第186話 七三男

 猫の手カップも日程の半分が過ぎようとしていた頃のことです。


 水龍ちゃんとトラ丸が帰宅すると、玄関ドアの前でおばはさまが誰かと話していました。


「ばばさま、ただいまー。お客様?」

「なー。ぅな?」


 水龍ちゃんが、おばばさまに声を掛けると、トラ丸も可愛らしく真似して鳴き声を上げました。


「お帰り。こ奴は薬師ギルドの人間じゃ。お前さんを訪ねて来たというておるから不在じゃと言ったのじゃが、どこへ行ったのかとしつこくてのう。用件を聞いても話すつもりはないと抜かすし、いい加減、警察を呼ぼうかと思っとったところじゃ」


 おばばさまは、ほとほとうんざりした様子で、訪ねて来た男のことを話して聞かせてくれました。


 すると、七三分けで髪をびしっと撫でつけた男が、ニヤリと下卑た笑みを浮かべて話し始めました。


「初めましてでございます。水龍さんでございますね。私、薬師ギルドのウサン・クサインでございます。このたびは、水龍さんといろいろお話したくお伺いした次第でございます。さてさて、先日よりハンターギルドで開催されている猫の手カップが盛況でございますねぇ。数多くのレア素材が続々納品されているようでございまして、我々薬師ギルドとしても大変喜ばしい限りでございます。そうそう、――」


 七三分けの七三男は、ウサン・クサインと名乗ると、世間話を話し出して、どうでもいいことをつらつらと話し続けました。


 あまりにどうでもいいことを長々と話すので、水龍ちゃんもトラ丸もだんだんうんざりしてきました。おばばさまが、ほとほとうんざりしていたのも頷けます。


「そういえば、水龍さんは、赤毒ポーション、青毒ポーションをお作りになられるとお聞きしましたが、治癒ポーションはお作りにならないのでございますね」


 七三男が、ポーション作りへと話題を変えてきました。ヒールポーションのことには全く触れていないところが、うさん臭さを感じさせます。


「ん?」

「ええ、ええ、あなたが、薬師ギルド会員でないために新ポーションを作ることが出来ないのは重々承知でございますよ」


 水龍ちゃんが、軽く首を傾げると、七三男は、分かってますよと言わんばかりに話を続けます。最近では、薬師ギルドが特許登録した新しい治癒ポーションを新ポーションと呼び、従来の治癒ポーションは旧ポーションと呼ばれるようになっています。


「しかしながら、世の中には、あなたの作る新ポーションを望む声も多くございましょう。しからば、その期待に応えるべく、あなたは、しがらみを乗り越えて新ポーションを作るべきでございます」


 七三男の話は、水龍ちゃんに新ポーション作りを促す内容に変わりました。しかしながら、 一方的に話して口が疲れないだろうかと思うほどに、まだまだ彼の話は続きます。


「ええ、ええ、薬師ギルドとの関係を改善するのは現状では難しいことは重々承知してございますからして、そこは、僭越ながら、私が薬師ギルドとの間を取り持たせていただければ嬉しゅうございます」


 七三男は、一方的に何やら怪しげな提案を始めました。この辺りが彼の言いたいことなのかもしれません。


 水龍ちゃんは、うんざり顔ですが、彼の話が止まる気配はありません。トラ丸は大きなあくびをして眠たそうにしています。


「いろいろな思いがあるでしょうが、その辺りはですね、そのうえで再度、水龍さんには薬師ギルド会員となっていただけるよう取り計る所存でございます。ええ、ええ、お気持ちは分かりますとも。ギルドマスターは気難しい方ですからねぇ、うまく間を取り持つことなど出来る訳がないとお思いでございましょうが、この私にお任せいただければ、粘り強く説得し、必ずや目的を達成してみせようではございませんか」


 七三男の長話にもどこかしら熱が籠って来たようです。ようやくこの長話にもクライマックスが訪れるのでしょうか。


「さぁ、さぁ、あなたの作る新ポーションを求めている皆様方のためにも、この私、ウサン・クサインめに薬師ギルドとの間を取り持つように御命じ下さいませ!」


 七三男は、どこかやり切ったような表情で、胸に手を当て一礼しました。水龍ちゃんとおばばさまは、ようやく終わったかといった表情です。


「お断りします」

「へっ?」


 水龍ちゃんが、にっこり笑顔で告げると、七三男は、全く予想していなかったのでしょう、呆けた声を漏らしました。


「いやいやいやいや、薬師ギルド会員に戻れるチャンスでございますよ?」

「薬師ギルド会員に興味ないです」


「んなっ!? 新ポーションを作るためには、薬師ギルド会員である必要があるのでございますよ?」

「新ポーションは作らないですから」


「いやいやいやいや、あなたの新ポーションを待っている方々が、たくさんおられるのでございますよ?」

「私が生産しなくても、薬師ギルド会員のみなさんが、たくさん作るでしょうから問題ないですよね」


 予期せぬ事態に焦りを見せる七三男は、必死に説得を試みますが、水龍ちゃんは毅然とした態度で断ります。


「そ、そんなこと言わずにですね……、そ、そうです、新ポーションを作るかどうかは後ほど考えるとして、とりあえず薬師ギルド会員復活をはかりましょう!」

「お断りです」


「こ、こんなチャンスは、二度と現れないのでございますですよ?」

「お断りします。お引き取りください」


 七三男の必死の提案も水龍ちゃんには全く通じません。


「やれやれ、では、今一度、詳しくお話をさせていただく所存にございます」

「もう十分です。お引き取りください」


「ここで帰るわけにはまいりません。こうなれば、私の話をご理解いただけるまで粘り強く聞いていただく所存にございます。――」


 七三男が話を継続する意向を示し、水龍ちゃんがうんざり顔で帰るように促しましたが、彼は自分の要望が通るまで居座るくらいの勢いで、再び長話を始めてしまいました。


 そこへ、警察官がやって来ました。おばばさまが、お隣さんに頼んで呼んでもらったのです。


「警察だ。薬師ギルドの者が長居して迷惑していると聞いたのだが?」

「うっ、いやいや、迷惑などかけては……」


「迷惑です」

「迷惑じゃ」


 警察官が、事情を聞こうと声を掛けると、七三男は、たじろいで言い訳を始めましたが、水龍ちゃんとおばばさまが、きっぱりと迷惑宣言をしました。


 結局、警察官が詳しい事情を聴くと言い出すと、七三男は、用件は済んだと言ってそそくさと帰って行ったのでした。

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