#5 開始/終了

 天白あましろに告白された翌日、私は彼女をいつものダンススタジオに呼び出していた。


 朝10時、スタジオの開く時間ぴったりに到着した彼女は見慣れたジャージに身を包み、私を見るなりふんわりと天使の笑みを浮かべて手を振った。昨日の「神になりたい」と語っていた感情的な姿はどこへやら、公衆の面前だからか完璧な天使モードだ。このふわふわした天然のような天白と、論理的で現実を俯瞰ふかんしているような天白のどちらが本性かなど知るよしもないが、前者のほうが話しやすいのは確かである。たとえ本性が後者だったとしても、アイドルである以上は天白を責めることはできないし。本性を偽っているのは、私も同じ。


「おはようございます」


「おはようございます~」


 挨拶を交わしながら私たちは受付で料金を支払い、鍵を受け取る。天白がサッと1200円を出したので、私は慌てて財布の中の500円玉と100円玉を探した。あってほしいという気持ちとは裏腹に、あいにく手持ちがない。


「ごめん、あとで返す」


「別に大丈夫だよ。今度、甘いものでもおごってくれれば」


 その天使のような笑みに、胸がどきりとした。それと同時に、天白は甘いものが好きなのかと合点する。そういえば、イベントの休憩時間に差し入れのドーナツを嬉しそうに食べていたっけ。公式プロフィールでは天白の好物はナッツ類ということになっているし、ほんのわずかだったモデル時代のインタビューでは「体重管理のため、甘いものは控えています」なんて言っていたのに。


「……よければ、今日行く? なんて」


 私がつぶやいた言葉に、天白は続きを促してくることはなかった。聞こえなかったのか、それとも無視したのか。私は少しほっとして、彼女に続きスタジオに入った。ガチャリとドアが閉まると、このスタジオは完全に私たちふたりだけの空間になる。


「鍵、ここにかけておくね」


 甘さが感じられないその声音から、天白が天使モードから通常モード……もとい、論理的な天白に変化したとわかった。適当に返事をして、私は冷たい床にあぐらをかいて座り、天白の様子を見極めようとした。が、彼女は真面目な顔で電気をつけ、空調をつけ、ジャージのポケットからスマホを取り出すと熱心に見つめ始めた。その行動にはさすがの私も我慢できなくなって、口を開く。 


「ちょっと」


「何?」


 返ってきたのは冷たい視線と、天使からはほど遠いブリザード吹き荒れる雰囲気。呼び出したのは私のはずなのに、スタジオの料金を支払うところからすべて天白のペースに流されている。いや、そもそも天白に「恋人になってくれない?」と言われた時点から、すべて彼女の筋書きに取り込まれているのでは。そんな懸念を振り払いたくて、私は気になっていたことを尋ねる。


「もし、嫌だと言ったら?」


 昨日の告白に対して、という前置きなしでも、天白はすぐに理解したようだった。どういう心もちか、再び天使のような笑みを浮かべて、


「拒否権なんてあるの? れんに」


 と、とんでもないことを言い出した。迷いのない足取りで私の前に立ち、仁王立ちして腕を腰に当てる天白。ここがダンススタジオである点を考えれば、彼女と私は厳しいダンス講師とサボりがちな生徒に見えることだろう。誠に不本意ながら。


「一応、あるでしょ拒否権は。人間だし」


 我ながら子どもじみた主張に呆れ、また拒否権がないなんてしょうもないことを言う天白にも内心で呆れながら私は立ち上がった。モデルとして活躍するだけあって、天白の背は私よりも高い。それに負けじと少しだけつま先に力を入れ、背伸びをする。瞬間、天白の細い手が私の手首をつかみ、あっという間に昨日の再現。


「……壁ドン、好きなんだね。天白は」


「誰かさんが私に優しくしてくれないから。漣、私はあなたの秘密を知ってる」


「そう」


 なんでもないようなふりをして、私は表情を動かさないよう努めた。秘密。脳が過去の記憶を引っ張り出し、「秘密」という言葉に該当する出来事を次々とピックアップしていく。だが、どれもささいなことばかりで脅されるほどの重要性はない。


「……私も、天白の秘密を知ってるよ」


 それは賭けに近かった。やられたらやり返すという、まるでドラマじみた駆け引き。もちろん天白の秘密なんて知らないし、秘密があるとも思っていない。


 天白の顔が近づく。彼女の真っ黒な瞳は驚くほど澄んでいて、ブラックホールのようにすべてを吸い込んでもなお強大な存在感を示し続けていた。すっと通っていながらも主張が激しくない鼻に、桜色の荒れひとつない唇。栗色の髪に合わせたのだろう、ミルクティー色に彩られた形のよい眉が、私を憐れむように表情を作る。


「じゃ、私たちは共犯ね。私は漣と違って優しいから、条件をつけてあげる。なんでもいいよ、これはダメとか私にはこうしてとか」


 そう言って微笑むと、天白はようやく私から手を離し、床に腰を下ろした。清楚なアイドルらしい体育座りだ。私にやり返されたことが愉快だったのか、うっすらと口元に笑みを残しながら栗色の髪をいじる姿はまさしく天使に化けた悪魔。


