オープニング2 【現世】死者の契約
都築健也は、最愛の人がいなくなった事実に耐えられなかった。
いつのまにか葬式は終わっていた。健也は彼女と一緒に暮らすはずのマンションに一人でいた。
彼女の両親は、彼の悲痛な姿を見て、葬式に出ない事を許した。とてもじゃないが出られる状態ではなかった。
心が壊れてしまった、と彼の妹の都築亜美、そして、沙織の両親は思っていた。
健也は自分の両親と疎遠の為、今は亜美が一緒に暮らし、身の回りの世話をしている。
健也は抜け殻のようになってしまっていた。虚ろな目つきでたまに、周囲を見渡す。まるで彼女を探すようだった。
そんな日々が数日たった時、沙織の両親と一人の女性がマンションに現れた。
「健也君は……?」
沙織の父は、そう尋ねた。亜美は、目線を落とし、頭を振る。
深いため息をつく沙織父。自分の息子となるはずだった男が壊れてしまうのは、痛々しく辛いものがある。沙織父には、娘を失った悲しみをより一層強めるようだった。
健也は籍を、彼女の矢島家に入れるつもりだったのだ。
「では、お話は中で……婚約者が理解できるかは分かりませんが……」
沙織父は後ろに立つ女性へ、上がるよう促した。
「いえ、心中お察しいたします。私共のご提案が、旦那様の心を癒せるものだと信じております……」
スーツを着込んだ女性が穏やかな声色でそう言った。
その女性は事前に、彼らが婚約状態で結婚はしていないのを知っていたが、あえて旦那様と呼んだ。その気遣いが少し沙織父には苦く感じられる。そうなるはずだった……生きていれば。
スーツの女と向かい合うように、沙織両親と健也がダイニングのソファに座ろうとした。亜美は、キッチンから椅子を持ってきた。
「改めまして……こちらの名刺は旦那様に……」
女性は名刺入れから名刺を取り出し、沙織父と亜美へと渡す。
健也はぼんやりとソファに座ったままだ。
「サンサーラ・ワールド社の神無月と申します。大変お忙しい時にお時間を頂きまして真にありがとうございます。是非とも弊社での提案を矢島家の皆様に、と思いまして……」
資料がテーブルの上に広げられた。飾り立てたノーシスの文字。
サンサーラ・ワールド社。ノーシスの運営をしている企業だ。
矢島沙織の両親は、彼女が何を提案しようとしているのか分かっている。亜美も、この女性が何を提案するのか、が分かった。
「ご存知かと思いますが、弊社ではノーシスというゲームを運営しております」
両親が黙って聞いているので、神無月は言葉をつづける。
ノーシス、という言葉に健也が少し反応を示したのは誰も気が付きはしなかった。
「弊社では故人のデータを元にキャラクターを作成し、簡単に申しまして、そのキャラクターがノーシスという世界を冒険する、というゲームを運営しております。ご存知の通り、そのキャラクターは沙織様そのものでありまして、沙織様がデータ上ではありますが生き返る事になります」
幼児向けアニメのような絵柄で、現世からゲーム世界に向かう様子がパンフレットに書かれている。
「ご存知かと思いますが、このゲームでの賞品は復活です。私達は、転生、と呼んでいます。ゲーム上の沙織様が、クエストという難題ですね、こちらをクリアする事で、弊社で肉体を作り出し、記憶を入れる事で沙織様を再生する事となります。もちろん、この技術は機密ですし、私達末端の社員も方法は知りませんが……」
疑う者はいる。テレビやネットで話題の生き返った人々は本当に本人なのか、と。
意識は自己のものであった。数名の達成者は、口をそろえてこう言う――目が覚めると、ノーシスの世界の中にいた。ノーシスに居た時には、この世のほうが、夢のように感じられた。
そして、彼らは故人しか知らない事を話す。故人しかしらないパスワードを入力する、物を見つける、など自身の証明をしてみせた。
「記憶……データはもう取り出してあるのか?」
と、父が質問する。
「医療中の処置としまして、矢島沙織様の脳内データはすでに保護されております。脳に重大な損傷が無かったため行えました。もし、これをご遺志、ご希望に反するということであればすぐに消去させていただきますが……」
神無月の経験では、この時点で『消す』と言った人間は今のところいない。記憶という、その故人が生きた印そのものを消す、と言える人間、ましてや悲しみに包まれている人間ではいない。
