ヴィクトリアの秘密の手紙~銀のなめくじの謎~
oxygendes
第1話
私は
かつてウースター公爵家の地方屋敷であった館は売却され、現在は内装のほとんどをそのままに歴史博物館となっていた。敷地の正面に設けられた入口を通り、多くの観光客が館に出入りしていた。入口の左右、そして館の周りには多くの守衛が配備されている。
私はインヴァネスコートのポケットから小型双眼鏡を取り出し、館を観察した。左右対称に作られた館は正面に破風屋根の玄関の間があり、左右の煉瓦造りの壁に等間隔で窓が並んでいた。向かって左側、西南の隅にあるのが書斎の間で、目指す女王の書簡はそこに隠されているはずだ。二つある窓には鎧戸が付けられ、中の様子を窺うことはできなかった。
ウースター侯爵家の
ヴィクトリア嬢によると、密書は彼女と同じ名前の偉大なる女王の治世に、当時のウースター侯爵が東洋の某国皇帝に届けるよう女王から託されたものの、突然の戦争勃発により使送は中止、そのまま侯爵の手元にとどまったものだとことだった。情勢が変化し、公開されれば新たな紛争の元となりかねないその書簡を一族は隠し続けた。長い年月の間に隠し場所がわからなくなった書簡を見つけ出してほしいと言うのが、ヴィクトリア嬢の依頼だった。
私は侯爵家に残されていた備忘録や信書、旅程記録を基に探索を行った。途中から、同じく密書を狙うドレイク一味との競争も加わったものの、密書がこの館の書斎の間に隠されていること、具体的な隠し場所は侯爵家に伝わる銀のペンダントに書かれていることを突き止めた。ドレイク一味はこの二つの手懸りにはたどり着いていないはずだ。
ヴィクトリア嬢には銀のペンダントをここまで届けてもらうよう依頼済みだ。彼女の
「カーティス様」
背後からの心細げな声に振り向くと、五メートルほど先の木々の間にメアリが立っていた。青ざめた顔と、ロンドンの屋敷でヴェールを被ったヴィクトリア嬢のそばに控えていた時との体形の大きな違いは、まずい事態が起きていることを示していた。
「ごめんなさい。こんな姿をお見せしたくはなかったのですけど……」
メアリは両手を
「おかしなことをすると、お嬢さんのかわいい
メアリの後ろに、ドレイクが数人の手下を従えて姿を現した。相変わらずのひげ面に下卑た笑いを浮かべている。
「時限装置は既に起動している。あと三十分で爆発だ」
ドレイクの言葉で、メアリの大きな目に涙がたまる。
「無理に外そうとしても爆発する。無事に外すには俺の持つ鍵を使うしかない」
奴は自慢げに胸を張った。
「そこで本題だ。銀のペンダントは既に私の手の中にあるのだが、それが示すと言う密書の隠し場所がいまいち分からないんだ」
ドレイクはポケットから小さな銀色のものを取り出した。
「お前は謎を解くのが得意だそうだからな。俺たちのために謎を解いてもらう。お代はそこのお嬢さんの命だ」
私に考慮の余地はなかった。
「わかった。解いてやるからそれをよこせ」
「物分かりがよくて助かるよ」
ドレイクは銀色のものを私に放った。右手で受け止め、手に取って眺める。それは銀製のペンダントヘッドだった。長さ五センチほどでなめくじの形をしている。
「銀のなめくじ……」
「三分やる。その間に解け」
ドレイクの言葉は聞き流し、ルーペでペンダントを観察した。二対の触角に頭部、腹足と、ペンダントは写実的に作られていた。なぜ、なめくじなのだろう? 何か意味があるはずだ。ひっくり返して裏面を眺める。裏面も写実的だが、よく見ると疵のようなものがあった。
向かい合わせの三角形、そして斜めの線がいくつか並んでいる。
ː/ ː /
この間隔にも意味があるのだろう。
そうか、銀のなめくじ、silver slugにこれを合わせるのだ。そうすれば……。だが、二つの解釈が可能だ。どちらが……。
「どうだ、解けそうか?」
「もう解けた」
私は顔を上げ、ドレイクを見据えた。
「教えてやるから、鍵を渡せ」
「ふざけるな、答えが先だ」
