6話 花子さんと神隠し
「去年の12月くらいのことです」
田中京香はぽつりぽつり話し始めた。
その日の放課後、教室の掃除をクラスメイトに押し付けられた田中さんは体調が悪かったのにも関わらず断ることが出来できなかった。
こういうことは今に始まった事ではない。クラスの委員長も半ば押し付けられるように田中さんに決まった。
『どうして私が』と怒りが込み上げてくるが、そんなこと言える勇気はなかった。
腹痛に耐えながら一通りの掃除を終え机を定位置に戻すと、四階のトイレに駆け込んだ。
四階のトイレはなぜか使う人が少なく、いつでも一人になれる穴場なんだそうだ。
トイレに篭ってしばらくのこと、人が入ってくる気配があった。
ここ使う人がいるんだ、と珍しく思ったが、その気配は京香が入っている個室の前で止まった。
コン、コン、コン。
「はーなーこーさーん。あーそびーましょー」
ノックと共に聞こえたのは男性の声だった。
いきなりのことに動転していた。
口を強く押さえて男が去るのをジッと待った。
そんな京香をよそに、男は扉をガタガタと揺らし始めた。
ガタガタガタ。コンコンコン。ガタガタガタ。
「……ひっ!」
執拗に扉を揺すられ、必死に我慢していた喉の奥の悲鳴が漏れてしまった。
それを聞くと男子はそそくさとどかへ行った。
その後も彼女は外に出ることができずにしばらくの間その場で声を殺して泣いていたという。
「憎い?」
その時、幼いくともはっきりとした女の子の声がドアの向こう聞こえた。
「……え」
足音も何も聞こえなかった。今その場で出現したように突然だった。
「クラスにも馴染めず、日直や掃除を押し付けられて、その上女子トイレ男子が入ってきて、こんな嫌がらせをするなんて――あなた、彼らが憎くないの?」
決定的ないじめは起きてない。ただ、いいように使われるのに不満を募らせていたのは事実だった。
断れたら楽なのに、とは思うけど断るのにも精神を摩耗する。
断れてもその罪悪感が田中さんを苛む。
「はぁ、こんな思いばっかり、もう嫌」
今までため込んだ感情がため息と共に零れ出る。
「わかった。私がやり返してあげるわ」
「え?……ちょと、まって! あなた誰なの!」
急いでドアを開けてると視界の端を赤いスカートが駆け抜けていく。追いかけるころには女の子の姿はどこにもなかった。
「それから一週間くらいした後だったかな。花子さんの噂話を男子がしてるのを聞いちゃって……その、ごめんなさい。私のせいで」
そう言うと田中さはんは視線を下に落とした。まるで懺悔でもするかのようだった。
トイレを出ると外はすっかり暗くなっていた。暗い校舎をおどおどした田中の気配を背後に感じながら廊下を歩く。
「じゃあ、部室前にいたのって」
「このとこについて、常間くんに相談しようと思ってオカルト研究会の部室にいったの、常間くんだけは私に優しかったから……」
伏し目がちの目でチラチラと常間先輩を見つめている。
一方でその常間先輩と言えば、さっきから黙ったまま何か思いつめるように眉間を抑えていた。
「先輩、さっきから黙ってるけど、どうしたんだよ」
常間先輩はハッとして、立ち止まった。フゥっと深いため息をついて、悩ましいく目を閉じた。
「……その、男ってのは俺のことかもしれない……」
すまなかった、と深々と頭を下げる。
「おい、いきなりどうしたんだ」
怪訝そうに聞くが常間先輩は口を閉ざしている。
「やっぱり、常間くんだったんだ」
常間先輩は驚いた表情で田中を見上げた。
「知っていたのか」
ふふっと口元を隠して笑う田中はとても可愛らしい。
「同じクラスになってから声が似てるなってずっと思ってたの。それにオカルト好きって聞いたから、もしかしたらって」
「田中さん、あの時は本当に悪かった」
常間先輩はより深く頭を下げる。
「ううん。大丈夫。常間くんが悪い人じゃないのはちゃんと知ってるから、顔上げて」
彼女が花子さんにあったあの日、女子トイレに現れた男子のは常間先輩だったのか。
そういえば先輩は、以前もトイレの花子さんのことを調べたと言っていた。
男子生徒の中で噂が広まったのもその後だったとか。
どおりで花子さんは殺意むき出しで常間先輩を襲ったわけだ。
「私、もっと強くならなきゃね」
そう言って田中京香は照れくさそうに笑った。
「まぁ何がともあれ、大事になる前に花子さんが大人しくなってくれりゃいいんだがな」
「きっと大丈夫だと思います」
「どうしてそう思うの?」
「分からないけど、他人の気がしないというか、優しい子だって分かるからこれ以上は何もしないと思います。お祓いとかはその、やめてください」
田中さんはアタシの力強い目で見て言った。
アタシは常間先輩に冷たい視線を送る。
女子トイレに入った挙げ句、田中さんのいる個室をノックという最低の行いを許してしまう田中さん。幽霊を祓わないでと懇願する田中さん。いくら何でも人が良すぎだ。
「先輩……田中さんがいい人だな」
「へへっ」
常間先輩はなぜか照れたように笑った。
アタシは田中京香の目を真っ直ぐ見て答える。
「もとよりそのつもりだよ。害意がないならこっちから構う必要はない」
ただ、また誰かを害することがあれば容赦はしない。そう心の中で付け足して。
校門前まで来て、2人に背を向けて歩く速度を上げる。
何やら常間先輩と田中京香の間には少し特別な感情があるように思えた。さすがのアタシも2人の空間に居座るほど野暮ではない。
すると「まって」と田中さんに引き留められた。
「あの、えっと、ありがとうございます……」
言い淀む彼女を見て自分がまだ名乗っていないことに思い至った。
「此木鈴那。1年だ。アタシは何もしてないよ。花子さんを止めたのはアンタだろ」
彼女はううんと首を横に振る。
「でも、ありがとう。玲那さん。あなたがいなかったら私のせいで常間くんが……」
感謝を言われてもアタシは本当に大したことはしていない。花子さんを殴っただけだ。アタシにできるのはそれだけだ。
これ以上謙遜しても仕方ないのでこの会話は常間先輩に預けるとしよう。
「だってよ。常間先輩。田中先輩がいい人でほんと良かったな」
振り返って常間先輩の方を見ると、誰もいない。
街灯の光に照らされた門扉のレールがそこにあるだけだ。
「おい、先輩……」
あたりを見渡しても彼の影ひとつ見当たらない。
「常間くん? あれ? なんで……?」
動揺する田中さんの手を引く。
やられた。アタシたちは騙されたんだ。花子さんは諦めていなかった。消えたように見せかけて油断するのを待っていたんだ。
知っていたはずだろ。怪異は人を騙す。これはアタシの失態だ。
「うそ……」
どうして、とその場に泣き崩れる田中さんに掛ける言葉が見つからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます