異世界転生した巫女ですが祈ることしか出来ません   第三話 「それで、どうしたの?」


    1


「作戦は決まった?」

 眼鏡をかけたエルフ、ウンディーネが同僚のシルフに問いかけた。

「色々考えましたが、手段は一つしか思い浮かびませんでした」

 ツインテールのエルフ、シルフは溜息交じりの返事。

「ほうほう、どんな手段だい?」

「ムメカゴメでドワーフの軍艦の側まで行く。遮蔽モードのまま接近して……」

 ウンディーネは頭を抱えながら、説明しているシルフの言葉を遮る。

「そのまま乗り込んで強引に救出するとか、言うつもりじゃ無いだろうね」

「他に方法を思いつかないんですよ。わたしたちに武装も無い以上、ドワーフと正面切って戦っても勝ち目がありません」

「まぁ、遮蔽状態なら、接舷してもバレないだろうけどさぁ。どうやって巫女のいる場所までたどり着くのさ。間違いなく閉じ込められてるだろうし、警備も厳重だと思うにょ」

 ウンディーネは、次に来る言葉の予想がついていた。いたが……まぁ半分諦めていた。

「一緒に来てもらってドワーフの軍艦のクラッキングとナビゲートをお願いします」

「やっぱり!」

 ガクッと肩を落とす。

 眼鏡が同時にずれた。

「なんで、たかだか巫女一人のためにここまでしなきゃいけないわけ」

 ウンディーネは心の底からぼやいていた。


    * * *


 男は、焦りに焦っていた。

 失態と言うより、大失態。

 まさか、ドワーフにしてやられるなどと……。

 コダカヒコは、かなりのダメージを負った。

 戦うことは出来るかもしれないが、自動修復にどれだけ時間がかかるかまだ分からない。

 コマユミは無傷だが、一隻で戦えるか?

 コマユミを動かして、もし返り討ちにあったら?

 あれだけ大口を叩いたのに、このていたらく。

 巫女、いや、ドワーフすら殺していない。

 オベリコムは、いや、常若の国の妖精達はこのショーを楽しんでいた。

 自分が無様にやり込められたところを間違いなく見ていただろう。

 これは暇をもてあました妖精共にとって数少ない娯楽。

 負けたのは誰のせい? 答えは一つ。自分のせいだ。

 遊ばずに最初の一撃で叩きつぶせば良かったのに、それをしなかった。

 絶対に勝てるという余裕。そして、ここで自分という妖精がいかに有能であるかを見せつけようともくろんでいた。

 これは王族に自分を売り込む絶好の機会。確実に生き残るためのプレゼンだった。

 だが、このしくじりで間違いなくティーンドの候補に選ばれただろう。

 もしそうなったら、行き着く先は紛れもない地獄。

 このままこの船に残ったとしても、常若の国には、もう帰れない。

 アメノトリフネに乗っている妖精は、誰としてその事実を知らない。

 この船から逃げるには、王族に自分が有能であることを思い知らせ、救い上げてもらうしかない。

 だが……。

 この結果はどうだ? 

