第2話ビギナー2

 俺は話そうと決心したばかりなのに、いざとなると口が動かなくなる。


「無理に話されなくても、大丈夫ですよ」


 マスターが俺の気持ちを察したのか、言葉を掛けてきた。


「だ、大丈夫です」


 俺は深く深呼吸をして目の前のコーヒーを飲み干し、気持ちを落ち着かせる。


「俺、病気の母がいるんですよ」


 話し始めると、マスターは何か品定めをするような視線を向けていた。彼の鋭い眼光にあてられた俺は、店頭に並び値踏みされている商品のような感覚になり、商品としての価値を示すために話しているようだった。


「俺、最近仕事をクビになりましてね、実家に戻ることにしたんですよ。で、仕事を探し始めるんですけど、仕事は中々決まらなくて。」


「……」


「そんな俺に、母親は大丈夫だよって言ってくれるんですよ。働いていた時、こっちは何もしてあげられなかったのに。でも、あらためて親の有難味がわかりました」


 矢継ぎ早に俺は言葉を絞り出す。マスターは相槌をしないものの、俺の話に耳を傾けてくれていることは感じ取れた。


「でもある日、知ったんです。母が病気だってことを。今までそんな素振りを見せなかったから、というか俺が無関心だったから」


 気付けば、俺は自分の目頭が熱くなり、身体が少し震えていることに気付く。


「手術するには大金が必要で……でも無職の俺にそんな金用意できなくて。でも、そんな時、俺に大金が手に入る仕事があるって、ある男に言われて」


「……」


「藁にも縋る思いだった俺は、その男の話に乗ることにしました」


「その仕事が殺人だったということですかな」


 マスターが突然沈黙を破り、俺に話しかける。


「え、あ、は、はい」


という言葉を、俺自身がまだ受け切れていなかったというのもあるが、急に話を振られたことで焦り、たどたどしく言葉を返す。


「そ、そして、仕事を受けることにした俺は、その男に組織のような所に連れていかれて、後に引けなくて、そのまま契約してしまいました」


「契約ですか」


 俺は全てを話した。神父様に全てをさらけ出し、犯した罪を懺悔するような感覚だった。とにかく赦されたかったのかもしれない。


 俺の話を聞き終わるとマスターが、スッと立ち上がった。


「その契約に、組織に関わる内容に関しては一切の他言は無用との記載はございませんでしたか」


 俺は息を呑んだ。マスターの雰囲気が急に変わったからだ。確かにその記述には覚えがあった。今俺は、死神に背後から抱擁され、心臓を鷲掴みにされているような感覚だった。


 額から汗がこぼれ落ちる。マスターがカウンターから片腕を伸ばそうとしているのが見て取れた。


 殺される?


 スッ


「ひっ」


 俺は咄嗟に、自分の顔を両腕で守った。


「……」


「コーヒーのお代わりはいかがですか」


「……え?」


 予想だにしていなかったマスターの言葉にあっけにとられた。彼の人生でベスト3入りするくらいには、言ってきた言葉に違いないのだが。


 しかし、俺自身この状況でその言葉がでてくるとは、なぜか微塵にも思わなかった。防御で構えた腕の隙間から彼を覗き込む。マスターは飲み干されたカップを手に取り、俺の返事を待っていた。


「あ、もう大丈夫です……コーヒーもですが、……そうですね。殺人も」


 店内が沈黙で満たされ、時計の秒針を刻む音が店内を支配する。


「そうですか」


 しばらくしてから、マスターが言った。


「俺、これから自首しに行こうと思います。マスターがお代わりを聞いてきたとき、なぜか殺されるかと思いました。もうそれくらいずっと気が動転してるみたいで」


「あなたに人殺しは向いていない」


「はい、そうですね」


 マスターがカップとソーサーを片付け始める。


「いくらですか」


「お代は結構です。もう頂いておりますので」


「え?」


 彼の言葉を理解できなかった。


「どういう」


「一つだけご忠告を」


 さっきの鋭い眼光が、再び彼の目に宿されていた。


「秘め事は、無暗やたらに周りに言いふらさないほうが賢明かと存じます。どこの誰が聞いているか分かりませんので」


 ゴクッ


 彼の圧力にただただ固唾を呑むことしかできなかった。


「出所された暁には、またのご来店お待ちしております」


 そう言うと、マスターは俺に何かを手渡してきた。よく見ると名前と何かシンボルのようなマークが入った小さな紙だった。


「これは?」


「こちら、当店の名刺です」


「ど、どうも」


 俺は名刺を受け取ると店の扉に向かって歩みを進める。


「あ、あの!」


 途中、踵を返しマスターに向かって大きい声で話しかけた。


「色々とありがとうございました!」


「いえ、私は何もしていませんよ」


 カランカラン


 俺は軽くお辞儀をすると、扉を開き店を出た。そしてすぐに母に電話をした。心配を掛けたくはなかったが、向き合わないといけないと決心した。


 人を殺したこと、これから自首をすること。母は泣きながら、大丈夫だよと、私はあなたの味方だからと相変わらず励ましてくる。


 俺の持っていた携帯が、どこからか突如湧き出た液体で濡れていた。故障させてはいけないと携帯を体で拭った後、俺は警察へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

喫殺店 @mlosic

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