「条件って何。まだ、いいともダメとも言ってないけど」


 あぐらをかきながら主張すると、天白はこてんと首を傾けた。何も知らない純粋無垢な子どものような、あどけない表情に思わず惹かれてしまう。本当、ファンに見せる姿のままで私にも接してくれたらいいのに。必要単位ギリギリで進級するほどバカかと思えば、神になりたいなどとのたまい、私と百合営業をしようとしている。そのちぐはぐさと嫌になるくらい整った顔立ちが、私の気持ちをより複雑にしていた。


「まだそんなこと言ってるの? 漣は明日から、私の恋人だよ」


「今日からじゃないんだ」


「猶予が必要かなと思って。もちろん、恋人って言ってもフリね」


 にっこり、そんな言葉が似合うくらいに満面の笑みを浮かべる天白。本当、趣味が悪いというか、人が苦しんでいたり痛がっていたりするのが好きなんだろうか。もしくは、人をからかって遊ぶのが好きな化けたぬきか。天白が放つひとつひとつの言葉が私を惑わせ、変に鼓動を速くさせる。


「そもそも、百合営業って何をすればいいわけ。仲良くしているところを見せるって言っても、見せようがないと思うんだけど」


 質問を投げかけると、天白は人差し指を唇の下に当て、わずかに首を横に倒す。芝居がかったわざとらしい仕草だけど、雑誌の撮影なら即採用されそうなポージング。


「とりあえず、特別感を出す……って感じかな。ふぉめうは全員仲良し、でも特に黒瀬と天白のふたりは心の奥で繋がっていそうな雰囲気がある、みたいな」


「心の奥で繋がってるかどうかなんて、それこそ見せられないだろ」


「要は、雰囲気が大事ってこと。あとはさりげなく一緒に買い物しましたとか、あのとき助けてくれたから今の私がありますとか言えばいいの」


 どうにも、頭が痛くなるような話だった。現状、ふぉめうの関係性としては仲が良くもなければ悪くもないのが事実で、顔を合わせればそれなりに世間話はするし、とはいえ休日にどこかへ出かけるほど親密ではない。私とリーダーは同じマンションに住んでいるが、別に互いの部屋を行き来することはなかった。グループの末っ子・ミミはテレビの仕事、天白はモデルの仕事があるからか、日がなダンススタジオにこもってばかりの私とは無縁の生活を送っている。


「それで、本当に人気になれると天白は思うのか」


「私たちの弱点を分析した結果、それが最善だと思ったから」


 自信満々に答える天白。何故だろう、今になって急に不安になってきた。無論、百合営業をしたとて、万が一バレたとて私にリスクらしいリスクがないのはいいことだが、ダンスに費やす時間が減るのは困る。ましてや、この天白に振り回される形でデートだの何だのと出かけて遊ぶようでは、本末転倒じゃないか。


 そう考えていた私の頭に、ひとつの案が浮かぶ。先ほど天白が言っていた「条件をつけてあげる」の意味をようやく合点し、こう切り出した。


「じゃ、私の条件はこれにする」


「教えて」


「必要以上に干渉しないこと、そして私が終わらせること」


 天白の目が細められる。私の言葉に嘘がないか、表情を見てじっくりと精査しているようだった。小さな声で繰り返される、私が出した、ふたつの条件。しばらくして、彼女は淡々と口を開いた。


「あくまで百合営業として、仕事の場では私と仲良くする。それ以外はこれまで通りで、百合営業を終わるときは漣から言うってことね」


「そうだね。このまま天白の言いなりになるのは勘弁だから」


「いいと思う。私も、漣に振り回されるのは困っちゃうから」


 私たちは笑顔を保ったまま、見つめ合う。静かな闘争心が天白の真っ黒な瞳から伝わってくる。ふと視線を鏡に移せば、そこにはあぐらをかいて座る私と体育座りの天白の姿。大人げなく嫌味をぶつけたせいか、それとも座り方のせいか、鏡の向こうの私たちはどこか高校生らしい雰囲気をまとっていた。


「話はまとまったから、この件は明日からよろしくね」


「了解。私は時間まで練習していくけど、天白は?」


「考えとく。一旦、お手洗いに行かせて」


 返事の代わりに軽く手を振り、私は天白が部屋を出て行くのを見送ってから後ろに倒れる。思い切り力を抜いたせいか、後頭部がしっかりと打ち付けられて痛んだ。昨日といい今日といい、ダンススタジオにいるのに床に寝転がりすぎである。


「……あくまで百合営業として、仕事の場では私と仲良くする。それ以外はこれまで通りで……」


 彼女の言葉は論理的で、きれいに整頓されていた。だからか、私は少しだけ落胆した気持ちに気づかないふりをする。もしかしたら、いずれ百合営業なんて意識しなくても天白と仲間……もとい友達になれて、普通に仲良くできたらいいと思っていたのに。あえて「必要以上に干渉しない」なんて曖昧な言い回しにしたのに。


 天白は最初から、自分のために私を利用するだけだ。そうわかっていたのに、天白と仲良くできるかもしれないといつの間にか期待を抱いていた。余計な感情だ。


 すべては、私たちが売れるため。今はその道の途中に過ぎない。


 いつかドームに立てる日まで。

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