#7 近接/遠隔
天白と百合営業の契約を交わし、動物園に出かけてから2週間。その間に、私の生活は大きく変わった。いや、正確には天白と百合営業をしなくても、芸能活動に集中しようとしていた私にとっては遅かれ早かれする決断だった。それが早まったに過ぎない。
大学の休学に、4日間の自主的ダンス留学。セカンドシングルの発売が1ヶ月後に迫った今、事務所が出してくる予定をこなすだけでは到底ファーストシングルの売り上げを越えることはできない。私はそう判断し、徹底的に自分を追い込んだ。日々のボーカルトレーニングとダンストレーニングの時間を増やし、SNSで毎日ファンの方々と交流する。そんな私と同じように、天白も大学を休学したのだと後からマネージャーを通じて聞いた。そして今日、私たちはミュージックビデオの撮影をするため、都内のスタジオに来ていた。
「おはようございます」
慌ただしく動き回るスタッフの方々に、丁寧に挨拶をする。芸能界は礼儀がなくてもスターになれる場所ではあるが、スターであり続けるために最も必要とされるのは礼儀だ。そんな通説がなくたって、バックダンサーにまできちんと頭を上げて挨拶ができるアーティストは売れると身をもって知っているけど。
明るく煌々と照らされているスタジオには、白と黒で統一されたダイナーのようなセットが組まれている。今回も前回同様「私たちのやり方でトップを目指す」というメッセージで歌詞が作られ、コンセプトは「やんちゃなティーン・ガール」らしい。与えられたからにはどんなコンセプトでもやり切る自信はあるが、今年22歳になる私がティーンを名乗ることには若干の気まずさがある。
薄暗い中、コードを踏まないよう足元に気をつけながら、奥に見えたリーダーの赤い頭を目印に進む。今日の撮影はメンバーで1番多忙なミミから始まり、リーダー、天白、私の順でソロカットを撮ると聞いている。監督とミミの姿がないあたり、今頃屋上で撮っているのだろう。赤い頭が、かくんと勢いよく下に落ちる。また今日も3時間しか寝れなかったんだろう、私は歩みを速めた。
「今年24、来年アラサーに突入する私がティーンとは、ねぇ……」
カメラやモニターなどの撮影機材が並ぶ端、パイプ椅子に豪快によっかかっていたリーダーがため息交じりに言う。まだメイクを済ませていないのだろう、目元のクマにニキビによって荒らされた肌がティーンではないことを声高に主張していた。「酒飲み苦労人お姉さん」というキャラ付けで知名度を得ているうちのリーダーだが、最近はもはやキャラそのものではないかと思っているのは内緒の話。これでも、作詞作曲ができるし、かつてグループで活動していた経歴があるので有能なアイドルではあるんだけども……。
「あかさんは結構、年上に見られがちですよね」
「まぁ、過去やら能力やらを文字列にするとそれなりだからね。まだ23なのに」
返答に悩んで、私はスタジオへ視線を逃がした。アイドルの低年齢化は最近ますます顕著になり、20歳以上の参加を認めないオーディションや若さを売りにしたグループは多い。「あかさん」こと、リーダーのように1度デビューしたあと数年でグループの解散を味わい、2度目のデビューを果たすことも当たり前の時代。
出入り口のほうが騒がしくなったかと思えば、澄んだ声音の挨拶が広いスタジオに響く。天白葉月が来たのだ。ダンスしか取り柄のない私とは違い、天白はモデルとしてそこそこ名が通っている。そのせいか、彼女に挨拶を返すスタッフはどこか嬉しそうに見えて、少しだけ自分の知名度に落胆する。慣れている痛み、大丈夫。
「じゃ、あたしはメイクするわ。はー、だるい」
リーダーはそう言うと、酔っぱらったような足取りでスタジオから出て行く。やけ酒をしょっちゅうたしなむと事務所では噂だが、まさか今日も飲んできたんじゃなかろうな……不安になる心中を本人にぶつけるわけにもいかず、私は背中を見送った。リーダーと入れ替わるように、もしくはいなくなった隙を見計らったのか、私の前に天白が現れる。
「おはよう。漣」
さらりと栗色の髪が揺れ、ほのかにキンモクセイのような甘い香りがした。天白は今日も天使のような美貌を惜しげもなく披露して、私に微笑んだ。彼女の格好は似合うとは言い難い、いかにもガールズクラッシュを意識したと思われるファンキーでポップな衣装だった。黒のトップスにショートのデニムを合わせ、おまけに缶バッチやらチェーンやらがついた青のジャケットを羽織っている。たしかに、衣装だけで見ればティーン。
「……今回の衣装、なかなかイカツイね」
