鬼ではない子どもたち

阿部登龍

鬼ではない子どもたち

 ようこの頭をずっと押さえていると、髪の下の皮ふ、さらにそれをめくったところにある頭の骨をつかんでいる気がしてくる。ヤスリを使うと、その感じはもっと強くなる。ごりごりという感触が骨を伝わって頭を押さえた左手まで伝わってくるからだ。

 ヤスリの位置を変えると、ようこが緊張するのが頭皮の感じでわかる。鏡台の鏡を見ると、つむった目尻に力が入っていた。二三度ヤスリを往復させてから、ぼくは手を止める。

「痛くない?」

 ようこが目を開け、あわてて首を振る。ぼくの手もそれに合わせて左右に振られる。

「あ、だいじょうぶ。ちょっと、こそばゆかっただけ」

 鏡越しに目が合う。困ったような顔。おでこに前髪が二本貼り付いている。

 ようこはぼくの一学年上だけど、ぼくより子どもっぽい。本土の女の子たちみたいにお洒落もしないし、ぺちゃくちゃ喋るのも得意じゃない。一度だけ、島にやって来た母さんに会わせたときは、島の子だからだと言っていたけど、そうじゃなくて、ようこだからだと思う。

「なんでもない。じゃあ続けるよ」

「うん」

 ぼくは、ようこの角を見る。

 むかし、父さんが筍採りに連れていってくれた。ちょうどあんな感じ。細い髪の合間から四センチくらいの角が二本、にゅっと突きでている。位置は後ろのほう。色は白で、角度によってはほんのりピンクに見える。角は骨とつながっているというから、皮ふの下の骨もこんな色なのだろうか、と思う。

 ぼくはまたヤスリの位置を変えた。前後に擦ると、ぱりぱりと乾いた薄皮が剥がれ、ようこの髪に雪みたいに積もる。そうして剥かれた角は木の芽みたいにつやつやだ。薄皮は放っておくとどんどん溜まって固まり、角付きの子は、それがたまらなく痒いんだそうだ。

 島の小学生は、ぼくで十人目。角が生える子どもは一学年に四人くらいらしいから、島の子どもは角のある子を見たことがなく、ようこはいつもオニやアクマなどとからかわれている。

 痒みに困ったようこが相談しても、先生や医者はまともに取り合ってくれなかった。お母さんは娘を産んですぐ亡くなったし、忙しい漁師のお父さんに相談はできないという。

 だから隣に越してきたぼくが、こうやって彼女の角を磨いている。

 最初は学校の帰り道、名前の文字が同じだと言って話しかけたはずだ。

 陽翔はるとと陽子。

 ぼくが預けられている祖父の家とは隣同士で、仲良くなるのに時間はかからなかった。海岸で磯遊びをしていたとき、ぼくの目を盗んでカリカリと角を掻いていたようこに、ぼくから角研ぎを提案したのだ。

 厚くなった皮を削り落とすのは、けっこう大変だった。まずは温タオルでやわらかくして、それから祖父の工具箱から借りたヤスリを使った。ようこは見知らぬ感触と恥ずかしさに目を回して悲鳴を上げた。ぼくはそれを鏡越しに見物した。

 ぼろっと取れた半年ぶんの塊は、光に透かすと地層のような縞をつくっていて、ぼくが持ち帰ると言うと、めずらしくすごい勢いで怒られた。人間ってこんなに真っ赤になれるんだな。本当は、そういうときには角の色もいっしょに変わるのか見せてほしかったけど、さすがに訊かないほうがいいのはわかった。

 それから毎週日曜日、祖父母が町内会の集まりに出かけたあと、ようこはやって来た。

 もう四か月になる。

「こんなものかな」

 祖母の手鏡を掲げる。ようこは合わせ鏡をにらみながら、自分の角をつんつんと触る。同窓会に行く母さんに美容室に付き合わされたのを思い出して、ちょっと可笑しい。ようこは誰かに見せに行くわけじゃないのに。

 鏡越しに、ようこがこっちを見ているのに気づいた。

「何?」

「陽翔くん、あのね、いつもありがとう」

「なんだよ今さら」

「でも、陽翔くんのおかげで、私、勇気持てるようになったから」

「大げさだなあ」

 ぼくは笑おうと思ったが、鏡の中の真剣な表情に気づいて引っこめた。

 一度引っこめると続きの言葉は出なかった。

 ようこからも何も言ってこないから、ぼくらは黙って鏡越しに見つめ合った。ようこの顔がみるみるピンクになる。目を逸らした先で、角はたしかにいつもより赤い。

 ぼくは自分の心臓がなくなってしまったと思った。

「だから私、今日ね。あの、告白しようと思うんだ」

「えっ?」

「あ、私なんかが、おかしいよね」

「だれに」

 なんとかそう訊けた。

「えっと、あのね。海くんに」

 そこから先の記憶はあやふやだ。何か励ますようなことを言ったはず。そういえば今日はやけに可愛らしい服装だ。じゃあ本当に見せにいくんじゃないか。自分が可笑しくなった。待ち合わせはあの海岸だと、ようこは言った。

