言い訳だらけの皺寄せ

石衣くもん

いいわけ

「言っても無駄だから言わなかっただけです」


 怒りを静かに湛えた息子は、まっすぐ主人に向かってそう言った。

私は、情けないことに息子に、何も言えなかった。


 喧嘩で相手に怪我をさせてしまったという電話が、息子の高校からかかってきた時、運悪く主人が在宅勤務の休憩中だった。

 一瞬、何を言われたのか理解できず「うちの息子が人様に怪我をさせたってことですか?」と、丁寧におうむ返しをした所為で、主人に言い訳を考える間もなく、バレてしまったのだ。


「今の電話、なに?」


 私が電話を切ってすぐ、主人は冷たい声で私に詰めよってきた。

 けれど、言葉が上手く出てこず、あの、とか、その、とか言ってる間に、痺れを切らした主人に頬を張られた。

痛みと混乱で涙が滲む。

 イライラした口調でもう一度問い質され、息子の学校から、クラスメイトと喧嘩して息子が相手に怪我をさせた旨を説明した。


「わかってるよ、それは、聞こえてたから、なんでそんなことになってるかって聞いてるんだよ!」


 険のある言い方から、最後は怒鳴られて身がすくんだ。

いつから、私はこの人のことを怯えるようになっただろうか。

今はそんな場合ではないのに、現実逃避のように余計なことを考えてしまう。


 我が家は、もう破綻寸前だった。

潔癖で、妻にも息子にも完璧を求める夫。

家では感情表現を殆どせず、コミュニケーションを取らなくなった息子。

いい妻であろうと無理をして失敗し、夫からも息子からも見下されている私。


 私は、私さえ我慢すれば、なんとかなると思い込もうとしていたが、とっくに家族として成り立たなくなってしまっていたのだ。

結果が、理由がわからない息子の校内暴力。

良い大学に入って、良い会社に勤めろと言われても「はい」としか言わず、今までは優秀な成績をおさめていたけれど。

一貫の終わりだ。


 悪い空気を、さらに悪化させるであろう息子が帰ってきた。

 怪我をさせたが、本人は無傷らしかった。


「言い訳はあるか」


 いきなり、主人にそう言われても眉一つ動かさず、息子は「何がですか」と言った。


「私をバカにしているのか?」

「蹴られたので、蹴り返したらバランスを崩して自分で倒れたので、学生同士の他愛ない喧嘩です」

「イジメにあってるの?」


 違和感のある「蹴られた」という単語に、思わず口を挟めば、淡々と「はい」という返答。

 私はヘナヘナとその場に座り込んだ。

 喧嘩などではなく、イジメられていて、今日初めてやり返したということだった。


「イジメにあっていると何故言わなかった!」

「言っても無駄だから言わなかっただけです」


 悪口を言われたり、殴られたり、蹴られたり、そんなひどい目にあっていたというのに、私はまったく気がつかない、母親失格だ。

 けれど。


「今まで、気づかなくてごめんなさい、つらかったね」


 歪な家族にしてしまった。

 我が子に助けを求めさせることもできなかった私が、今できることは、何なのか。

 決して、考えることから、逃げてはいけないのだ。

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