愛する人と一緒に居たい。その為なら、なんだってする。

 夢は、彼に、最初のプレゼントの財布を渡す場面だった。

 あれから、私と健也の人生が始まった。それが、終わってしまった。




 翌日、アバドに宿屋へと送ってもらった。


 彼は黒い馬にまたがり、後ろにロイーザを乗せた。


 ロイーザは、乗馬が初めてで、しかも、命を助けてくれた美少年?に抱きついている。まるで、姫のようだ、とロイーザは思った。アニメやアミューズメントパークで幼い頃憧れ、そして、歳をとるにつれて醒めていった、あのお姫様に自分がなっているのだ。自然に心臓の音も、大きく、早くなる。


 アバドは顔立ちが幼いように思えるため、騎士というよりかは王子のようだった。


 馬はのんびり、と森の小道を進む。揺れはするが、一定のリズムで心地よさも感じる。樹木から零れる日差しも柔らかい。たまに、他のプレイヤーや、馬車に乗ったNPCとすれ違う。


 プレイヤーは、それほど装備が整っていないので、初心者の一行だろう、とロイーザには分かった。


 アバドと比べると装備の質がまったく違うのだ。アバドは鎧、武器、そして、馬。その馬にまで鎧を装備しているのだ。


 馬が揺れる度、アバドの武器が鳴る。鎖の擦れる金属音が鳴っている。


 アバドの武器は、フレイルだった。

 棒の両端に鎖が付き、片方は短く、片方は長い。そして、長い方には鉄球が付いている。鉄球は星のような、刺が付いている。いわゆる、モーニングスターという武器だった。それを巻いて腰に付けている。


 未だ、ロイーザは身体が痛く、腕も足も重い。寝たら、多少は良くなったが、それでも全快とは程遠いようだった。揺れると心地も良いが、節々が軋む。痛みなど、こんなリアルでなくてもいいんじゃないか、と思う。


 宿に着き、部屋へ向かい、ロイーザは装備品を外し、ベッドに寝かせられた。


「知らない人についていかないほうがいいね」


 布団を丁寧にかけながら、アバドは言う。


「――はい」

 まるで子供のような扱いだった。

(子供のような男性に子供扱いされている……。)

 ロイーザは、布団を顔までかぶった。アバドのあどけない表情、この顔で言われるのが恥ずかしい。羞恥心に、藻掻きたくなるような心境だった。


「ここは初心者ぐらいしかいない、辺境の街だからね。逃げた男も、似たようなもんだったのさ」


 そうだったのか!!と思うと、苛立ち、そして、怒りに震える。身体が熱くなり、表情が、感情が歪む。あいつも似たようなものだったのか……。アバドさんが居なかったら、二度目の死だった。


「アバドさんは、何故、夜の森に?」


「レベル上げ。夜のほうが上げやすいからね」

 そういう強いプレイヤーなんだ、と素直に関心する。


「あの……助けてくれて……ありがとうございました。あの時、アバドさんがいなかったら……私……」

 お礼を言うロイーザに、大したことじゃない、と言うように頭を撫でるアバド。


「さて、僕は行くよ」

 彼は不思議な武器を持っていた。彼が歩くたびに鎖が、じゃらり、と耳障りな音を立てる。


「あの……」

 布団を押しのけて、起き上がり、ロイーザは言った。

「もう……あえ……ないんです……か?」

 これでお別れなのはあまりに寂しい。胸の切なさを振り絞るかのようにして、言葉を吐いた。寂しい、一人でいるのは。こんな危険な世界に一人でいたくない。


「当分、この町にいるよ」

 そのセリフを最後に、アバドは部屋を出ていった。

 真っ赤になり、布団の中を藻掻きに藻掻く。身体が熱く、心臓の音だけが騒がしい。





 翌朝、ロイーザの目が覚めると、アバドの姿がなかった。アバドは部屋を出たのだから、それは当然なのだが、ショックに感じた。


 しょんぼり、と寂しい思いをしつつ、身支度を整えて下の階に行くと、アバドは朝食を食べていた。


 その姿に、ほっとするロイーザ。


 アバドは、ロイーザの姿を見つけると、子供のように無邪気な笑顔を向けた。可愛らしい表情に、ロイーザも自然と笑顔になる。


 ロイーザは、アバドの向かいに座る。


「今日は何もしないほうがいいよ。HPとMPについて説明は?」

 席に座るなり、挨拶もそこそこにアバドは言った。


 ロイーザは首を振った。あいつからは、その説明を受けていない。チロさんも黙ったままだ。


 アバドのナビシステムと言えば、サソリの形をしている。デフォルメされていて、蠍特有のリアルで攻撃的な姿はしていない。丸みを帯びた、やはりサソリ型のぬいぐるみのようだった。それでも、かっこいい、とロイーザは思った。

 そのサソリは、アバドの肩に乗っかっている。


(チロさんも、別の姿にしてみてもいいかもしれない。)


「そっか。じゃ、回復したら、ちゃんとした戦闘の説明だね」


 ちゃんとした戦闘。あの人が教えてくれていた戦闘はなんだったのか。思い出すだけで、ムカムカしてくる。


(絶対コロス。次、見かけたらコロス)

 死にかけたのだから、その権利はあるはずだ。


「戦闘で最初に教えなきゃいけない事は、ノーシスの戦闘で一番怖いところだ」


「怖いところ……」


(死ぬこととか、モンスターが強いとか……?)