 消される? このままだと確実に消されてしまう。

 なぜ負けた? いや、負けていない。まだ、負けていない。

 そうだ……。オベリコムは、常若の国は、まだ、何も言ってこない。

 まだだ。今、コマユミを動かせば……。まだ、ショーは継続できるかもしれない。

 男が動こうとしたとき。

『無様だな』

 偽りの王の無感情な声が何も無い空間に響いた。

 男の背中に流れた大量の汗。どっと湧いて出た。

「あっ、あっ、あっ……」

 逃げられない。

 男の腕が、指が、震えていた。

「あっ……ああっ……あああああ……まだ! まだだ!」

『無様だと言っている。わたしの言葉が聞こえていないのか?』

 オベリコムは、なにかをしているわけでは無い。

 だが、空間を、距離を超えて襲い来る威圧感に男は飲まれ息苦しくなる。 

 そのまま、地に這いつくばり、全身を震わせた。

『巫女など簡単に殺せるのでは無かったのか? なぜ、ドワーフごときに、無様に負けた? コマユミにコダカヒコまで持ち出しておいて、この結果はなんだ?』

 男は、声が出なかった。

『ショーを楽しんでいた皆は、笑っていたよ』

 オベリコムの言葉は淡々としていた。

 けっして語気は強くない。ただただ、一定の口調、決まったペースで問い続けている。

「まだ、コマユミが……」

『あるな』

 声に感情の起伏は無い。だからこそ恐ろしい。

『一度失敗した無能に再び機会を与えるほど、わたしが寛容だと思うのか』

 顔が見えないからこそ、余計なことを考えてしまう。

「こっ、た、頼む! もう一度! もう一度……次は……」

 床に額をこすりつけ、懇願する姿。

 見ていた。

 誰かに見られていた。

 数多の視線が男に降り注ぐ。

 それを感じる。紛れもない悪意。逃れようも無い意思。

 誰が見ているのか、男には分かったいた。

 このショーを楽しんでいる妖精共だ。 

 自分が無様に負けた姿ですらも娯楽として扱う。

 勝てば勝ったで、得意げに勝利を誇る自分をあざ笑いながら見たのだろう。

『次、勝てる保証はあるのか? そもそも、負けたのは貴様が無能だったからだろう。出しゃばらず、初めから素直にコマユミとコダカヒコに任せていたら、それですんだ」

 オベリコムの言うとおりだった。自分が名利の欲に狩られた結果。

 全身が大雨にうたれたかのように、濡れている。

 それは自分の汗だ。

『さて、この愚か者に再び好機を与えたいという物好きな妖精はいるか!』

 オベリコムは、今までと打って変わって感情にあふれた大声を上げる。

 わざとらしく、右腕を上げ指先で天を突く。

『わずか一名でもいたら、この間の抜けた役立たずに再戦の名誉を与えようと思う』

 その声は、わざとらしさは感じられない。

 静寂が訪れる。

 妖精達は、あざけりの眼差しを向けこそすれども、誰も手を上げる気配は無い。

 当然だ。下手に巻き込まれてとばっちりでも食らったらたまったものではない。

 もし、この男が再びドワーフに負けたりしたら……。

 他者を見下せる者は、自分が安全であるからこそ見下せる。

 だからこそ、どの妖精も手を上げることは無い。

 男はそれを知っていた。

 オベリコムのこのパフォーマンスは、王としての寛容さを示すための示威行為にしかすぎない。

『おらぬか? ならばこの妖精はティーンドとして……』

 オベリコムが腕を下ろそうとしたとき。

『王よ……寛大な御心を持ちし王よ』

 撥絃楽器を指ではじいたような、線の細い、しなやかな声がこの閉鎖された世界に響いた。

 女性の声。

 静観していた妖精達がざわめく。

 誰も声を上げるとは思っていなかったからこそ、このまま男を宇宙から存在だけで無く記憶すら完全に無に返し、消滅させるまでがショーの流れ。

 それを止めたのは、オベリコムにとって聞き慣れた声。

『ティターニャ』

 妖精達も驚きを隠せなかった。

 手を上げたのは、他でもない女王。

『この愚か者に今一度好機をお与えくださいませ』

 オベリコムは、唯一表情を動かさずに、ティターニャに向き合うこと無く声をかける。

『お前もこの愚か者と共に地獄に落ちるというのか?』

『まさか……そのつもりはありませんわ』

 その声には余裕すら感じられる。

『ほう?』と問うオベリコム。妖精達もティターニャの言葉に興味を見せる。

 中心には首の皮一枚つながった男が這いつくばったまま動けないでいる。

 助け船は現れた。本来なら救いのはずだ。はずなのだ。

 だが、なぜか、男の額から流れる汗は止まらなかった。

 むしろ、全身の水分を全て流し出す勢いの様に加速するのを知覚していた。

 ティターニャは、声に笑いを含ませながら続ける。

『簡単なこと。この愚か者が、愚者でなくなれば良いのです』

『ほう……。それは、それは……』

 オベリコムは、愉快そうに声を上げる。

 おそらく彼女の意図を一瞬で理解したのは、伴侶であるオベリコムだけだろう。

『相変わらず、そなたは余を楽しませてくれる』

『わたくしも楽しんでいる。ただ、それだけでございます』

 ティターニャは恭しく頭を垂れた。

 まるで、オベリコムから表情を隠すかのように。


    * * *


 モーザは、焦りに焦った居た。

 卑ノ女の元に行けなくなってしまったためである。

 本人は行きたいと願っても呼ばれなかったのだ。

 鬱屈とした日々を過ごす。

 両親の仇を取りたいのに。

 それを求めたとき、見知らぬ敵の襲撃に遭い、流されるままユミルの操船をすることになり、誰かと戦った。

 気がついたら、巫女とは離ればなれになっていた。

 さすがに、あの状況で巫女を狙うことはできるはずもなく。

 巫女と離されて、時間を過ごす度に、あの時に殺せば良かったと深く後悔を繰り返すようになる。

 そう、巫女を……殺す。

 その思いは、明確にモーザの心を強く縛っていた。

 その為には、もう一度、巫女の元に……。

 だが、どうすればそれができる?

 モーザは、頭を動かす。

 そう、時間だけは売るほどある。

 巫女の側に、再び行くために……。

 今度こそ、今度こそ……。

 いつ、また、あの時のような襲撃が起こらないとも限らない。

 だからこそ、機会を作る。そして、逃がさない。

 モーザの目に黒い光が宿っていた。

 巫女は、今、なにをしているのだろう?

 待っていなさい。必ず、今度こそ……。


    * * *


「だいぶ……ガタがきとるな……」

 卑ノ女の愛車、ラビットS402のスキャン結果を眺めながら、ヘーデルはしみじみと呟いていた。

「そうなの?」

「車体の金属疲労がしゃれにならんな。エンジンもだいぶ摩耗しとる」

 さらにヘーデルはスキャンを続ける。

「この内燃機関はかなり使い古されとるが。お前さん、そんなにこれに乗ってきたのか? スキャン結果を考えると、この内燃機関は、お前さんよりも長生きしとるように思うのは、わしの気のせいじゃ無かろう」

 ここは戦艦ボーリン。ユミルの格納庫だ。

 その一角に卑ノ女と共に鹵獲されたスクーター、ラビットが置かれ。

 スクーターの側には、ドワーフのヘーデルと卑ノ女が並んでいる。

「ええ、あたしが生まれる遙か前に作られたそうよ」

「誰かから譲ってもらったのか?」

 ヘーデルは、色々とコンソールをいじりながらラビットをモニタしている。

「兄からね」

「ほう! お前さん、兄弟がいるのか」

「だいぶ前に失踪したわ。先輩から譲ってもらったこのラビットを残してね。家の片隅で、ずっとホコリかぶってて、かわいそうだからもらってあげたのよ」

 卑ノ女は、少し遠い目をしながら少し離れたユミルを見上げた。

「失踪? 家族を残してか?」

「神隠しって言った方が良いのかもね」

 どこか笑っているかのような声。

「大学から家に帰って来たのは、あたしも覚えてる。夕食の時間になっても食堂に来ないから、呼びに行ったわ……でも、そこには居なかった」

 ヘーデルは、手を止めたまま、何も答えられなかった。

「少し前まで勉強してたのは間違いないのよ。レポートを書きかけのノートも、教科書も、辞書も開いたまんま、通信デバイスも通話の途中。机の上のマグカップには飲みかけでまだ暖かいコーヒーが半分以上残ってた。おかしな話よね。わざわざ都会に進学できたのに地元に残って、神社を守ろうとしてた。それなのに失踪するなんて。それからよ……お父さんがおかしくなったの」

 卑ノ女は、目を閉じると黙り込む。

「お前さん、この内燃機関を大切にしとるようじゃな」

 ラビットをしみじみ眺めながら、ヘーデルは言う。

 話題を変えようとしたのか、それとも関わりがあるのか、卑ノ女には判断がつきかねた。

「憎んでるわけでは、無いんじゃろ」

「どうして、そう思うの?」

「この内燃機関は、教えてくれとる。ガタはきとるが面倒は見られとる」

 コンソールをいじると、ラビットの車体を光が照らす。

「所々の補強、駆動箇所、車輪、制動機、潤滑剤、どこもかしこもないがしろにされてる様子が無い。誰かが手を加えにゃ、この内燃機関はここまで生きてこれなかったはずだ」

 しみじみと、ヘーデルは続ける。

「これは良い機械じゃなぁ」

「ありがと……」

 卑ノ女は、ユミルを見上げたまま、小さく一言返した。

「わしにできることは、劣化した金属、原子の再結合、再生させるぐらいじゃ。摩耗した部品や、パーツの交換は無理じゃ……」

「そんなことできるんだ」

「それぐらいなら簡単じゃよ。逆に言うと、ここの設備ではそれぐらいしかできん。わしらの使う機械と規格が合わんし、何より、工具も道具もまるで違う。わしらが使う潤滑剤を駆動部分にさしたら、間違いなく壊れるぞ」

 ヘーデルは、そっとラビットの風防に触れる。

「なんと、脆い金属じゃ、わしが本気で押したら、この車体は一瞬でへこむな。このFeと言う金属は強度的に脆すぎじゃ。なんで鉄なんて弱っちぃ素材をつかっとるんじゃ?」

「あたしの世界では、硬度がそれなりにあって加工がしやすいから、じゃないかな?」

「残留応力でかなり金属がやられとる。まぁ、経年劣化も大きいんじゃろうがな。面倒な金属じゃ。ボーリンやユミルとえらい違いじゃ」

 そう言ったヘーデルの横顔はどこか楽しそうに見えた。

「金属ねぇ……。ねぇ、ヘーデル、この船は何で作って……」

 と、卑ノ女は言いかけて止めた。

「どうした?」

「きっと、そう言う知識は持ち帰らない方が良いって、思っただけ。あなたはこのラビットに余計な機能とかつける気は無いんでしょ?」

 ヘーデルは、鼻で笑う。

「そんな野暮なことはせん。わしは、ただ、100億ゼノンも昔に、妖精達が使っていたであろう内燃機関を目の前にして、調べることができるだけで十分じゃ。願わくば、お前さん達ニンゲンが産み出した、この“らびっと”とやらが長く生きれるよう、少し手を貸すだけにすぎん」

