第1話 【ノーシス】悲嘆の向う岸

 真っ暗な闇の中から一筋の光が見えたかと思うと、それが広がり、空間を作り出した。ただ白いだけの空間。


 その白い空間に、水が広がり、透き通るような青い空、そして、穏やかに緩やかに浮かぶ雲が出来た。

 

 足元の水面には、空と雲が反射し、白い底の白い砂が輝いている。水面は、穏やかに流れており、浅い川のようだった。


 一人の黒人の女性が立っている。矢島沙織が声をかける前に、その女性は微笑んだ。


 SFで見るようなファッション。ラテックスのように、生地の表面が輝き、少しばかり露出が高い白いブラとパンツ。


 沙織は自分がどのような姿をしているか気になった。こちらは布製の白いシャツに、白いパンツ。なんの柄も特徴もない。水面に映った顔は自分の顔だった。


「こんにちは、新規のプレイヤーさん」

 沙織は、この女性が流暢な日本語を話し始めた事に戸惑う。頭の中から英語を引っ張り出そうとしていたのだ。


「ここは……?」

 と、聞いたが思い当たる点が一つだけあり、その単語を付け加える。

「ノーシス?」


「はい。ノーシスの世界です。私は新規プレイヤー案内システムのカロンです。短い時間ですが、よろしくお願いしますね」

 にっこりと微笑むカロンに反して沙織は身体が震え、顔は強張っていく。


「まさか……そんな……」


 沙織は、力なく座り込みそうになる身体を支える事が出来なかった。座り込んでしまう。


(死んだの?私……。)


 自分が死んだという事実、そして、もう健也に会う事が出来ない事、そして、不安。これからどうなってしまうのだろう。親は?健也は?どうしているのだろう。


 沙織は死ぬ直前の事を思い出そうとした。上手くいかなかった。その日の事すら記憶にない。


 ショックやパニックが少ない事が、ノーシスと人の心の仕様だという事を沙織は知らない。現実感のなさ、自己の意識がある事、死への否定、死亡時の記憶の薄れ、様々な要素が、沙織の精神を保たせていた。


「大丈夫ですよ。この世界で頑張れば転生できますよ。元気出してくださいね」


 優しい言葉と裏腹に、他人事のようなセリフ臭さが抜けない、カロンの言葉。システムそのものと言っていい、その声色の硬さ。


(死人に元気もなにもないんじゃないの?)

 その言葉を沙織は飲み込む。


 沙織は手を見る。生きている時と変わりはない。夢、とも思った。


「あぁあ……」

 ため息とともに零れる声。


 ノーシス――それに関する事を思い出そうとするが、概略ばかりで肝心の内部の情報を知らなかった。


 こんなことなら、しっかりと知っておくべきだった。少なくとも関心は持っておくべきだった、と沙織は後悔する。


「今、ちゃんとノーシスの事勉強しておけばよかった、と思っていませんか?」

 んふふ、と含み笑いのカロンがのぞき込んでくる。当然といった様子だった。


「――教えてくれませんか?」


「私は案内のシステムですので、攻略法やフローなどを教える事はできません。ノーシスの事はあまり知らない様子ですね。そういう方の為にコレがあります!!」


 カロンの手のひらから、ポンっと勢いよく出てきた毛玉。


 モゾモゾと動き出し、非常に可愛らしいウサギのようになった。ネズミ、いや、チンチラかもしれない。


 それはふよふよと空中を漂いながら、こちらに近づいた。沙織の近くで浮いている。


「この子はナビゲーションシステムです。チュートリアルから、各種設定まで色々と応じてくれますよ。名前はついていません。後程、名前を付けてあげてください。色々なアバターも販売中です。ぜひ、購入してくださいね!!」


 沙織は、空中を漂いながら寝ている可愛らしい生き物にテンションが上がり、カロンの営業トークに上がった分ゲンナリしてしまう。


「ゲームが始まりますと、この子の目が覚めますので、ゲームの詳細はこの子に聞いてくださいね。さて、大切な話をします。」


 こほん、と咳払いし、もったいぶった口調になるカロン。


「転生についてのルールです」


 息を飲む沙織。もったいぶっただけの事はある重要事項だ!!


「転生クエストが幾つもありますが……プレイヤーレベルが100になる、魔王を討伐する、最難関ダンジョンをクリアする、などなどです。それを達成すると転生チケットがもらえます」


「転生チケット?」


「はい。アイテムです。それを使うと、ゲームクリアと見なされ、現世へ転生準備に移ります。アイテムを使わず、この世界に留まるも良し、転生して現世でやり直すのも良しです。転生チケットを使用すると、この場所へ飛ばされます。そして、私がある程度の希望を聞く事になります」


「希望?」


「はい。出来る事とできない事がありますが、ありとあらゆる様々な希望に応える事ができますよ。容姿や人種、知能指数や身体能力などなど。身体の希望で多いのですが、それら以外でも願いを叶える事ができます。例えば、ノーシス内の資金を残っているプレイヤーに与えたい、とかですね。ただ、希望を叶えるにはお金が必要です」


「現世のお金?それとも、ノーシスのお金?」


「いい質問です!!」

 カロンのテンションが上がった。


「現世のお金です。達成者には、ノーシスで個人に課金された総金額の5割が戻ってきます。前回の達成者は……確か日本人でしたよね?日本円で5億円程です。少ないほうですね。前々回はアメリカ人で約10億です。転生間近のプレイヤーは世界が注目しますので、賞金も多くなりますよ。この賞金を使い、先ほどの希望を聞くことになります。課金について説明は必要ですか?オープン、クローズ、ライブについては?」


「それは知っています」

 それについては沙織でも少し知っている。


 話題性があるプレイヤーの動画を少しだけ見たことがあった。沙織は映像自体に、それほど夢中になれなかったが。


「ライブと現世からの課金によって、アイテムの購入、武器、防具のガチャ、各種サービスなどができますよ。やり方については、ナビシステムが教えてくれます」


 沙織は最初に健也の事を想った。――彼なら、私に課金してくれるに違いない。


「さて、これで説明は終わりです」


「え?」

 突然の切り出しに戸惑う沙織。全然、説明らしい説明を受けていない。


 すぐに質問したい事項を考えるが、うまくまとまらない。

 

 カロンはマイペースに話を続ける。


「今から、幾つかある最初の町へランダムで飛ばします。貴女は宿屋の一室で目が覚めます。先払いですから、ご心配なく。貴女の初期配布のアイテムは、クローゼットにありますので忘れずに貰ってください。また、ここで会いましょうね」

 と、カロンは手を振る。


 全てのプレイヤーに言っているに違いない言葉が、沙織には空虚に感じられた。

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