「ノーシスの怖い所は、HPとMPの表示がない事だよ」


 そう言ってから、アバドは肉を頬張る。テーブルの上を見ると、肉ばかりが並んでいる。


 確かに、HPとMPの表示がない!!とロイーザは思っていた。


 分からないのか、知らないのか、と思っていたら無いのが仕様だった。衝撃を受けるロイーザ。


 このノーシスという世界には、RPGであるべきHPとMPという概念がない。ダメージを受け続ければ、ロイーザがゴブリンに攻撃されたように、身体が重くなり、そして、意識が薄くなる。

 そして、二度目の死となり、次は無い。


「他人も自分も、命が減っていく感覚が分からない。だから、回復が遅れたりする。回復が手遅れになって、死ぬことも多いよ。手遅れになると、回復させても治らない事もある。逆に、根性とか精神的なもので助かる事もあるってさ」


まるで、独り言のように続ける。それを真剣に聞くロイーザ。


「回復するには、回復魔法。あとは、睡眠と食事。だから、今は休む事」


 と言いつつ、肉を口の中に入れて、モゴモゴと咀嚼する。その様子が可愛らしくて、ロイーザは、多少、呆けた顔になっていた。


 アバドはエルフの給仕を呼び、メニュー表を持ってきてもらった。それをロイーザに渡す。


「というわけで、食べな?」


 ロイーザは空腹だった。メニューを眺める。

・ナバラきのこスパゲッティ

・鳥肉のシチュー

・名物キッシュとサラダ

 と、メニュー表が読めるのである。


 そういえば、街で見た事のない文字を見ても、それが何を意味しているのか分かる。そして、この世界で、言語について疑問になったことが無い。


 メニューを見ながら、ロイーザはアバドに尋ねる。


「言葉って、何故通じるのでしょうか……。ここって、別の国の方も来ますよね?」


「ノーシスには、自分とは別の国の、現世の人もくるかって話?それなら、来るね。言葉は、共通の言葉がノーシスにあって、それを話している。共通の言葉、ノーシス語って呼んでるけど、それに自動的に翻訳し、会話をしているらしいよ。しゃべる時も、自動的にノーシス語に変えられる。文字も、自動的に解読される。詳しい仕組みとかは謎だけどね」


「不思議……」

 知らない文字の意味が分かる、というだけで頭が混乱しそうだった。


 とりあえず、名物キッシュとサラダを注文した。こんな世界で、太るという概念があるのかは分からないが、ヘルシーでおいしそうなものを選ぶ癖は抜けない。


「アバドさんは、ノーシスに来てどれくらいですか?」

 んー、と可愛らしい声を上げて考え込むアバド。いつまでも見て居られる、とロイーザは思った。


「5年ぐらい?」


「5年も!!」


 5年間生き残っている、というだけでも、相当なレベルである事をロイーザは知らなかったが、素直に驚き、関心する。


「すごい強いですもんね、ゴブリンを一蹴、ですもの」

よく見ていないが、かっこよかった……と、浮ついたように言うのだった。


「まぁね」

 と、照れる事もなく、当然というようにアバドは言う。


 アバドは先ほどから肉ばかりを食べている。


「肉ばかりは良くないですよ。好き嫌いは仕方ないので、食べれそうな野菜を食べましょうね。あ、私、料理得意なので、なんでも作りますよ。何がお好きですか?」


「アスガンのミミルシュチュ」

アバドは謎の呪文を唱えた。


「あ?みみ、しゅ?」

ロイーザは混乱した。


「あすがんの、みみる、しゅちゅ」

アバドは謎の呪文を繰り返した。


「それって、どんな……」

 ノーシス料理は奥が高いのかもしれない。現世ではありえない味や、料理方法があるのだろう。音からして、シチューに近いものかもしれない、とロイーザは思った。

「どんな……」


 その時、「名物キッシュとサラダのお客様」と、ウェイターエルフが料理を運んできた。


 この世界のキッシュもパイ生地でホールを切り分けたタイプのようだ。ワンプレートに赤と緑の葉のサラダ、そして、キッシュと小さめのカップスープが乗っている。非常にお洒落だ。彩もよく、現世なら写真を撮ってsnsに乗せている。


「食べな」と笑顔で促してくるので、ロイーザは先に食べる事にした。


 キッシュを口の中に入れると、程よくタマゴがとろけ、濃厚なチーズの味が広がる。そして、肉と野菜の旨味が、その卵とチーズのコクを引き立てている。それでいて、しつこくない。

 つまり、美味しい。

 満面の笑みになるロイーザ。その様子に思わず、アバドも「おいしい?」と聞いてしまうほどだった。


 ブンブン、という音さえ聞こえそうなほど何度も頷くロイーザ。


「すごく、すごく美味しいです!!タマゴもチーズの濃厚で……きっと、これが異世界の知らない食材の味なんだなって思います」


「ふーん」と、そっ気のない表情と返事のアバド。相変わらず、肉ばかり食べている。先ほどの質問も、意図としては、肉以外の食べ物っておいしい?ということだったのだろう。


「きっと、知らない料理や味が沢山あるんだろうなー。さっきのミミなんたら、とか」


「ミミルシュチュね」


「私、ミミルシュチュをアバドさんと一緒に食べたいですし、アバドさんの食事も作ってあげたいです。いつかは、その料理も作ってみたいです」

と、美味しいものを食べた興奮、そのままに早口でいってしまった。


 その言葉の、どの部分にアバドの琴線に触れるものがあったのか、彼は少し俯いて、口元を綻ばせた。今までの笑顔とは、様子が違うものであったが、ロイーザは気がつかなかった。


「それなら、ちゃんと身体を治す事だね」

 そういって、アバドは席を立つ。


「ちょっと戦ってくる。あとでね」


 後で、との言葉に満足するロイーザ。アバドの言う通りに、身体を休めておこう、と思った。アバドは、ちゃんと教えてくれるに違いない。それが、ロイーザは楽しみだった。

 ロイーザは、残りのサラダとスープを食べて、宿屋の二階、自室に戻っていった。

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