#6 一致/相違

午前11時ちょうど、天白は意外にもカジュアルな格好で待ち合わせ場所に姿を現した。すらりとした足は薄い青のジーパンに包まれ、その細さを存分に見せつけてくる。ボトムスの青に合わせたのか、トップスは鮮やかなヒマワリを思わせる黄色のパフスリーブ。そこから伸びる真っ白な二の腕が、照り付ける太陽の光を反射して輝いていた。私はてっきり、雑誌でよく見るようなワンピースで来ると思っていたばかりに、


「おお」


と、感嘆の声を漏らしてしまった。かくいう私はカジュアルな天白と図らずもリンクコーデのようになってしまったが、ワイドめのデニムパンツに無難な英字のロゴTだ。日焼け対策にUVカットの薄いパーカーを着てきたものの、予想を超えた暑さに思わず脱いでしまった。天白のお嬢様然とした腕に比べ、私の腕は筋肉質でどこかがっしりとして見える。少しだけうらやましい。


「待ち合わせ場所に到着しただけ、だけど?」


私の反応が気にくわなかったのか、天白はやや不機嫌そうに腕を組み私をにらむ。いや、そもそも私を呼び出したのは天白のほうだ。不機嫌になりたいのはこっちのほうである。深夜1時に「今日11時、上野駅、公園口集合」なんて連絡をよこした悪魔は、どうやらご機嫌ナナメらしい。


わざとらしく栗色の髪の先をいじり、不機嫌アピールをする天白。私は負けじと腕を組んで、彼女をにらみ返す。こんな平日の昼間から公衆の面前でにらみ合うアイドルなど、世界のどこを探しても私たちしかいないだろう。


「そもそも、百合営業は仕事のときだけって話は?」


「私のお誘いを承諾したのは、そっちだよね?」


そう言われると、ぐうの音も出ない。どうせ拒否したとて、あの手この手でここに来ることにはなると思っていた。だから直接文句を言ってやるつもりでいたが、まさかそれを逆手にとられるとは。


「で、今日はデートだから」


「でーと」


「そう。百合営業の第一歩として、まずはプライベートでも仲良くしている証拠写真を撮りに来たの」


それならば、最初からそうと言えばよかったのに。そう思うものの、口には出さないでおく。私の内心を読んだわけでもあるまいし、天白はさらに機嫌を悪くしたようで遂には小さな肩掛けバッグからスマホを取り出し、無言でいじり始めた。いたたまれなくなって、私は視線を天白から逸らす。険悪な雰囲気漂う私たちの隣では、外国人のカップルが熱烈にキスを交わしていた。まったく、なにもかも噛みあわない。


「とにかく、行こうよ。そのために暑いなか、来たんだし」


しぶしぶ、隣のスマホいじりさんに声をかける。天白は呆れたようにため息をひとつ、わざとらしくついてからスマホをバッグに戻す。空っぽになった彼女の右手は、「仕方がないわね」と言いたげに私の左手に絡みついてきた。反射的に振り払いそうになって、グッと堪える。相手が誰であろうと、スキンシップは苦手だ。


「なんですか、これは」


「百合営業。デートの必須項目」


淡々と答える天白に、半ば引っ張られるような形で私はようやく目的地へ歩き出した。


上野駅の公園改札口から、まっすぐ歩くこと10分。私ひとりなら、あるいはこの大量の人混みがなければあっという間に着きそうな距離をノロノロ進んで、ようやく上野動物園の入口に着く。係員の指示に従い、私たちは手を繋いだまま当日券の販売口に並ぶ。前も後ろも家族連れや老夫婦の姿ばかりで、私は居心地の悪さをごまかすようにパンダの看板を眺める。


ほどなくして私たちの番が来ると、天白がようやく手をほどき、私より半歩さっと前に出た。どうやら、ここはおごってくれるらしい。誘ってきたのは向こうだし、当然といえば当然だが。天白が愛想よく「大人2枚、お願いします」と言うのを横目に、私はパンフレットを2枚確保。邪魔にならないよう入場口の近くで待っていると、チケットを買い終えた天白が戻ってきた。


「はい、これ」


「……亀」


天白から渡されたチケットには、今日の日付と共に大きな亀の写真が載っている。陸をのそのそと歩いて、キャベツやら何やらをむさぼり食うタイプの亀だ。もしかして、絵柄が何種類かあるのだろうか。天白のチケットを盗み見ると、そこには上野動物園の目玉、超絶かわいいパンダ。私は無言で天白にパンフレットを押し付ける。


「なに」


「今日、天白が私を呼び出したから。案内してよ」


「別にいいけど。文句、言わないでね」


「もちろん」


さっきの仕返しとばかりに、天白の細い腕に自分の腕を絡める。彼女は動じる様子もなく、パンフレットをきれいに畳みバッグにしまう。そうだ、忘れるな。これは百合営業の一環なのだ。私は内心、自分に言い聞かせながら、いったいいつまで腕を絡めていればいいのだろうかと早くも後悔していた。


園内は、思ったほど混んではいなかった。もうほとんどが散ってしまったが、上野は桜の名所でもあるし、それに今は春休みシーズンまっただなか。混んでいるつもりで覚悟して来たけど、やはり今日が平日で週の真ん中だということが幸いしているのだろうか。ラッキー、少しだけ気分が晴れる。


