ノーシス
ひろや本舗
オープニング1 【現世】ノーシス
都築健也はごく普通の、目立たない人生を送る事を心掛けてきた。
小中高と成績はよかったが、運動神経は平凡。特に趣味らしい趣味もなく、特技があるわけでもない。学力にあった大学へと進み、会社に入社。そこで出会った女性と同棲をし、来年、籍を入れ、式を行う予定となっていた。相手の両親への挨拶も済ませている。
仕事は中小企業での営業。成績は中の上。安定した成績、可もなく不可もない評価。
顔も平凡で、漫画に出てくるモブと言ったところだろう。記憶に残らないようなありきたりな顔と言ってもいい。
健也自体は、それでいいと思っていた。この生活を幸せだと思っていた。
目立つという事はリスクがある、それが彼の幼いころに得た最大の教訓だった。目立たず、静かに、平穏こそ幸せ。映画の主人公のような試練もなければ、トラブルもない。ただ、この日常に埋没する事を第一に思っていた。
婚約者である矢島沙織が朝食を準備している間、健也は新聞を読む。
――ノーシス保険。
と、新聞の下にある広告が目に入る。ニュースでも、ノーシス関連の話題を伝えている。
ノーシス。
今や知らない人はいないゲーム。このゲームが世界を一変させてしまった。
死んだ人間の記憶を元にアバターを作り、ファンタジーの世界でその故人が生活をする。そして、その故人はモンスターやクエストを達成する事で報酬を貰う。
このゲームを一躍、有名にしたのは最終クエスト達成時の報酬だった。
最終クエストの最大の報酬は、それは生き返る事。
その企業は、人体を複製し、そこに記憶を入れる事で人間そのものを複製できる、と大々的にアピールした。
誰もが嘘だと思った。
が、最初の転生クエスト達成者が現れ、彼が現世の世界に現れた時、全世界が騒然となった。
達成者はその両親と感動の再会をし、そのクエスト達成の副賞を貰った。それは膨大な賞金と美しい容姿、身体だった。
達成者に群がるマスコミ。達成者の名を聞かない日はない。
達成者は生き返るだけでなく、地位と名誉、莫大な金を手にする事ができる。そして、最高の容姿と健康な身体を持って、人生そのものをやり直す事ができるのだ。そのように世界中の人間が理解した。
ノーシスの運営会社は広告収入だけでなく、ゲームの課金要素で莫大な収益をあげる。
ゲーム内の故人へ課金をする――モンスターに勝てる武具、ゲーム内で使える資金、便利なアイテムなどを現世の人間が購入し、故人へ送る行為だ。
亡くなった子を想う親、恋人の生き返りを望む人、遺言で遺産を課金につぎ込む金持ち、など、現在では葬式代が課金に回されるようになってしまっている。そして、それ以外にも課金要素がある。
モラルを叫ぶ人間も多くおり、白熱する課金に各国が法律の整備を進めようとするが、それもうまくはいかなかった。
政治家の家族、そして、彼ら自身もノーシスに参加する可能性があるからだ。生前の金があればあるほど、ゲームは有利なのだ。裕福層が具体的な規制に動くはずもなかった。
そして、そのノーシスに乗っかった便乗商品も作られるようになる。
例えば保険だ。死亡で一定金額、課金される、というような保険。人気らしく、新聞やニュースの広告にまで出るようになった。
ニュースではノーシス関係の問題の一つ――遺書の問題が伝えられている。
新聞を下げて、ニュースを見ていると婚約者の沙織がサラダを持ってきた。
「健也はどう思う?」
沙織は健也が真剣な面持ちで見ているのが気になり、そう話しかけた。
「何が?」
「ノーシスの事」
「ああ……そうだな、俺が死んだら、あの世界には行きたくないな。人生は一度っきり、がいい」
健也は答えた。
今、ニュースで報道されているノーシスの遺言問題。それは、故人が遺言でノーシスへの参加を拒んだとしても、恋人や家族が復活を願い勝手に参加を許可してしまう、というものだった。
遺言は守られるべきではあるが、生き返る可能性がある、別の世界で生きている、という誘惑は人を失った親族には耐えられないらしく、参加を望んでしまうのだという。それが今、問題になっていた。
「沙織は?」
「私かーー。んーーー。死んでも一緒に暮らせるのは魅力よね」
沙織はそう言って微笑むと、次の料理を取りに向かった。
そういう考えもあるが……健也は死ぬという事実に耐えられない。現世とあの世界。二度も死ぬ……想像もつかない恐怖だろう。
ノーシスは、かなり難易度が厳しく、ごく一部のプレイヤーしか生き残れないと聞く。
達成者は10年で数名。
自分があのゲームに参加したら死ぬだろう、と健也は思っていた。あのゲームには復活は無い。プレイヤーが死ぬと記憶というデータは消去される。今度こそ、死ぬのだ。
健也は若い頃にやったゲームを思い出した。
あのゲームのキャラクター達は何度死んだだろう。それをたった一度も死ぬこともなくクリアしろ、という無理がある。
沙織は死んでも一緒に暮らせると言ったが、それを健也は死の恐怖から、それを受け入れられなかった。
(今度、一応、遺言を書いておくか……暇になったら。)
新聞を折り、テーブルに置く。朝食を食べて会社に行かないと。
健也はノーシスの事を頭から追い出し、普段の、いつも通りの生活の事を考え始めた。今、幸せで結婚式も来年するのだから。縁起でもない、と。
誰もが近い将来、死ぬとは思っていない。遠い先だと思っている。都築健也もその一人だった。
が、都築健也は死ななかった。
亡くなったのは婚約者の矢島沙織だった。
一週間後、彼女は交通事故で命を落とすのである。
彼女は自分が死ぬ準備もしておらず、ましてやノーシスに参加する準備などしていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます