喫殺店
@mlosic
第1話ビギナー1
「さっき人を殺したんです」
俺は、思わず喫茶店のマスターに言ってしまった。
人殺しは初めてだった。今頃になって、人を殺したときの感触や光景が逃がさんと言わんばかりに追いかけてきたのだ。そして、訝しくも妖美を感じさせる店内の雰囲気。不安や後悔が俺の中でとめどなく増幅し、堪え切れなくなった俺はダムが決壊するかのごとく吐き出してしまっていた。
「左様でございますか。本日は何を飲まれますか」
「え?」
マスターは俺の話に一切の動揺も見せず、淡々と注文を取ってくる。
「じゃあ、コーヒーをお任せで……」
「かしこまりました」
マスターの態度に、実は殺人は別に悪いことではなく、普通のことなのではと錯覚してしまう。俺は急に落ち着きを取り戻し注文を済ませる。
ポトポトポト
マスターがコーヒー豆の焙煎を始めると店内に香ばしい匂いが広がり、俺の鼻をくすぐる。一人残らず包み込み、そのままどこか遠くへ連れて行かれそうな気分になる。とは言っても、店内には俺一人しかいないのだが。
俺は軽く店内を見渡した後、マスターの方に視線を寄せた。彼の顔には歴史を感じさせるような深いしわが刻まれており、無数の勲章をぶら下げているようだった。彼の白髪が店内の間接照明で綺麗に照らされ、渋さに拍車をかけていた。
「カッコイイですね」
思わず俺は声にだしてしまった。マスターが作業の手を少し止めこちらに反応を向ける。
「あ、いやその、マスターの、その、容姿といいますか」
殺人を告白した時以上に焦ってしまい、水中で息継ぎをするかのように必死に言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます」
マスターも特に気を留める素振りを見せず返事をし、作業を再開する。
コト
「お待たせしました。当店のオリジナルブレンドでございます」
一杯のコーヒーが俺の前に置かれた。さっき以上の凝縮された香ばしい匂いが、俺の鼻めがけてストレートを放ってくるようだった。
「いただきます」
マスターが無言で頷いているように感じた。
ズズッ
「うわうま」
一口飲むと、口内を感じたことのない高雅な苦みが駆け巡る。コーヒーを普段飲まない俺でも、違いが分かるほどだった。
「お気に召したようで、なによりです」
「これ、なんの豆を使ってるんですか?」
「すみません。企業秘密なものでして」
「そ、そうですか……」
聞いたところでどうこうするということはなかったが、なんとなく寂しい気持ちになった。
「ま、マスターはどれくらい喫茶店を?」
俺は気分を変える意味を含めて、話題を切り替えた。
「40年、ほどですかな」
マスターがグラスを磨きながら答えた。
「40年ですか」
自分が生まれた年月を差し引いてもお釣りがくる。驚きというよりは感心の方が上回っていた。コーヒーの旨味や、マスターの漂わせる風格に俺は一人で納得をしていた。
「ところで」
なぜか少し、背筋がゾッとするのを感じた。
「人を殺されたというのは?」
予感は的中した。俺はマスターの言葉でギョッとし、現実に引き戻される。コーヒーや店内の雰囲気に流され忘れていたが、俺はさっき人を殺したばかりだった。
「すみません。答えたくなければ別に」
「いえ!」
マスターの言葉を遮るように、俺は声をあげていた。コーヒーと店内の雰囲気、マスターの威厳に心を溶かされた俺は、全てを吐き出したくなっていた。
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