「……天白は、よく動物園とか来るの?」


次々と家族連れを追い越し、確かな足取りでどこかへ向かう天白に問いかける。不思議なことに、腕を絡めて歩いていても整った横顔にはおおよそ表情らしい表情がなく、どこか緊張しているようにも見える。私は黙って、触れ合う腕からできるだけ意識を逸らし、遠くに見えるスカイツリーのてっぺんをぼんやりと見つめていた。


「あっ」


そのせいだろう、左足が何かに引っ掛かり、私は思わずバランスを崩す。途端、天白の小さな「バカ」が聞こえて、気づけば私はちゃんと両足で立っていた。彼女が支えてくれたのだと、わざわざ尋ねなくてもわかった。絡めていた腕が、こんな形で役に立つことがあるなんて。子どもたちの集団が、無邪気に走りながら私たちを追い抜いていく。


「ごめん、ありがとう」


「別に」


淡々と返す天白の横顔からは、何の表情も読み取れない。今日の天白は、これまで見てきたなかでいちばん無表情だし、無口だし、無愛想だ。なにか気に触るようなことを言った……はずはないと思う……回顧しても、思い当たる節はない。こうしていちいちわかるはずもない天白の内心を推察している自分が、変というか何というか。


天白先生の歩みに従い、かつて動いていたモノレールの駅舎を通り過ぎていく。中学生の校外学習で来た頃はまだ動いていた気もするが、いつの間にか運転は終了してしまったらしい。


それからしばらくして、天白はとあるケージの前で足を止めた。無論、腕で繋がったままの私も立ち止まる。人々が熱心に眺めていたペンギンや30分待ちのパンダを通り過ぎて着いた、そこはまさしくハシビロコウの看板の前。


「着いた」


「ハシビロコウ……?」


「ハシビロコウ」


「ハシビロコウ……??」


なんで自慢げに繰り返すんだよ。


「天白、鳥とか好きなの?」


「そこそこね」


めちゃくちゃ嬉しそうな顔をして、口ではそこそこ、なんて言う天白。なんだろう、徐々に悪魔の皮をかぶった幼稚園児に見えてくる。


そんな私を放り出して、天白はいそいそと小さな肩掛けバッグからスマホを取り出し、ハシビロコウをパシャパシャやり始めた。さすが、動かない鳥とうたわれるだけあって、ハシビロコウは微動だにせず突っ立っている。森を模しているのだろう、鬱蒼とした草木のなかでじっとしている灰色の鳥。……を撮る天白。……を撮る私。なるほど、これは百合営業の証拠として申し分なく使えそうだ。エモいってこういうことだよね?


早速撮った写真を見返そうとアルバムを開くと、すぐに天白の手が伸びてきてスマホを奪われる。


「ちょっと」


「うん、いい。結構いい写真撮れてるじゃない」


天白は慣れた手つきで私の撮った写真を見ると、満足そうに頷いた。どうやら、気難しい悪魔も満足の写真が撮れていたらしい。


「特にこれ、とてもいい」


そう言って天白が私に見せたのは、さっき何気なく撮った、ハシビロコウを撮る天白の横顔。目線は至って真剣そのもので、なのにほのかに笑みを浮かべる口元から喜びが見て取れる。そんな魅力的な表情で、天白がハシビロコウにスマホのカメラを向けている1枚。


そっと天白が手を挙げる。数秒、不思議に思ってその手を眺めてから、これはハイタッチを求めているのだと気づく。まったく、幼稚園児め。


朝の不機嫌から一転、スキップでもしそうな勢いでペンギンのコーナーに向かう天白の後ろ姿にはどこか、幼い頃の私の姿が見えた気がした。




「わりと好きなの」


唐突な天白の言葉に、私は思わず飲んでいた水を吹き出しそうになった。上野動物園を見て回ること1時間、私たちは手近なベンチで小休憩を取っていた。お昼時だけあって、園内の飲食店は軒並み混雑中。「別に食べなくていいんじゃない?」と空腹に慣れているらしい天白の提案に乗り、私も今日は昼食を抜くことにしたのだ。


「好きって、なにが」


「動物園とか、水族館。生き物」


無駄に速くなってしまった心臓の音が、やけにうるさい。天白にどう思われようが、どうでもいいはずなのに。百合営業の契約をしてから、天白の一挙手一投足が重大なことのように思える。


ベンチに腰かけ、優雅にジーパンに包まれた足を組む天白を私はまじまじと見つめてしまった。私の目線、もといは他人の目線などまったく気にならないような堂々とした振る舞いで足を組み換え、彼女はまぶしそうに照りつける太陽を見上げた。さすがモデルだけあって、ふとした仕草すら雑誌の1ページのように輝いて見える。


「漣は好き? 生き物」


「まぁまぁかな。あんまり考えたことなかった」


「楽しかった?」


不意に飛んできた問いかけに、私は天白の本性を垣間見たような気がした。だから、こう答えた。


「好きだよ。こういうの」


天白は動じなかった。さすが、悪魔だ。


「頑張ろう、セカンドシングル」


次に掛けた声には、反応があった。


「もちろん」


私たちの未来が決まるセカンドシングルの発売日は、まもなく訪れようとしていた。

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