 卑ノ女は、目を閉じて微笑む。

 きっと、このヘーデルの姿こそが、彼の本来の姿なのだろう。

 沈黙が流れ、ふっとヘーデルは真顔になって卑ノ女を見る。

「ところで、お前さんは、元の世界に戻れると思っとるのか?」

「わかんない。けどね。エルフがもしも、約束を守るのなら、帰れる可能性がある。そんで、もしあたしが、あなた達のテクノロジーや、それにまつわる知識を一つでも持ち帰ろうもんなら、きっとわたしの世界は軽く崩壊するわ。それぐらい、あなた達の科学技術はあたしたちの世界とレベルが違いすぎる。だから、あたしはできる限り見て見ないフリをしたいのよ」

 間違いなくこの少女は、本心を語っている。

 ヘーデルは、そう確信する。

 こんなヘーデルから見ても幼い少女の双肩になんという重いモノを載せるのか。

 エルフは何を考えているのか、妖精ながらまるで予想がつきかねる。

「エルフは、お前さんにとって味方なのか? それとも敵なのか?」

「情報交換?」

 卑ノ女は再びユミルを見上げた。

 髪の毛が流れる。

「それを理由にお前さんを独房から出したんじゃからな。少しは仕事をせんと怒られる」

 ヘーデルは珍しくふざけたように言う。

「わしに聞きたいことがあればどんどん聞け。答えられる範囲でなら答える。答えられんこともあるじゃろうから、そこはまぁ、赦せ」

「あたしにもエルフが何を考えて、託宣をさせてるのか分からない。でも、一つだけ気付いたことがあるの。エルフは、間違いなく同族を殺そうとしてる」

 ヘーデルは、否定せず沈黙をもって答える。

「あたしに選ばせた託宣はどれもこれもあの船団のエルフの命を奪うものばかりだった。ねぇ、妖精の命ってそんなに軽いの? 簡単に再生できたりするわけ? あんたたちの科学力であっさり蘇生できたりするわけ」

「そんなワケがあるか。今のエルフはどうか知らんが、ドワーフの命は失われたら二度と還らん。他の妖精達の命もそうじゃろうよ。かけがえのない命に変わりない」

 ヘーデルの目から見ても、卑ノ女はドワーフの自分に心を開いている。

 そして、このニンゲンと言う生物は、命の重さを知っている。

 エルフを救うため二度も自らの命を捧げ投げだそうとした。

 ゆっくりと手を止め、腰を上げる。

「解せんなぁ……」

「なにが?」

「エルフの行動もそうじゃが、お前さんもじゃよ」

「あたし?」

「命の尊さを知りながら、なぜ自らの命を捨てようとする? わしの目には、わざとそうしているようにしか見えん。儂も長い妖生の中、戦艦の主砲に、一度ならず二度までも自分と無関係の多種族の為に、身をさらし囮になったバカは、後にも先にも、お前さんだけじゃ」

 卑ノ女は、思わず口を閉ざした。

 ヘーデルに視線を向ける。

「自棄になってたんだと思うよ」

「どんな理由で?」

「わかんない」

 しばらく、沈黙。

「それが分かったら、何か変わるかな」

「それは、お前さん次第じゃろう」

 また、沈黙。

 ラビットを眺めながら、

「ところで、ドワーフはなんでエルフと戦争してるわけ?」

 今度は、卑ノ女が話題をそらした。

 これは彼女が、一番気になっていることでもある。

「しとらん」

「嘘よ。だって二度も攻撃してきたじゃ無い?」

「エルフの王の命令じゃ」

「エルフの王?」

「お前さん、自分で言うとったじゃろ? ドワーフとエルフの科学技術の差について」

 ついこの前、おそらくエルフの船に襲われた時の事を思い出す。

「ええっ……どう考えてもエルフの科学力は異常だわ」

 ドワーフと何世代もの差がついているようにしか思えなかった。

「戦争する以前の問題じゃ、はなから勝負にすらならんよ。まともに正面切って戦おうもんなら、手も足も出ずに絶滅させられる。搦め手から攻めても一太刀浴びせることができるかどうか……」

 ヘーデルは、卑ノ女を見ながら続ける。

「これは秘匿事項じゃ」

 ヘーデルは、そう言うと卑ノ女をまっすぐに見つめながら続ける。

「お前さんなら胸の内に仕舞えるじゃろうから話す」

 卑ノ女は、無言で頷いた。

「将軍達が一度、自滅。相打ち覚悟で、宇宙そのもの、他のパラレルワールド、多元宇宙ごと何もかも全てを崩壊させる時空破壊攻撃の使用を提案した事がある。だがな、止められたよ」

「宇宙そのものを崩壊させるって……そんなの無差別攻撃じゃない……ひどすぎるわ……」

「そうじゃな……しかし、止めた理由はそんなことじゃない」

 ヘーデルの肩が震える。

「そこまでやってもエルフは傷一つつかん。それどころか儂らだけこの宇宙ごと消滅して終わりじゃと。エルフは、このユニバースを見捨て、他の宇宙を創造し、そっちに移り住むだけだそうな。シンクタンクの意見とコンピュータの回答は見事なまでに一致しおった」

「やるだけ無駄って事?」

「そうじゃ。これはあくまでアイデアを提案しただけにすぎん。儂らも本気で自滅覚悟でやるつもりは無い。そもそもそれができるほどのエネルギィのリソースが無いからの。しかし、そこまでせんとエルフに一太刀すら浴びせられんと狂気に狩られてシミュレートしたたんじゃ」

「まるで、見てきたように言うのね?」

「そりゃな、これは当時将軍だった先代王の提案じゃ。わしは必死にその狂気を止めようとした側じゃった……。ドワーフはそれだけエルフに追い詰められとる」

 深い溜息と共に、ヘーデルは続ける。

「それじゃから、不思議でしかたない。誰が、一体、どの妖精が? あのエルフに戦争をしかけられる? エルフに脅威を与えられる? 少なくとも他の妖精達がエルフに手を出すことはできん。あれだけの力じゃ、異星生命体、高次元の存在であったとしても、エルフを脅かす存在があるとは思えん」

 卑ノ女は腕を組んで考え込む。

 少なくともエルフは戦争を恐れていた。

 つまり、ドワーフの知らない“何か”が存在する?