「まぁ、社長の意向だし。あ、そこの水、もらっていい?」
「どうぞ」
さっきまでリーダーが座っていたパイプ椅子に腰を下ろし、すらりとデニムから伸びた足を組む天白。私は、椅子の下に数本置いてあったペットボトルの水を渡す。すると、天白は濃い赤で塗られた唇をわずかに歪ませた。
「それじゃないんだけど」
「これは水ですけど」
きつくなった私の口調にもひるまず、天白は平然と言った。
「漣の水をちょうだい」
「なんで」
「漣のがいいの」
ついに、天白の頭がおかしくなったのかと思った。私たちの言動が変なのを察してか、近くのテーブルでパソコンを触っていたスタッフが怪訝そうな目でこちらを見ている。さすがに百合営業をするとはいえ、間接キスの強要は仕事に含まれないだろう。そもそも、この場に営業先となるべきファンの方々はいないのだ。
「ちょっと、天白」
文句を言いかけた矢先、さっと立ち上がった天白の細い指で口をふさがれる。そのまま、先生が幼稚園児に言い聞かせるように天白は姿勢を低くし、私と目線の高さを合わせた。聞こえるか聞こえないか、ギリギリの声量でささやかれる。
「後ろ、ビハインドのカメラが回ってる。契約のこと、忘れたわけじゃないでしょ」
反射的に振り返りたくなる衝動を抑えて、私は天白の平然とした顔をにらんだ。そういう話なら、先に伝えてくれればよかったのに。契約をしたあと、それとなく百合営業の内容については話し合ったものの、ミュージックビデオの撮影現場で何かをするなんて話は1度も出なかった。ましてや、関節キスなんて。
そんな私の思考を読んだわけでもあるまいに、天白はこう付け足す。
「先に全部言ったら、全部演技しなきゃいけなくなるから。漣には、たっぷり新鮮なリアクションを取ってもらおうと思って」
「……天白、結構性格悪いって言われないの」
「言われないよ」
語尾にハートマークがついているような厭味ったらしい言い方で、天白は私の問いかけに否定した。なるほど、天白の天使モードは私限定で解除されるらしい。
本当に、この悪魔め。
と、私たちの内緒話がネタになると思ったのか、足音と共にビハインドのカメラが姿を現す。ビハインドとは「裏側」を意味する言葉で、この場合は「撮影現場の裏側」を撮影し、後日動画投稿サイトにアップするのだ。レコーディングからダンスの振り入れ、事務所での休憩中まですべてをカメラの奥に提供する現在のアイドルにとって、ビハインドは欠かせないコンテンツのひとつ。
それを知っているからこそ、天白は百合営業をここでも強行しようと思ったのだろう。
「あっ、カメラ来た」
天白の声のトーンが1段階上がり、わざとらしくカメラに向かって手を振る。天使モードに切り替えた天白は、「緊張してて」とか「缶バッジがお気に入りなんです」なんて、つらつらと優等生ぶった感想を述べた。たしかに、ビハインドとしては文句なしの満点だが、逆に言えば「誰もが想像するミュージックビデオの撮影現場」の枠を出ない。ここで求められるのは、意外性だ。
そこまで思考がたどり着くと、私は立ち上がり天白の背後に回った。天白のインタビュー中に突然動いた私へのスタッフさんの動揺が、カメラ越しに伝わる。
そっと彼女の栗色の髪にあごを乗せ、ポップな衣装の天白葉月を抱きしめた。ようやく私の意図を察したカメラが、望み通り私たちを映す。天白はそれすらも予想していたように、身を強ばらせることもなく私からのバッグハグを平然と受け入れていた。オマケとばかりに、そっと耳元に決めゼリフをささやいておく。
「私がいるから、緊張しないでよ」
実際は「緊張しないでぇ……よ」と、語尾にいくぶんかのぎこちなさが混ざってしまったが、まぁそれはそれである。あとは天白が照れながらコメントをしてもいいし、平然と黙っていてもいい。
前者であれば「付き合いたてのカップルみたい」と言われるだろうし、後者であれば「バッグハグが当たり前ってこと?」と言われるはず。
どう転んでも百合営業としては成功。
それなのに、天白の表情が妙に気になる。
「……漣、好き」
天使モードとも悪魔モードともつかない、こぼれた小さな声に心臓が跳ねる。反射的に天白の体から自分を引き剥がし、栗色の後頭部を眺めた。
ホラーを思わせる速度、ゆっくりと振り向いた天白の顔にはとびきりの笑みが浮かんでいて。
私は自分が悪魔の手のひらで踊らされていたことに、ようやく気づくのだった。
いつか恋に落ちる黒天使と白悪魔 空間なぎ @nagi_139
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