私は涙をためた目でこちらを見つめるメアリに目を走らせた。できればすぐに助けてやりたかったが仕方ない。
「わかった。こいつをよく見てみろ」
銀のなめくじをドレイクに放る。
「裏に刻まれている記号があるだろう。ː/ ː / とある。これをsilver slug銀のなめくじの綴りに合わせるんだ。ːは長母音で伸ばす音、/は単語の切れ目だ。そうすると、silver slug シルバー スラッグ は、siː/lːver /slug。 シー ルーバー スラッグ で see louver slug となる。louver は鎧戸、slug は『なめくじ』ではなく『強く打つ』の方の意味だ。文としての意味は『見ろ 鎧戸 強く打つ』になる。館の書斎の間の窓は鎧戸になっている。それを強く打つと、隠し場所が現れるということだ。
「な、なるほど」
ドレイクは私の説明に納得したようだ。
「まあ、そんなことだと思っていたぜ」
銀のなめくじをポケットに収め、代わりに銀色のものを取り出した。鍵だ。
「では、俺たちは密書を取りに行こう。そうなると、お前をここに足止めしないといけないな」
ドレイクは鍵を握って、振りかぶった。
「おい、やめろ」
「
奴は叫びながら鍵を投げた。鍵は銀の流星となって飛んでいき、十数メートル先の茂みの中に落ちた。
「じゃあな、無事に鍵が見つかることを祈っているぜ」
ドレイク一味は足早に立ち去って行った。
「カーティス様、どうか早く」
涙目のメアリに哀願され、私は鍵が落ちたとおぼしき茂みに向かって駆け出した。
茂みの中をはいつくばって探し、十分ほどで鍵を見つけることが出来た。メアリの下に駆け戻り、錠を外して爆弾を取り外す。内側にあったスイッチで、時限装置も停止することができた。穴を掘って、爆弾をその中に収めた後、恐怖と緊張から解放されて泣きじゃくるメアリに抱きつかれ、たっぷり五分間は次の行動ができなかった。
ようやく行動ができるようになった私は、メアリと共に丘の上から館の様子を窺った。
「ごめんなさい、私のために密書を奪われることになってしまって。私、駅を出たところでいきなり襲われたんです。五人がかりで‥‥‥」
「いや、たぶん大丈夫だ。ほら、ご覧なさい」
眼下の館を指さす。ちょうどドレイク一味が館の前に姿を現したところだった。
一味は敷地に侵入し、書斎の間の外壁の周りにたどり着いた。ドレイクが右側の鎧戸に近づき、腕を振り上げて鎧戸を殴りつける。発現する変化を捉えようと、一味は鎧戸や壁をきょろきょろと見回していた。だが、三十秒が経ち、一分が過ぎても何の変化も現れなかった。ドレイクは二度三度と鎧戸を殴りつけたが、結果は同じだった。
次にドレイクは左の鎧戸に近づき、そちらを殴り始めた。だが、やはり何の変化も現れない。しまいには一味は二手に分かれて、全員で鎧戸を叩き始めた。
そうしているうちに館の内部で動きが起こった。あちこちの窓から人が顔を出し、一味の様子を不審そうに眺める。やがて玄関の間の扉が開き、警備員の一団が出て来た。警棒を振り上げ、書斎の間の方に向かう。
警備員の接近に気付いたドレイクは、一味に鎧戸を叩くのをやめさせた。もう一度、恨めし気に鎧戸を睨みつけた後、警備員の到着の寸前に一味とともに脱兎のごとく逃げ出した。警備員はその後を追う。一味が駆け込んだ茂みから、黒い車が飛び出した。
館から離れようとする車の前に、回転灯を光らせた警察車両が現れた。黒い車は急転回して逃げ出す。二台の車はカーチェイスを繰り広げ、地平の彼方へ消えて行った。
「ほら、大丈夫だったろう」
「そのようですね。でも、どうして?」
メアリは首を傾げた。
「ドレイクに話した解読には嘘を混ぜていたのさ。密書はまだ館にある。これから、取りに行くんだ。手伝ってくれ」
彼女は目をしばたいた。
「私にできるのでしょうか?」
「大丈夫だよ」
彼女の分も含めて準備は整っていた。