 卑ノ女は、このヘーデルというドワーフを信用している。

 と言うか、信じたい。

 他のドワーフはよく分からない。

 だが、このヘーデルは、なんというか自分に近い。

 そう、近いのだ。そして、果てしなく遠い。自分から手の届かないほど遠い。

 ヘーデルはこの世界に来て、卑ノ女が初めて見た“まともな”大人なのである。

「お前さんが、エルフが何を考えとるのかわからんといっとったな」

「ええっ、正直、あたしにさせてること自体に、なんの意味も無い。どれだけ考えても答えが見えないのよ。あなた達にエルフの不穏分子と言って攻撃させた。しかもこの戦艦を与えて……。エルフの行動の意味が分からない」

「じゃろうな……わしらも常にそれと戦ってきた。なぜ、わしらに攻撃させる? なぜ、同族の命を奪う真似をする?」

「でも、わたしが会ったエルフは、自分たちが和平使節団だと信じて疑ってない」

「お前さんを担いでるんじゃ無いのか?」

「100億ものエルフが? わたし一名を担ぎ上げるために?」

「ありえんなぁ。そんな下らんことをする理由が無いか。また、余計な謎が増えたわ」

「この情報は、ドワーフにとって関係ないんじゃ無いの?」

「いや、疑問を解明する手がかりにつながる可能性がある以上、知る必要がある。その上で取捨選択すればいい」

 このドワーフは、同族を守るために必死なのだ。

 ああっ、そうか……。

 卑ノ女は一人で合点がいった。

 なぜ、エルフよりもドワーフ、ヘーデルを信用できるのか。

 エルフは、どこか得体の知れないところがある。

 だが、ドワーフは、自分と同じエルフに追い詰められている。

 エルフに振り回されてる、同じ立場に居るんだ。 

「分からないことだらけね」

 卑ノ女は、そう言うと柔らかい笑みをその顔に浮かべた。

「お互いにな」

 ヘーデルもそれに答える。

「さて、結合器の調整が済んだ。ラビットを少しだけ若返らせるぞ」

 そう言うと、コンソールをいじりだす。

 そして、ボタンを押した。


    * * *


 その瞬間、どこか遠くの宇宙で、けたたましい警報が鳴った。



    2


 アメノトリフネのブリーフィングルーム。

 と言っても、何も無い広々とした空間。

 シルフとウンディーネの二名が中空に浮かぶ立体モニターを見上げ操作しているだけ。

「サラマンデルはどこに居るんだにょ」

 最近姿を見せないチーフオペレーターの名前を良いながらぼやいていた。

「ノーム博士は、休憩中だから仕方ないとして、タカマガハラまでの運行スケジュールの再調整と、船団の再編成の決定って重要な決断なのに、どうしてサボるかにゃ、あいつは」

 ウンディーネは、怒りながら声を上げていた。

「ここしばらく姿を見ていませんね」

 基本的に、シルフはサラマンデルのとる身勝手な態度に私事ながら怒りを覚えることもしばしばだったため、本気でどうでも良いと思っていた。

「まぁ、これでやっと本気で動き出せるにょん。多少の遅れは致し方ないとして……」

 オモイカネノカミのプランを検討するだけで良いのだが、先の攻撃による実際の被害の確認と船の修復や物資の再生産、諸々の作業があり、それら全てが解決するまでどうしても航行に制限がかかる。

 緊急ジャンプで当初の予定と違う空間へ跳んだのも影響してか、タカマガハラへの航行はどうしてもペースを落とさざるを経なかった。

 だが、それもある程度のめどがついた時だった。

「!」

 シルフの手首に巻かれているデバイスが警報を告げ、彼女の顔に緊張が走る。

「シルフ? どったの?」

「まさか……この反応……巫女様につけたマーカーが壊された?」

 ラビットS402の風防の中のさらにさらさらにに奥。分子結合の隙間に仕込んでいたマーカーが押しつぶされた。


    * * *


 アメノトリフネのさらに奥にある一室。

 ここは妖精ノームの私室。

 ノームは、しれっとした顔で話を聞いている。

『貴様、なにを考えている?』

「なにって、きまっとりゃぁす。おみゃあさんの尻ぬぐいだがね」

 呆れたように首をかしげる。

『では、なぜ、あの巫女を戻そうとする』

 男達の会話。ノームとオベリコムの間に剣呑な空気が漂っていた。

 あからさまに殺気立っているオベリコム。

 だが、ノームはそれを右から左に受け流している。

「他の巫女を喚ぶエネルギィがたらんぎゃ。それ以上に、この船団はもうわやだがね。いつ暴動が起きておかしくにゃあ状態だぎゃあ。他の巫女を喚べればええが、エネルギィが不足しとるで、それが出来ん。だったらあの巫女を救出したほうが早いがね。それにあの巫女はエルフに好かれはじめとりゃあす。多分、他の巫女を喚んだところで、おみゃあさんの目論見通り事がはこばんだぎゃ……。せめて、納得のいく“終わり”を見せつけんことには、どの巫女を喚んだところで不満が生まれるだけだがね」

 ノームは、溜息をついた。

『状況は分かった。だが、あれを救い出して、なにが変わる?』

「少なくとも、無駄死には減る。みんなはそう思っとりゃあす。あの巫女は何度もわしらを救ったがね。あれが戻ってこれば少なくとも当面は落ち着く。暴動も起きん。それにな!」

 ノームは、特に強調して続けた。

「おみゃあさん、あの巫女を始末したいおもっとりゃあせんか? だったらゲームを続行すればええ、常若の国の連中も喜びゃあす」

“まさかこいつ、刺客を送ったことに気付いているのか?”オベリコムは思わず黙り込んだ。

 腕を組み考え込む。

 ノームの顔を見ても、この妖精が何を考えているのか、まるで読めない。

 ゆっくりと口を開く。

『改めて聞くぞ』

「なんだぎゃ」

『貴様は誰の味方だ?』

「そんなもんきまっとりゃぁすがね、おみゃあさんの味方だがや」

 ノームは即答した。

「そもそも、おみゃあさんに逆らうつもりがあるなら、黙ってあの巫女を救出しとりゃあす。わざわざ報告するきゃ? ここでおみゃあさんがダメだというなら、無理に救出する気なんて、あらせんがね」

 オベリコムは、また黙り込む。

『じゃあ、やめろと言ったらお前はやめるのか?』

「そりゃ、素直に従うまでだがね。なんでおみゃあさんに逆らう必要がありゃあすか」

 さらに黙り込んだ。

 ノームの表情を読もうと努める。

“読めん……”

 年老いた妖精ノーム。しわの寄ったその顔つきから心の底がまるで読めない。

 思考を覗いてもノームのそれは言葉と思考が変わらない。

“相変わらず……いや、わたしが、疑いすぎてるだけなのか?”