 海くん。

 羽田海は六年生で、運動が得意だ。勉強はぼくのほうができたけど、面白い子で、ぼくもたまに遊んだ。海くんはようこと同い年の幼なじみだ。

 でも、ぼくは彼がようこのことをオニやアクマと、いつもからかっているのを知っていた。

 ぼくは一度もそんなことはしなかった。

 それとも、そうするべきだったのだろうか。

 そうしたらよかったのか。

 気づいたら夕方だった。祖母たちが帰ってきて、夕食をとりながら、ぼくはようこの髪に付いた雪を払い忘れていたと気づいた。

 ぼくはようこのことが好きだった。


 次の日、ようこは学校に来なかった。

 体調が悪いと嘘をついたぼくに担任は、隣の家だからと、ふたり分のプリントを渡してきた。よく考えれば、病人のところに病人を行かせるのはおかしいので、たぶん仮病だとわかっていたんだな、と下校の途中で気づいた。

 ようこの家は鍵が掛かっていた。島では滅多にないことで、仕方なくプリントを郵便受けに入れて家に帰った。

 玄関に立つと、納屋の方に人の気配があったのでそちらに向かった。祖父も祖母も牛舎に行っている時間だから今はいない。泥棒が行くなら家だろうし(鍵は掛かっていない)、そもそもこの島には泥棒はいない。

「やっぱり」

 ようこの肩がびくんと跳ねた。

「何してるの」

「あっ、あの。そうじゃなくて」

 泣き腫らしてぐしゃぐしゃな顔で言い訳しようとするようこを、置いてあったプラスチックの椅子に座らせた。

 ようこの話は、学校で海くんが言いふらしていた話とだいたい同じだった。

 海くんは悪くないと、ようこはしきりに言った。たしかに悪くないのかもしれない。ふだんから彼はようこの角をからかっていたのだし、オニやアクマと呼んでいたのだし、角のある女なんかと付き合うわけないだろと答えるのは、それは当たり前だった。

「それ」

 落ち着いたところで、ぼくはようこが持っているヤスリ(ぼくがいつも使っているやつだ)を指さした。ようこは自分の角をぎゅっとつかんだ。

「こんな物、生えてこなければよかったって。だから」

「だから切ろうとした?」

 ようこはこくりと頷いた。

「それじゃ無理だよ」

「そうだよね……」

「できるよ。角を切るの。やってあげる」

 ようこが顔を上げた。納屋は暗くて表情はよくわからなかった。

 ぼくたちはいつものように祖母の部屋に行った。いつもと違うのは、ようこが座る椅子とその下に、ビニールシートを敷いたことだ。

「すごく伸びたね」

 ようこの角は十センチ近くになっていた。

 角は、持ち主のはげしい感情によって一気に伸びることがあるらしい。

「うん。昨日、あ、海くんの前で。それで、きもち悪いって……」

「……すごく痛いと思うけど、それでもいい?」

「おねがい」

 ぼくの言葉に、ようこはぐしゃっと笑った。

 ぼくは角に触れた。昨日のままつるつるした表面を撫でて、「動かないでね」と言った。

 除角器を角にあてがう。大きなペンチのようなそれは、祖父が仔牛の角を切るときに使うものだ。

 バチン。

 ようこが声にならない悲鳴を漏らした。角の断面からは思ったほど血は出ない。ぼくがもう一本にも除角器をあてがうと、ようこは嫌がるように首を動かしたが、ぼくはそれを押さえた。

 バチン。

「ぎうう」

 両方の傷口から髪をつたって血が落ちる。シートを敷いて正解だった。ぼくが除角器を下ろすと、涙を流しながらようこは顔を上げ、自分の頭を鏡で確認しようとする。

「ちょっと待って。血が飛び散るから」

「お、終わったの?」

「まだ」

 ぼくが持っている道具は、ガスバーナーと同じ形をしている。ただし口の部分は鉄で塞がれていて、そこが炎で熱されるようになっている。

 ガス式の焼きごてだ。

 頭に触っていなくとも、ようこの体が固くなるのがわかった。

「これで焼かないと、血が止まらないし、また生えてくるかも」

 祖父から聞いたのは牛の話だけど、きっと人間も同じだろう。ぼくの言葉に、ようこは肩を震わせながらも、ゆっくりこちらに頭を差し出してきた。

 ぼくはその後頭部を押さえて、

 じゅうぶん熱したこてを傷口に押しつけた。

 こての端から白い煙が出てきて、焦げくさい臭いが部屋中に広がった。逃げようとするようこの頭を押さえつけて、二秒を数える。こてを離した。ようこが体ごと逃げようとするので、ぼくは頭をつかんでそれを止めた。すこしだけ揉み合いみたいになったが、すぐにようこは抵抗を諦めて、大人しくなった。

 ぼくは息を荒げながら、加熱の終わったこてを、ふたたびようこの頭に当てた。

 震えがきた。

 ぼくの左手はようこの頭をつかんでいて、皮ふの下の骨を触っていて、さらにもっと奥の、骨をめくり上げた先まで、つかんでいるような気がしていた。

 二秒たって、こてを離した。

「終わったよ。これで、二度と角は生えてこない」

 ぼくが言うと、ようこはそっと自分の頭の傷跡に触れた。そこにはもう何もない。ようこがこちらをふり返る。

「あのっ、ありがとう。陽翔くん、私」

「いいよ、気にしなくて」

「私、えっと、あの。帰るね」

 ようこは気まずそうな泣き笑いの顔でそう言うと、縁側から帰っていった。

 ぼくは血まみれのブルーシートと角切り道具を見る。片付けないと。

 それからふと、鏡台を見た。

 鏡の中のぼくは満面で笑っていて、頭からは二本の角がのびている。 

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