想い出は記憶の彼方へ

桔梗 浬

友達と恋人の境目

 人は確実に年をとる。どんなにあがいても止まることはない。


『お互い30になっても独り身だったら、結婚しよっか』


 そんな話をしていたのは学生のころ。

 男と女の間に友情は成立するのか!? とか、くだらない話をしていた頃がとても懐かしい。


 友情なんて目に見えないものはガラスの様にもろく、彼氏ができて結婚をし、子どもが生まれれば友情なんてないに等しい。


 だから私は男同士の友情に憧れる。決して壊れることのない絆に心惹かれるのだ。


 『今日は久しぶりにサシで飲もう!』と連絡をしたのは私からだった。結婚の報告を兼ねて貴之たかゆきに会っておきたかったのだ。


「よっ。久しぶり! 待たせたな」

「もー遅いっ。普通遅れるなら連絡くらいするよねー!?」

「悪い悪い。はるか結婚おめでと。まさかお前が結婚するとは、物好きな男もいたもんだ」


 貴之たかゆきは生ビールを頼み、席に着く。軽く悪態をつかれるのもいつものことだ。


「ありがとう。今度私の旦那、紹介するね」

「そうだな。優子も会いたいだろうから、近々4人で会おう」

「そうね。是非」


 「腹減ったな」と言い、貴之たかゆきはつまみを頼む。私の好みを熟知しているから適当に選んでもらっても問題はない。



「優子は元気?」

「え? この前も温泉だっけ? 行ったんだろ?」


 不思議な顔で貴之たかゆきが私を見る。

 そんな目で私を見ないで欲しい。



 そう、貴之たかゆきと優子を出合わせたのは私だった。

 でも彼女のことをもっとよく知っていたら、私は彼女を紹介しなかった。


「あ、そうだった……かな? 最近忙しいって言ってた気がするけど落ち着いたの?」

「いや、忙しくしてるよ」

「そう、貴之たかゆきも大変だね」

「ま~ね。でも週末婚みたいで、なんだか最近はいい感じよ」

「え? 週末婚?」

「何も不思議なことじゃないだろ?」


 優子は土曜日に帰ってきて、日曜日には出て行くらしい。

 貴之たかゆきはアホなのか? 優子が帰ってこないのも、私と出かけてると言ってるのも、全部嘘にきまってるじゃん。


 思わずため息がこぼれる。

 本当に優子のことを貴之たかゆきは信じているのだろうか?

 貴之たかゆきたちが結婚する前だって、海外で男性と落ち合って夜な夜な二人きりで過ごしてた。私をホテルの部屋に残し……、男性の部屋で過ごしていたのだ。


 ありえない。


『だって、この瞬間は今しかないんだし、もう会うことはないなら彼との時間を大切にしたいじゃん。貴之たかゆき貴之たかゆきで、彼は彼だから』


 優子は私にそう説明した。


 優子は読者モデルで、綺麗で社交的な女性だ。男性陣も彼女を放ってはおかない。だから私にとって自慢の友人だった。平凡な私とどうして友達になったのか不思議なくらいだ。


 でも今ならわかる。

 私は彼女にとって都合のいい女友達。


 貴之たかゆきは優子を信じて日本で待っている。私は貴之たかゆきに真実を伝えるべきだった。


 でも、貴之たかゆきに真実を伝える勇気は私にはなかったし、当時は優子のことを親友だと思っていたから、私は彼女の行為に目をつぶった。


 いや違う……。

 貴之たかゆきが優子にベタ惚れしていたから、ヤキモチを焼いていると思われたくなかった自分がいたのだ。

 だって貴之たかゆきとの関係は友達以外の何物でもないのだから。


 そして貴之たかゆきは結婚した。すごく幸せそうにアホ面をしているから、私も幸せな気分になったのを覚えている。

 


 貴之たかゆきとは笑いのポイントが同じで、馬鹿なことを話して腹をかかえて笑い合える。

 我慢することも、自分を飾ることもしなくて良い。食べ物の趣味も合う。

 美味しいお酒と食事。大事な仲間との時間。いつまでも続いて欲しい。



 楽しい時間はあっと言う間に過ぎていく。


 時計を見ると、時間は23時を回っていた。終電が近い。

 

 でも今夜は時間に気づかないふりをする。

 貴之たかゆきも終電のことにふれてこない。このまま夜通し飲むのもいい。そう、こうゆう時間があったっていい。


「そろそろ~」


 お店の人が申し訳なさそうに声をかけてきた。

 もう電車はない。タクシーで帰るしかないのだ。


 酔っぱらった大人が二名。大通りをフラフラ、ゲラゲラ笑いながら歩いている。近所迷惑も甚だしい。でもこれはお酒のせい。それでいい。


貴之たかゆき~。今日はありがとう~ごちそーさまぁ~」

「おぉ~。前祝だからな~。てかお前帰れるのか?」


 貴之たかゆきの優しい声。酔っぱらって目が座ってるけど、アホみたいに優しい。学生のころみたいに、お店をはしごして朝まで飲み明かしたい。

 でも、大人にはそれは許されない。


「う~ん。タクッてくから大丈夫。心配してくれてぇありがとー!」

「もう一件行くか?」

「身体が持たないでしょ。明日も仕事ー!」


 本当はもっと一緒にいたいのに、帰ることを選択する。タクシーを捕まえないと。


 私はよろめく。


 ワザとじゃない。お酒のせいで足元がおぼつかなかったのだ。


「大丈夫か?」


 貴之たかゆきのがっしりとした腕が私を支えた。

 頼りがいのある腕が私を包む。何かが変だ。


「あ、ご……ごめん。酔っ払った〜あはは」


 体勢を整えようとした時、貴之たかゆきの腕が私を引き寄せた。


 思考回路が鈍感になった私の頭は、何が起きたか理解するまでに時間がかかった。


「……っ。うん」


 貴之たかゆきの唇が私の言葉を塞ぐ。柔らかくて暖かくて力強い。息苦しいのに、甘く蕩けるような感覚が私を襲う。


 身体中が痺れ何も考えられなくなる。

 息が上がり苦しくなってきた。


「ハァ……ハァ」


 心臓がバクバクしている。アルコールのせいだけじゃない。なぜこんなことになったのか、私が望んだことなのか……。

 心の整理ができず逃げることもできない私がここにいる。


はるか……やめろよ」

「えっ?」


 貴之たかゆきが私を抱き締め、小さな声でそう呟く。


 街灯を背もたれにして私と貴之たかゆきの距離は今までにないくらい近い。

 アルコールの匂い、貴之たかゆきの息遣いを肌で感じることができる。


「やめろよ。結婚するの」


 何それ。今何て言ったの?

 指輪を外す勇気もないくせに、今更……。


 違う。

 

 勇気がないのは私。

 そして、これは全てアルコールのせい。

 子どもの頃の楽しかった思い出を懐かしんだだけ。

 本気じゃない。明日になれば忘れてしまう。そう、忘れたふりをして生きていく。それが大人のマナー。


 クソくらいなマナー。


 それでもいい。

 私は戸惑いながらも、貴之たかゆきをギュッと抱きしめる。明日になっても忘れないように。どうせ貴之たかゆきは忘れてしまうのだろうから。


 タクシーに乗り、お互い自分の部屋に帰るだけ。

 そして、なんて事のない日常に戻る。


 ただそれだけ。



END

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