 ノームの発言を受け入れるのは、思考を覗いても本音と変わらないからだ。

 だから、会話で本心を探ろうとする。

 しかし、分からない。

「オベリコム?」

 沈黙が過ぎたのかノームが問いかける。

『なんでもない……』

「どないしやぁす? わしは、おみゃあさんの言葉に従うでな」

 ノームは、飄々とした態度のままだ。

 オベリコムが、口を開こうとしたとき。

 部屋の中に緊急の呼び出しが響く。

 呼び出しのレベル5。これは最優先事項の緊急のコール。

「オベリコム」

『わかっておる!』

 通話は、王都との通話は、ここで途切れた。

 完全にリンクを切って安全を確保してから緊急用リンクを接続する。

「シルフ、なんだぎゃ?」

『ノーム! ムメカゴメを起動します。至急運用許可を!』

「おみゃあさん、なに言うとりゃあす。まずは落ち着いて、説明してちょ~」

 焦りに焦っているシルフと対照的に、ノームは相変わらず何を考えているのか分からない顔のまま、のんきな口調で口を開いた。 


    * * *


「穴蔵の戦艦の最終座標は保存しとりゃあすか……」

「はい、進行方向も補足してますが」

 シルフとノームは深刻な顔をしたまま、向き合っていた。

「一度でも次元跳躍されたらどこにいったか分からんようになりゃすか……」

 ノームは、杖を握りしめると、目を閉じて考え込む。

 額には、しわが寄っている。

「現地の残留重力波と空間の歪みを計測すればある程度の追跡はできるけど、フェイクや、遮蔽を噛まされたら厳しいにぇ~。そこまでするぎりがあるわけ? ほっとけば?」

 ウンディーネは、やっかいごとから解放されそうだと思いながら、軽い口調で言う。

「分かりゃあした。まずはおみゃあさんらとアメノトリフネとのダイレクトリンクをつなぎゃあすでな。ムメカゴメの起動を許可する」

 ノームは、杖で床を叩いた。

 澄んだ音が、ブリーフィングルームの中に響く。

 同時になにかが動いた。そして、柔らかい波がシルフとウンディーネの二人を包み込む。

「これでおみゃあさんら二名は、アメノトリフネと常につながっとりゃぁす。安心して行くがええでな。必ず巫女を連れて帰ってきてちょ」

「ちょっと、なんで、そんなあっさり!」

 ウンディーネは両腕を上げ、掌を眺める。

 そして、信じられないといった表情のまま、全身をくまなく見つめた。

「しかもこれ! まさかダイレクトリンクぅ! たかが巫女の為にここまですんの? あんなの使い捨ての生贄じゃん!」

 ウンディーネは、いつものふざけた口調ができないほど、取り乱している。

 対照的に、先ほどまで慌てていたシルフは落ち着きを取り戻し、真顔でノームを見つめていた。

「いいんですか?」

 シルフは、一瞬で落ち着きを取り戻すほどに驚いている。だが、表情だけは崩さない。

「いいもなにも、急ぎゃぁ、でんと手遅れになりゃあす」

 ノームは、柔らかい笑顔を浮かべる。

「どうせ、ウンディーネのことだで、ムメカゴメは、ちゃんと飛べるようにしとりゃあすでな」

 ノームは、再度ふくれっ面をしたウンディーネを見る。

「あいっ! かわらず! 何を考えてるのかわかんない妖精ね!」

「おみゃあさん程じゃにゃあでよ」

 吐き捨てるウンディーネと比べ、ノームは快活にカラカラと笑う。

「ノーム、ありがとうございます! ウンディーネ!」

 シルフは、意気揚々と促す。

「こっちのことはどうすんのよ!」

 ウンディーネは、本気で嫌そうな声で答えていた。

 だが、シルフにはその言葉を完全に無視すると、右腕を上げデバイスを起動している。

 アメノトリフネは、それに応じるかのようにシルフとウンディーネの二名をロック。

 転送準備を始める。

「ばか! 飛ばすな!」

「安心しやぁ、残りの作業は、わしが全てやっとく。ウンディーネは安心して巫女救出の事だけ考えやあ。吉報待っとるでな」

「だから、あたしは~!」

 ウンディーネの声が遠ざかるのを、どこか楽しそうに眺めながらノームは、左手をヒラヒラと振って、二人が消えるのを見守る。

 それから、天井を見上げた。

“あの巫女は、わしが待ち望んどった巫女かもしれん……。もしそうなら、あの偽りの王を止める事のできる唯一の存在になりゃあす。だで、ここで穴蔵共に渡すわけにはいかんのだがや……妖精の未来はおみゃあさんらの双肩にかかっとる……たのんだでな”


    * * *


 暗いくらい部屋の中。

 男は、全身の穴という穴から体液を流しながら、苦痛にうめいていた。

 いや、声は出ているのだが、音は聞こえない。

『さすが、アメノトリフネのトップオペレーターねぇ。誇って良いわよ』

 その世界には、ティターニャの愉悦の声だけが響く。

 男は、顔を上げ、居もしないティターニャを睨み付けている。

『わたしの書き換えにここまで抵抗した妖精は、五名も居ないわ』

 クスクスと楽しそうに笑う。

 まるでパイプオルガン。端から見たら楽器のようなハード。

 その鍵盤のようなキーを手慣れたペースで走らせる。

 美しい音楽が響く。

 だが、いくら旋律が美しくとも、調子がずれているのか、長く耳を傾けていると不快感が背筋を流れて行く。

 ティターニャは、延々と奏でていた。心を殺す旋律を。完全に手慣れた仕草で。

『なんで、自分の人格に固執するの? 自分が消えることがそんなに嫌?』

 でも、無駄とばかりに指を振る。

 白く輝く指輪。宝石が光る。

 さらに曲調がずれ、異様に早くなる。

 その音に合わせ、男の全身が激しく揺れる。

 叫んでいる。

 苦痛に大声を上げ叫んでいる。

 だが、その叫びは、誰に耳にも届かない。

 ティターニャの演奏に飲み込まれている。

 男の身体がのたうつのはまるで打楽器。

 ティターニャとセッションしているみたいだ。

 必死に自分の人格が、上書きされるのを拒む。

 補助脳の中にある領域を確保。人格をそこにバックアップする。

『だめよぉ。そんなとこに隠れようとしても。防壁なんて無駄だって分かってるんでしょう』

 ビク! ビクンッ! と激しく痙攣を起こし、身体が波を打つ。

 ビートを刻む。

 這いつくばることもできず、床に倒れ込み、のたうち回ることで音を立てる。

『自分が消されるのがそんなにいや? でも、よく考えてみなさいな。脳の中にあるのは、ただの情報。貴方が貴方だと思っている人格なんて、ただの情報の集合体でしかない』

 汗や涎、その他の体液で汚れた床。

 びちゃびちゃと汚く何度も音を立てながら転がり、自分で全身になすりつける。

 はぁはぁと激しく息を繰り返し、声にならない声を上げる。

 ティターニャは、いい加減いらだちを感じていた。

 鍵盤を走らせる指を止め、口を開く。

『そもそも、貴方があんな弱いドワーフに負けたのは、その貴方が大事にしている人格。くだらない自尊心のせいでしょう? あたしが用意した人格に身体を譲りさえすれば、そんなくだらない自尊心に足を取られる心配も無くなるのよ。さっさと負けを認めなさい』

