愛のまほろば

奇跡いのる

第1話

 Bluetoothのイヤホンで何を聴いているの?

 あなたはいつも私の話を、そうやって聞こえないふりをする。いつからすれ違っていた?私は今でもあなたのことが大好きだよ、ごめんね。



 三月、冬と呼ぶには暖かく、春と呼ぶには肌寒い、朝でも夜でもない時間のリビングで、私は旦那を刺し殺した。きっかけは些細な口論だった。あくまでそれは刺し殺したことのきっかけに過ぎなくて、私はこの一年間、殺意と名付けるには曖昧で、だけど無視するには育ち過ぎたモヤモヤを胸に抱いていた。



 旦那とは高校時代に知り合い、高校卒業と同時に交際を始め、二十五歳の冬に結婚した。たまに喧嘩をすることはあっても、すぐに仲直りしたし、毎晩のように愛し合っていた。『子供は三人くらい欲しいよね』というあなたの願望に応えたくて、私はあなたの精子を受け入れ続けた。


 それでもなかなか子供は出来ずに、私達のどちらかに不妊の原因があるのではないかと思い、診察を受け治療を始めた。その成果もあって、三十歳を目前にしてようやく二人の間に子供が出来た。


 だけど、あなたは少しずつ変わっていった。


 私が妊娠をしてお腹が大きくなるにつれてスキンシップは目に見えて減っていった。セックスがしたいわけではなくて、抱き締めてキスをして一緒に眠ってくれるだけでも愛されている実感を手に出来たのに、あなたは愛想笑いと『お腹の子供に悪いから』というもっともらしい言い訳で、私から距離をとるようになった。それでも、私は二人の間に出来た子供が、また二人の関係を近づけて強固なものにしてくれるものだと、信じて疑わなかった。


 あなたは浮気をしていた。

 その事に気付いた時、私は臨月だった。

 あなたのスマホのメッセージのやり取りを偶然、目にしてしまった。どこで知り合ったかもわからない、私よりはるかに若い女の子の写メが、メッセージにたくさん並んでいた。


『愛してる』

『僕も愛してるよ』


 絵文字やハートが沢山のスタンプや愛や好きといった文字が連なったそれは、私の心を傷付けるには十分過ぎた。


 私は急に体調を崩し、予定日より三週間も早く病院に運ばれた。意識を取り戻したときには、赤ちゃんはお腹にはいなかった。この世にもいなかった。死産だった。



 あなたは何も気付かないふりで、私に愛の言葉をたくさん与えて、励まして、優しく抱き締めてくれた。それらがすべて偽りであると知りながらも、喪失感を紛らわすのに利用した。


 退院して、初日のことだった。私は旦那の浮気を問い詰めた。『あなたのせいで流産したのよ』と責め立てた。すると彼は『人のスマホを勝手に見るなんてどうかしてる』と言って、私の頬を殴った。


 その瞬間、私の中で何かが弾けた。


 気付いた時、旦那は私の足元で倒れていて、周囲にはおびただしい量の血だまりが出来ていた。私の顔にも彼の血がこびりついていた。いつの間にか握っていた包丁を放り出すと、私は旦那に抱きついた。


 ごめんね、こんなつもりじゃなかったの。


 だけど、これであなたは私のもとを離れられないと思うと、無性に嬉しくなって、勝手に頬を流れていた涙もそのままに、口角が上がるのを感じた。


 私はあなたのイヤホンを耳にして、あなたのプレイリストを流した。私の知らない曲ばかりだった。



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