一時間後、警察の制服を着た私とメアリは、書斎の間の外、二つの鎧戸の前に立っていた。事件の証拠採取に来たと警備員に居丈高に通告したら、身分証の提示を求められることもなく、ここに入ることが出来たのだ。
私は右の鎧戸の前に立ち、メアリを左の鎧戸の前に立たせる。
「ドレイクへの説明では、ː/ ː /をいれて、シー ルーバー スラッグ になると言ったけど、切れ目の位置が違うんだ。二つ目の切れ目はsの後ろに入り、siː/lːvers /lug 、 see louvers lug になる。
louverが複数形になって、次の単語は slug 『強く打つ』 でなく、lug 『強く引く』だ。
文としては、『見ろ 複数の鎧戸 強く引く』になる。鎧戸を掴んで、合図をしたら思い切り手前に引いてくれ」
「はい」
メアリは上気した顔で答えた。
「一、二、三、引けっ」
掴んだ鎧戸を手前に引く。確かな手ごたえと共に、壁の中からカチッと言う音が聞こえた。鎧戸を離して壁を見ると、煉瓦の一つが五センチほど手前に浮き出している。掴んで引っ張ると簡単に外れ、その奥が空洞になっていた。覗きこむと、その中に一つの封筒が格納されていた。指を差し込んで封筒を取り出す。駆け寄ってきたメアリは目を輝かせていた。
だが、何かおかしかった。ヴィクトリア女王の密書なら百年以上前のものなのに、その封筒は真新しい。とにかく中を調べる。入っていたのは折りたたまれた一枚の便箋だった。便箋を開くと……。
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親愛なるカーティス様
まず、お詫びを申し上げないといけません。今回の依頼は、真の依頼をあなたに託すことが出来るかどうかを試すための試験でございました。この隠し場所は、そもそも私が以前から承知していたものでございます。
この探索において、あなたが真の依頼を託すに値する、知性、行動力、信頼性をお持ちの方であると確認させていただきました。ぜひ依頼を引き受けていただきたいと思います。
あなたを騙し、試験させていただいたこと、誠に申し訳ありません。けれども、これはどうしても必要なことでした。ここで明かすことはできませんが、真の依頼は我が国の存続にかかる非常に重要なものなのです。
詳しいお話は私どものロンドンの屋敷でさせていただきます。どうぞ早急に屋敷までお越しください。
ヴィクトリア拝
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なんてことだ。依頼そのものが仕組まれたものだったとは。彼女の言い訳なんてどうでもいいが、真の依頼とはいったい何なのだろう。
ふと目を上げて、メアリがこちらを見つめていることに気付く。その視線は手紙にではなく、私の顔に向けられていた。先ほどまでと違い、取りすました、感情を窺わせない表情をしている。だがよく見ると、彼女の口の端がほんのわずか上がっていた。そうか、そういうことだったのか……。
「どうぞ」
私は手紙と封筒を重ねてメアリに渡した。彼女は手紙をちらりと見て、すぐ封筒に収めた。その表情はすまし顔のままだ。手紙の内容を既に知っていたに違いなかった。
私は彼女に語りかけた。
「ドレイク一味の妨害を含め、どこまでが仕掛けだったのかなんて、無粋な質問はしません。ただ、一つ思いついたことがあります。これだけ手の込んだ仕掛けをする令嬢ならば、試験のクライマックスの部分は自分の目で確かめようとするのでないかとね。それも一番近くの特等席で」
話しながら見つめると、彼女の表情がゆっくりと微笑みに変わっていった。
「何をおっしゃっているのかわかりませんわ。でも、ロンドンの屋敷にいらっしゃるのですよね。それならば、私もご一緒させていただきますわ」
「では、参りましょうか。
こうして、次の謎を解くための旅が始まったのであった。
終わり
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