 男は、仰向けに寝転がると、床を両腕で掴むようにしながら、大きく口を開く。

 声は聞こえない。

 何度も、何度も、同じ間隔で口をパクパクと開けたり閉じたりを繰り返していた。

 何度も何度も、何度も何度も、執拗に繰り返していた。

 なにかを彼女に伝えようとしているのに気付く。

 ティターニャは、男の口元をズーム。

 ゆっくり、ゆっくりと声に出してそれを詠んだ。

『く・ら・え・く・そ・く・ら・え・く・そ……』

 ティターニャは、黙り込む。

 そして、笑う。

「ふっ、ふふふふふふふっ、うふふふふふふふふふふふふふ!」

 憤る様子も見せず、ただ、大きな声を上げて笑う。

 端から彼女の様子を見る者がいたら、狂ったのでは無いかと疑うほどに、旋律を奏でるように笑う。

 それは歌のよう、背筋が震える風のような歌声だ。

『それがどこまで持つかしら? もう七割はあたしのプログラムに書き換えられてるのに? 三割程度残したところで巻き返せるとでも?』

 ティターニャは、再び指を走らせようとするが、彼女の目の前にオベリコムのビジョンが唐突に浮かんだ。

「オベリコム?」

 普段なら、このように彼女の書き換えの邪魔をすることは無い。

 それがなんの連絡も無しに現れる。

「ティターニャ。サラマンデルの書き換えはどこまで進んだ?」

「進捗を聞くためにわざわざ?」

 少し驚いた顔。

 彼女にしては珍しい表情をしているのをオベリコムは見逃さなかった。

「君は、そんな顔もするのだな」

「はっ! なに見てるんですか! アナタ!」

「いや、すまない。それもありだな……では無くアメノトリフネで動きがあった。その男が使えるようなら、コマユミとコダカヒコで再戦の機会を与えようと思ったのだが、いけるか?」

「あら、またショーをはじめるわけ? みんな喜ぶわね」

 ティターニャの笑みに影が混ざる。

 とても、楽しそうで、含みのある笑。

「まだ、途中だけど、使えないことは無いわ」

 ティターニャは、声を出さずに笑いながら、床に仰向けで寝転がっているエルフを見下ろす。

 苦しげに喘ぎ続ける。その都度胸部が上下に揺れていた。

 完全に書き換えが終了していない。だが、ほどよく混ざっているのは紛れもない事実。まだ理性が残っているとしたら、それもまた良い余興になるに違いない。

「ティターニャ?」

 声を立てずに笑うティターニャに再度声をかける。

「楽しいことになるわね。混ざった状態だとどうなるのかしら……」

 目が動く。

 そして、口元を歪めながら男を見下ろす。

「きっと、わたしも見たことが無い最高のショーが見れらるでしょう」

 ティターニャの楽しそうな声色。

 それは普段聞いたことがない音色だった。


    * * *

 

 ペンダントのロケットを手でもてあそびながら、モーザは虚空を眺めていた。

 自分はなにをしているのだろう。

 まだ、両親の仇は討てていない。

 巫女の側にはいけた。いけたのに、流されるままにこうなった。

 別に待遇が改善されるでも無く、以前と変わらぬまま。

 周りのエルフ達も変わらない生活。

 いつ解放されるか分からないこの状況で無為に過ごしている。

 自分には目標がある。

 巫女を殺す。

 手に力を込める。するとペンダントの節々にある鋭利な突起が掌に食い込む。

 痛みで力を抜く。

 最近、通訳に呼ばれることが無くなったのは、翻訳機が巧く機能しているからなのだろうか? だとしたら、困った。

 時間をもてあましているからではない。

 通訳として呼ばれなければ、巫女に近づけない。

 巫女の側に行けなければ、彼女を殺せない。

 両親の仇を討てない。

 もう、何度このロケットを掌の中でもてあそんだのだろう。

 なんとか、なんとか……次の機会こそ逃さない……。

 見ててね。お父さん、お母さん。

 必ず、必ず、仇は取るから……。

 憎しみの炎は簡単に消火できない。

 まだ、通訳の話は消えて似ないはずだ。

 次、もしも巫女の側に行けるのなら、そのときは……。

 どんな妨害があろうとも、必ず……。

 成し遂げる。

 モーザは決意と共に、もう一度ペンダントのロケットを握りしめる。

 だが、痛みですぐに力を緩めた。



    3


 ムメカゴメはドワーフの戦艦ボーリンを最後に補足した座標に、アメノトリフネの超々々々距離転移で一息に跳ぶ。

 ムメカゴメは、座標に出現すると同時に深宇宙探査。

 各種センサを作動させようとして、慌てて止めると各種機関のエネルギィ出力を押さえると慌てて船の姿を迷彩を使って消すとセンサに補足されない為の遮蔽機能を稼働させた。「嘘でしょ……」

 こればかりは、シルフとウンディーネの二名は驚きを隠せなかった。

「ほとんど移動してない? なぜ?」

 そう、卑ノ女のラビットS402に仕込んだマーカーが破壊されてから、それなりの時間が経過している。

「今の、次元跳躍……ドワーフに補足されたでしょうか?」

「わかんにゃいね……」

 ドワーフの軍艦の情報を得るために全力で跳んだのが仇になった?

