第5話 【現世】一方、その時

「亜美ちゃん、こんばんは」


 インターホンのディスプレイに映る顔を見て、都築亜美はため息をついた。


 亜美にとって、兄の世話をするのは、それほど苦ではない。子供の時には嫌いな兄だったが、今では好きだ。苦ではないのは、昔嫌いだった引け目があるからかもしれなかった。


 亜美は、玄関へと歩く間に、もう一度ため息をついた。


 亜美は訪問してきた男、土岐紘一が苦手だった。


 嫌い、と言ってもいい。兄、健也は紘一を親友だと言った。

 しかし、腹黒く、狡猾な男だという事を亜美は知っているし、自分の目的の為に自分に告白までしている。兄も、紘一を、得体が知れない所があって誰よりも怖い、と言っていた。自分より都築家向きだよ、とまで。


 兄はそういう人間を呼び寄せるし、腹に何かある人物が好きなのだ。正直言って、ほっとけない。あの義姉だって、そうだ。

(私が、もっとしっかりしない、と。)

 と、決意するのだった。


 鍵を開けると、紘一の整った顔が隙間から覗く。背が高く、顔が良く、学歴もあり、良い会社に勤めている。全てを兼ね備えている、と言ってもいいが、亜美は紘一という人物自体に惹かれないのだった。


 実際、この男性が非常にモテる事を亜美は知っている。が、未だ浮いた話を聞いたことがない。


 軽くウェーブのかかった髪から整髪料の匂いが漂う。ジムの帰りのはずだったが、そんな様子を微塵とも感じさせなかった。彼は清潔感と身だしなみに、病的なまでに気を使う。そして、努力や内面、プライベートを見せる、もしくは感じさせる事を極端に嫌う。


「亜美ちゃん、こんばんは」


 にっこり、と屈託のない表情で亜美に挨拶をするが、すぐに鋭く、険しい表情に変わる。


 玄関で靴を脱ぎながら、彼は言う。


「健也は?」

 険しい表情は、心配している表情らしかった。

「少し良くなっています」

 表情が緩む紘一。


 これ差し入れ、と、言ってスーパーの袋を渡す。野菜、肉、菓子などが適当に入っていた。


「いつもありがとうございます」


 と、亜美が言うと、またも、にっこりと微笑む紘一。


 健也は自室でパソコンに向かい、沙織ことロイーザの様子を見ていた。


「やあ、紘一」

 その声は力はないが、ちゃんと挨拶できるだけ、紘一にはマシに思える。


「よう、少しは元気になったみたいだな」

 平然としているのが、逆に紘一には不安だった。10代前半の頃からの付き合いの紘一には、健也のこのような姿を過去に知っている。空元気のような状態が一番良くない。


 紘一は、視線を落としパソコンのディスプレイを見た。ロイーザが、短剣を振るっている様子が映し出されている。次第に日が傾き、ロイーザの姿が赤く染まりつつある。


「おかけ様で。色々、ありがと」


「この借りは大きいからな」


「子供の時の貸しをチャラにしておくよ」


「分かった。それで手を打とう。で、どうだ?ロイーザだっけ?」


ロイーザという、チロによって登録された名前は、サンサーラ社から矢島家親族に伝わっている。健也は、信頼する紘一のみ、その名前を教えた。


「そう。ロイーザ。たまに泣いてるけど、知り合いも一人増えたみたいで、少し元気になったみたい」


 ディスプレイを見る紘一が眉をひそめる。その表情に、健也もディスプレイに視線を移した。

「……なんか、ヤバそうだぞ」

 紘一が言った。


 スピーカーから流れる二人の会話が、非常に危機感を煽り立てる。


『夜は強いモンスターが現れるんだ。急いで逃げないと大変な事になる』


 健也の表情が、一気に青白くなった。と、同時に、激しく、そして、的確にキーボードとマウスを操り始めた。


「何にやってんだよ、コイツは……」

 一緒にいながら、逃げたジョンにそう吐き捨てる紘一。


 プレイヤー:ロイーザに課金しますか?

 YES→アイテム購入:生命石を購入

 YES→ガチャ:装備ガチャ10回を購入


 を、健也は必死な様子で繰り返す。


 そして、アバドが助けに入り、その圧倒的な力によってゴブリンを殲滅した。


 美少年にも見える、その男性は、倒れた沙織の近くに焚き木を起こし、バッグから何かを取り出した。細く鋭い串のようにも見える。


 いつのまにか亜美も加わり、三人は息を飲んだ。


 男は、バッグから革袋を出し、そこに入っている肉を串に刺して焼き始めた。


 三人は、飲んだ息を盛大に吹き出した。


「なんとかなったな」

 紘一は健也の肩に手を置く。

「幾ら使った?」


「100万ぐらい」

 なるほど、ノーシスへの課金が問題とされるわけだ、と紘一は思った。過去に、沙織も同じ事を思ったのだが、それを知る由もなかった。

 達成者の賞金が億の世界は、何かがおかしい、と思っていた。そんなに課金されるわけがない、と。だが、現実で、数秒で100万が消えた。これが世界的に行われたら、確かに億の世界だろう。


「私達も食事にしましょう」

 亜美がそう言った。


 その後、食事を食べ、健也は自室に戻り、紘一は帰る事にした。


 玄関で、紘一は言う。


「亜美ちゃん、健也を頼むな」

 亜美は頷いたが、逆だと思った。


 こちらが頼む側。亜美には彼がこうやって訪ねてくれるのが、亜美にとって、自分の心の支えにもなっているのが、少し悔しい。


 一方、紘一には今日の様子を見て不安しか残らなかった。

 紘一は健也の弱い部分を知っている。健也は、想定外の衝撃に、かなり弱い。

それでも、時間をかければ柔軟に対応できる事も紘一は知っている。安定するまで、何も起きなければいいが……。


 沙織が死んで、現世では1カ月近くになる。沙織のノーシスへの登録が終わるまでに一か月必要だったのだ。


 彼女が向こうで生きている、という事実でなんとか持ち直してきた健也の心だが、今後、どうなるかは分からない。


 今日のような、沙織が死にそうになる事もあるだろう、と思うと、健也はどうなるのか、と紘一は不安だった。

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