#2 正直/嘘つき

 天白の提案は突然以外のどんな言葉で形容したらいいのか、見当もつかなかった。提案というのはきちんと下調べをして論理的な文章を書き、その上で相手の反応まで予測してプレゼン資料を作ってからするべきだ。大学の授業で最初に教わる簡単なルールを、この天白葉月が知っているとは……思わない。


「私と付き合えって?」


 問い詰めると、天白は「ええと」だの「正確には違うんだけど」だの、ごちゃごちゃと言い訳を始めた。両手の人差し指をちょんちょんとつけ、二等辺三角形のなりかけを胸の前で作っている。挙句に上目遣いでちらちらと見てくる。なんだお前は。もしかして隠しカメラが仕掛けてあって、何らかのコンテンツのために天白が演技してるんじゃないかと周りを見回すけど、カメラはどこにも見つからなかった。


 腕時計を一瞥いちべつすると、20:00まで残り15分しかない。いくら事務所の近くにダンススタジオがあるからといっても、トイレや受付を考えると今すぐにでも移動したい時間。非情だと思われるかもしれないが、要領を得ない天白の話に付き合うほど、私には余裕がない。


 若さが命のアイドルにとって、21歳の1分1秒は何よりも貴重だ。


「悪いけど、遊びに付き合ってる暇はないんだ。もう用がないなら、帰る」


 私はそう言い放つと、早足でドアへ向かった。すぐに後ろで天白の足音がし、


「私は、人気になりたいの」


 と、切実な叫びが聞こえてくる。それでも、足は止めない。人気になりたい。売れたい。ちやほやされたい。そんなくだらない理由で天白がアイドルをしていたことに、私は内心でショックを受けていた。モデルとして事務所に入所し、ダンスレッスンを受けたことでアイドルの才能を開花させた天白葉月。彼女は出会ったばかりの頃、こう言っていたのだ。「向いてる自分より、なりたい自分になる」と。


 その言葉は何よりもかっこよかったし、引く手あまたのモデルの仕事をすべて断ってダンスレッスンに時間を費やす彼女を私は高く評価していた。結果としてデビューシングルの売上がよくなった……なんて夢物語にはならなかったけど。


 ドアの前で、私は足を止めた。このままさっさと出て行って練習したい悪魔と、メンバーの悩みには耳を傾けたい天使の間で揺れ動く気持ち。セカンドシングルが新人アイドルにとって大きな意味をもつことは、練習生をしていたときから嫌でも頭に叩き込まれている。ここで頑張らないと、私はまた先も見えなければファンの顔も見えない練習生時代に逆戻り。それは、嫌だ。


「……人気になりたいなら、黙って笑っていればいい。モデルとして」


 その言葉は言ってはいけないものだと、心の中にしまっておくべきものだとわかっていた。天白にとって最大の侮辱であると知っていた。加えて、それを言うのが無関係な観客でも、有識者ぶった上から目線の自称ファンでもなくて、同じメンバーであることがいかに天白を傷つけるかも。


「黙れ」


 後ろから強く手首をつかまれ、私は反射的に天白のほうを振り向く。もしこの動きを予見して手首をつかんだのなら、天白は相当な策士だ。ドアを背にし天白と向かい合う形になると、そのまま流れるように天白は私の足を踏みそうな勢いで前進。私は思わず後ずさった。ドン、と鈍い音がして私の背がドアに触れる。天白の手が私の手首から離れると、細く白い両手は迷いなく私の胸倉をつかんだ。


「……そんなに怒ったか」


 確認のため、おそるおそる尋ねた。天白ってこんな暴力的な子だっけ、なんて頭の片隅で考えて、一応過去の記憶とも照合してみる。初めて会ったとき、天白ほどモデルに向いている人間はいないと思った。そんな子がアイドルになりたいと言い張り、自分を貫いてデビューする姿にはメンバーの自分でさえも感動した。「もはやミミの知名度で成り立っているグループ」と揶揄やゆされても、天白は決して笑みを崩すことはなかった。それなのに。


「怒らないわけないでしょ。全部事実なんだから」


 冷たい声音に、冷たい表情。その目元にあるのは達観か傍観か、それとも諦観か。怒らないわけない、という言葉とは裏腹に、その目は驚くほど冷静で何の感情も宿していない。さっきまでのかわいらしい仕草は演技だったのか、そりゃそうだよなと理解した自分がいる一方、かわいくない天白は天白じゃないと理解が追いつかない自分もいる。


「私たちはこのままじゃ、一生売れない。ドームも到底無理」


 別に私はドームを目指したいと言った記憶はないし、積極的に目指したいとも思ってないけどな、とはさすがに言わなかった。行けるなら行きたいけど、デビューシングルの売上が1万枚にも満たないアイドルグループがドームを目標にすれば、間違いなく。大きな大きな目標は、それだけで価値がある。掲げるだけで。


「……別に、売れるとかドームとかにこだわる必要ないと思うけど」


「正気? 少なくともミミの人気で成り立つグループなんて」


 天白はそこで言葉を切り、唇を噛んだ。私の胸倉をつかむ手がゆるまり、ゆっくりと力なく垂れ下がった。やっと解放された。私はつかまれたTシャツを軽くはたくと同時に、ドアから背中を離す。


「私は見てみたいの。アイドルになって」


「もうアイドルじゃ……」


「違う」


 食い気味に私の意見を否定し、天白は再び唇を噛んだ。これまで見たことのない、天白の悔しげな表情に視線が吸い込まれる。天使のような美貌の裏に、ここまでの負けず嫌いを隠し持っていたなんて、出会った当時の私が聞いたらさぞ驚くことだろう。まぁ話すことがあまりにもキレイだから、裏がありそうな気はしてたけど。


「アイドルは、偶像。私たちは偶像を崇拝してきて、偶像として崇拝されている」


 人類の進化の過程を語るように、滔々とうとうと私にアイドルの意味を説明し始める天白。そこにいつもあるはずの微笑は存在しない。まるで別人のような冷たさが微笑を覆い隠し、天白の性格を乗っ取ってしまったように鋭い言葉を吐く。そうか、と私は合点した。私がかつて練習生時代にこの世界の厳しさを痛感したように、天白は今、アイドルという職の重さを身をもって体感しているのだ。


 アイドルの世界はおかしい。アイドルが嘘をつくことは正しく、正直でいることは罪だ。そのくせファンは正直でいることを望み、ひとたび嘘がバレようものなら叩かれる。どこまでも歪んだ世界に、歪んだ人たち。


「崇拝ってことは、アイドルは神ってことなの。私は神になりたいの」


 天白は頭が狂っていると思った。

 

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