 時空震、時空変動、重力波、多くの痕跡がドワーフの軍艦に伝わったかもしれない。

 二人のエルフは緊張していた。

「深宇宙探査も必要ないレベルで、補足できるなんて……」

「まさか慣性航行の状態だったにゃんてねぇ」

 なんだかんだ否定的な意見は出すが、仕事は完璧にこなすウンディーネ。

 コンソールとモニタを器用に操作している、情報は補助脳経由で直接彼女の中に送られてくる。

「まって、あの船……かなり激しい戦闘の痕跡が残ってる」

「ドワーフの船に? 誰が一体? わたしたちは攻撃してないはずですが」

 シルフも改めてモニタをチェックする。

 明らかに、激しい戦闘の爪痕がボーリンの船体に残っている。 

 詳しくスキャンするまでも無く、その爪痕はつい最近つけられたものであるのが分かる。

「あからさまに最近ついた傷だにぇ? スキャンしたいにゃ……」

「バレますか?」

「さすがに、遮蔽状態でフルスキャンは、補足されるにょ。隙を見つけての部分スキャンだね」

 それでも最低限のスキャンは必要な状況ではある。

 ムメカゴメの転移機能を使えばシルフをドワーフの軍艦に送ることはできる。

 だが、飛ばしたところで、巫女を救出できるかは別問題である。

 一人でできることは、限られる。

 無理矢理、巫女をムメカゴメに強制転移することも考えたが、その場合、間違いなくドワーフに補足されてしまう。

 遮蔽状態は、敵に補足されない為に、船を迷彩のシールドで覆っている。

 当然船の出す熱量を抑えるために極力必要ない機関を落とさねばならない。

 その為使えるエネルギィの量が限られてしまう。

 当然、個人の転送ならギリギリなんとかなるが、次元跳躍などの高出力のエネルギィが必要なことは行えない。

 ウンディーネは、コンソールを操作。

 ムメカゴメの速度をドワーフの軍艦と同調。相対距離を保った状態を維持し、等速で移動させる。

 この距離だとドワーフの軍艦に簡単には補足されないだろうが、シルフを転移させるつもりなら、もう少し近づかねばならない。

 今のところ、ドワーフの軍艦がムメカゴメを補足した様子が無い。

 本来なら、ワープアウトした時、ボーリンに補足されたであろうが、コダカヒコとの戦闘でセンサを損傷した為、周辺の宙域全てを網羅できる状態で無かった。

「おそらく、あの船はなにかと交戦してその自動修復をしながら航行してる状態だにぇ」

「だから、時間の割に、さほど移動していなかったのですか……」

 シルフは、合点がいった。

 補足されない程度の距離を維持しながら、ムメカゴメは定期的にボーリンを観測、隙を見てスキャンを繰り返す。

 船の構造を把握し、居住区や独房を探り当てなければ救助も何も無い。

「あの船の動力炉は、ブラックホールを動力源にしてるのかにゃ。でも、ほとんどのエネルギィを修復に回して……」

 ウンディーネが、表情を変える。

 隣に居たシルフも彼女の真顔を見るのは珍しい。すぐに異変に気付くと声をかける。

「どうしたのですか?」

「まって! なんで!」

 驚愕という感情だけでは、表現できないほどの複雑な声。

 ウンディーネは、目を閉じると直接脳内に入ってくる情報を整理する。補助脳も全力で稼働させていた。

「間違いにゃい……軽く見て50、いや、離れたところに別の反応もある?  スキャンの範囲外? もしかして50以上居る? まってよ、全体スキャンしたい! なにこれ……チチブノクニミヤツコの住民番号? なんで? あんな残忍な穴蔵共が同胞を……救助したって言うの?」

 格納庫を開放してそこにエルフをまとめて保護しているため、一気にエルフの姿を補足する。たまたまかけたスキャンに引っかかった。

 ウンディーネは、完全に混乱していた。 

 自分が学んだ知識ではあり得ない。

 ドワーフは、無慈悲で残忍で冷酷。遙か昔同じ惑星で暮らしていたが、エルフに一方的な戦争をしかけ、最終的に母なる星を破壊。エルフもドワーフもその結果、散り散りに宇宙を放浪する羽目になった。今もエルフを憎んでいると言う。

「どうして、ドワーフの船にエルフが乗ってるのよ……」

「エルフが? ドワーフの軍艦に? 待ってください! そのエルフは無事なのですか? ひどい事は、されてないのですか?」

「スキャンで詳しく拾えた数名だけだけど、状態には異常は無いと……思う……けど……怪我の治療? 穴蔵が?」

 信じられないといった口調で、ウンディーネの補助脳にアクセスした。

 シルフも情報を入手。

「どういう……ことですか……ドワーフが、エルフを保護している?」

 彼女も完全に言葉を失っていた。

 エルフとドワーフは敵対関係にある。

 それはアメノトリフネの和平船団を砲撃したことからも明らかであり、シルフを初めとしたアメノトリフネに乗船するエルフ達はそう信じていた。

 ドワーフがエルフを虐殺することはあっても、救助するなんてあり得ない。

 ましてや、避難民として保護するなんて、絶対にあり得ない。

 シルフと、ウンディーネは、声も出ないままに視線を合わせる。

 とんでもない事態になった。

 初めは、ただ巫女を助けるだけのつもりで……。

「アメノトリフネに……ノームに……報告しますか?」

 空間をねじ曲げて行う重力波通信。

「無理だ……絶対にバレる……」

 これをするとなると間違いなくドワーフの船に補足される。

 つまり、シルフとウンディーネの二名で決断しなければいけない。

 この事態をどうするべきなのか。

 巫女を救出するのは大前提として、どうする?

 さすがにこの大人数を救出するのは無理だ。

 ドワーフの軍艦と戦う?

 ムメカゴメに、武装は無い。

 どうすれば良い?

 思わず息をのんだ。

 しばらく考え込む。

 そして。

「とりあえず、ドワーフの軍艦にクラッキングを」

「だにぇ。なにをするにしても情報を得てからにしよう」

 断片的な情報で、結論を出すのは愚の骨頂とも言える。

 このエルフ達はそのことを知っていた。

 とにかく、どう動くにしても、どのような決断を下すにしても、一番重要なのは情報。

 まずは、そこからである。

 彼女たちが下す決断が重要である以上。


    * * *


「通訳の仕事は良いのか? って」

 エルフの様子を観に来たドワーフのトレットは、モーザに声をかけられ足を止めた。

「そうはいっても、君が調整してくれた翻訳機の調子がすこぶる良いから、今のところ特に彼女との会話に問題はないからね。どうして、急に?」

 巫女を殺す為だなどと言うことはできるはずも無い。

 だが、この質問の返しが来ることは、予想していたので返答にも困らなかった。

「巫女の言語のサンプリングよ。情報の更新は常にしないと翻訳の精度が落ちるわ。今は齟齬が無くてもそのうち会話の精度が落ちてくるはずよ?」

「翻訳機が、自動でやってるんじゃ無いのか?」

 トレットは、不思議そうに尋ねる。

「未知の言語なのに? ある程度のアルゴリズムの解析は行われてるだろうけど、サンプリングの関係上、情報は常に更新されるわ。そこはチェックしないとダメでしょうに。巫女が新しい単語を吐き出す度に狂っていくし、精度も落ちるでしょう」