この勝手な医療処置が行われているかも神無月には分からない。
営業マニュアルではそうなっているだけだ。そんな処置が、いつ、誰が、どのように、している、は分からないのだ。その謎が、たまに報道のネタにされるが、謎のままだ。神の御業、と言う人までいる。
「いや、話を続けてくれ」
父はそう言った。心の中で神無月は、笑みを浮かべる。
「ノーシスでは、RPGのような西洋ファンタジーをベースに作られた世界でして……そういったゲームはやられたことは?」
「あります」
答える事ができるのは父だけとなっていた。
「では、お話が早いですね。そのRPGの世界で、矢島沙織様は生きる事となります。沙織様が考え、行動し、次の世界の住民として生きていきます」
この時点で、沙織の母親が涙を零した。
「ご遺族の方にのみ、ノーシスの世界での沙織様を知る事ができます。ゲーム内は沙織様がオープン設定をすれば、ご遺族の方もご覧になる事ができますよ」
ノーシスの世界では、別の名前を設定する。そのキャラクターが生前どのような名前でどんな人間だったのか、は知らされる事はない。基本、親族を除いて。
ノーシスのプレイヤーが自由に設定できる事の一つに、自分の生活を現世の人々に見せるか否か、がある。
オープン、クローズ、ライブの三つの設定となっている。
オープンは現世の、全世界の人々が、ノーシスのページからプレイヤー名を検索し、その生活を見る事が出来る。
クローズは誰も見る事ができない。見せたくない場合に使われる。
ライブは、見るのに課金が発生する設定。このライブモードでの課金の一部がプレイヤーに入る。
話題性のあるプレイヤーは、それだけで娯楽となり、視聴率も高くなる。プレイヤー自身で稼ぐことができる方法の一つである。ある人気歌手が亡くなった時、オープンで名前を明かし、ライブモードで莫大な金額を稼いだ事例もある。
「沙織様と再び出会う事ができ、復活するチャンスもあります」
沙織の母は泣いており、父は真剣に話を聞いている。
「日本では契約に関しまして、遺言がない場合、ご遺族の意思によって参加の可否をいただくこととなっておりまして……」
一枚の紙が、テーブルに置かれる。なんの変哲もない契約書だった。しかし、それが沙織を別世界に向かわせるチケットでもあった。
「ここで、ご注意ですが……このゲーム内で死んでしまいますと、データは消去されます。復活はできません。課金プランは用意しておりますので、こちらを行っていただき、無謀な事をしなければ死亡する事はありません」
神無月は知っている。ここまでくると人は希望に縋り、生き返るかもしれない、という望みしか見えなくなる事を。
実際は無茶な事をし、死ぬ人間のほうが多いのだ。ゲーム慣れしすぎていると言ってもいい。どんなに注意したところでその油断は消えない。
「もう一点ですが……ノーシスの世界が気に入り、ゲームの世界で生きようとする方もいらっしゃいます」
転生は魅力ではあるが、一部の人は、その難関を突破する事を諦め、モンスターや様々な脅威に震えながらノーシスで生きようとする。
「契約の前に、課金について説明させて頂きます」
神無月はパンフレットを捲る。まるで携帯の料金表のようなページが現れた。
「まったく課金をしないことも選択できますが、課金では、皆様がプレイヤーの為に装備……アイテム、様々なものを買い与える事ができ……」
その時だった。「沙織に会える……」と、ポツリと健也が呟いたのは。
健也は涙を流し、もう一度、最愛の人の名前を呟いた。横にいた亜美が、健也を抱きしめる。
神無月は、それをウルウルとした目つきで見ていた。もちろん演技だった。
(これで確実かしらね……。)
十分な時間を待ち、神無月は話を始める。
課金の話を続け、そして、注意事項や、その他。
しかし、もう彼らの頭には入るはずはないだろう。彼らの頭の中には故人が生き返る事で頭が一杯になっているのだから。
(そんな甘いものじゃないのにね。)
神無月はそう思いつつも、沙織という女性が生き返る事を前提にするように盛り上げて話を進めていく。
全ての話が終わった後、彼女はサイン入りの契約書をビジネスバッグに入れて、マンションを出ていた。
もう矢島家の事は頭になかった。次の契約の家の事を考え始めていた。
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