「なるほど」

 トレットは、ハタと手を打った。

「しっかりしてよ。あなた、情報軍の将校なんでしょ? 少し前から、それが気になってたから、声をかけたの。分かった?」

 多少、なれなれしい態度を見せることで少しでも油断を誘うことができれば。

「分かった。とりあえず、翻訳機の方に行くかい? それとも巫女の方に?」

「とりあえず、巫女の方に連れてってくれる? 少し言葉のサンプリングを取りたいの。それから翻訳機の方で負荷がどれぐらいか確認してみるわ」

「了解した。じゃあ、行こうか?」

 トレットがモーザを促すのには、理由がある。

 ボーリンが軍艦である以上、各セクションごとにセキュリティがかかっているためだ。

「お願いできる」

 トレットとモーザは、そう言うとエルフの住居代わりにあてがわれている格納庫を後にする。

 正直、ドワーフにとって、避難民のエルフを救助したはいいものの、現状ただリソースを食うだけで、役に立たないエルフの存在をもてあましていた。

 軍艦という性質上、無造作に手伝いをさせるわけにもいかない。

 なにより自由にさせて暴動でも起こされたら制圧に手間取るという懸念もある。

 だが、エルフ達は、ドワーフの思惑に反しておとなしくしていた。

 それには、卑ノ女の存在が大きいのもある。

 彼女が、ドワーフにとって大切に扱われている限りは、特段不満げな様子を見せることも無く反意を示すようなことも無かった。

 だから、そこに油断があったのは、仕方が無いとも言える。

 これがヘーデルかホッヘならまた対応が若干違ったかもしれない。

 エルフ達は、モーザが居住区代わりにあてがわれた格納庫を後にするのを気にもとめた様子も見せなかった。

 ゆっくりと、格納庫を後にするモーザ。ちらりと保護されているエルフ達を見る。

 だが、誰も彼も大人しいものだ。ほとんどのエルフがチチブノクニミヤツコから投げ出されたエルフ達。

 顔見知りのエルフも多く居た。

 母の友人も、父の同僚も。

 モーザは、覚悟を決めていた。

 おそらく自分はここに戻ってこれない。

 だけど、それで良い。

 名族を示すペンダントトップ。ロケットを強く握りしめる。

 掌から少し先端が出て、刃先が鈍く光った。

 同時に突起が掌に強く食い込む。

 刺さる手前で止めるが、力は緩めなかった。

 これで……。母の形見となった、これで……。

 巫女を……。

 目を閉じる。

「どうしたんだい?」

 トレットが、ふと声をかける。

「何でもないわ。さぁ、行きましょう」

 モーザは、顔を上げると、笑顔を作ってトレットの隣に並んだ。

 これで、なんとか、巫女の側に行ける。

 最後の関門は、このドワーフ。

 なんとかして排除しないと……。

 力ではかなわないだろう。

 だけど、早さなら? どうだろう? 分からない。

 とりあえず、このドワーフだけなら、多分巧くすれば排除できる。

 自分を信用してくれている。

 その後は、考えるな。

 もう、戻るつもりは無い。

 巫女と共に逝くんだ。

 これで巫女を刺せれば良い。

 自問自答を繰り返す。

 見えてきた。繰り返すことで見えてきた。

 シミュレートを繰り返す。

 頭の中で、自分がいかに行動するかを考える。

 このドワーフは、自分を信用している。

 多分、この手ならできる。きっとできる。

 この手がダメだったときは、なんとか巫女の側までいければなんとかなる。

 掌に力を込める。

 チャリッと手にしたロケットが音を立てた。

 痛み。

 それすらも気持ち良く感じる。これで巫女を刺し殺せるのなら。

 モーザの口元が歪む。


    * * *


「エルフの反応が一つ動いてる」

 ムメカゴメで、クラッキングをしかけているウンディーネが、興味深げに言う。

 とりあえず、エルフの状況をくまなくチェックする為に、エルフが保護されている格納庫のスキャンからはじめていた。

 そのときに、動きがある。

「一名だけですか?」

 シルフも併せて確認している。

 スキャンした結果、この格納庫らしき空間に、53名のエルフがいることが判明した。

 全員が鮨詰めにされているでも無く十分な空間があてがわれており、体調に異常も感じられない。まぁ、正確にスキャンできたわけでは無いが。

 その状態で、一名のエルフがドワーフをともって移動する。

 これは詳しくチェックする必要がある。

 シルフもウンディーネもドワーフの船の中でなにが起きているのか、まるで理解していない。

 もしかしたら、ドワーフがエルフになにかをするのでは無いか?

 その懸念がある以上、多少無理をしてでも追うのは当然とも言えた。

「この距離だとスキャンがキツい。リスクが増すけど、少し距離を縮めるにょ。いいにぇ?」

「構いません。慎重にお願いします」

 ウンディーネが、ムメカゴメの慣性制御装置を起動。

 ボーリンとの相対距離を詰めにかかる。

「ドワーフは、なにをするつもりなのでしょう?」

「わかんにゃいけど、残忍な穴蔵共のすることだから油断できない……」

「非常事態も意識した方がいいかもしれませんね」

「強制転移? それを今するのはリスクが大きすぎるにょ」

 この距離では、ドワーフの艦内にいる捕捉も難しいエルフをムメカゴメに呼び寄せるのは難しい。

「いえ、わたしを向こうに飛ばすことです」

「もう少し寄せれば、ムメカゴメならいけないことは無いけどにぇ」

 それをしたら、シルフには後が無くなる。

 いくらトップセキュリティのシルフとはいえ、軍艦に居る全てのドワーフを倒すなど不可能だ。

 とにもかくにも今は、ドワーフに連れられているエルフの様子を見るしか無かった。

 じれったく感じたシルフが思わず言う。

「ところで、ドワーフの艦内のカメラを奪えませんか?」

「同時にいくつもの事をさせるにゃ!」

 ウンディーネは、文句を言いつつも必死にドワーフの船の中に潜り続ける。

 深く潜る度に、ウンディーネは疑問を抱く。

“これって……まさか……でも、なんで?”

 その疑問を解消するためにはプログラムの解析作業だけでは無理なのだが。

 ところで、今はそれどころでは無かった。


    * * *


「しかし、スムーズに会話できてるから気にしていなかったけど……確かに情報の更新は必須だね」

 トレットは、モーザに言われたことを改めて繰り返していた。

 ドワーフなのになぜか鼻の下が今にも伸びていそうなのはこの軍艦に余りに女っ気がなさ過ぎるせいかもしれない。軍艦だからそう言うものでは無く、不自然を感じるレベルでドワーフの女性を見ない。

 そのことに気がついたエルフはいただろうか? 

 当然、モーザもそのことに気がついていない。

 彼女は、視野狭窄の状態に陥っていた。

 普段の彼女なら、そのことに疑問を抱いていたかもしれない。

 トレットが、女性との会話が少し不自然なのも、彼が女性に不慣れと言うことに由来している。

 きっと、冷静な状態のモーザなら、トレットが女性になじみがないことにも気づけたかもしれない。

 だが、今の彼女は、一つのことだけしか考えていなかった。

 もう少しだ。あと少しで、望みが叶う。

 ゆっくり歩いている。

「卑ノ女は、この先に居るよ」

 そして、モーザはゲートを潜る。


    * * *


 アメノトリフネの中で、男はゆっくりと身体を起こした。

 頭の中で、誰かが叫んでいる。

「オレをだせ!」

 だが返事は短く一つ。

『嫌だね』

 そう、やっと身体を手に入れた。

 なんだってできる。

 そう! なんだってできる。

 目の前には、二つも、自分好みの“力”が置いてある。

 これを使って好きに暴れろという。

 なにをしても良いという。

 遠慮は要らない。

 そう、好きにして良い。

 なんて、愉快なんだ。

 男は、笑っていた。

 心の底から笑っていた。

 満足するまで、笑ってから、はたと気付く。

 自分の身体がひどく臭うことに。

『暴れる前に一つだけすることがあるな……』

 まずは、この“今は借り物”である身体を洗うこと。

 汚物にまみれたままと言うのが、男にはたまらなく不快だった。

 それが済んだら、暴れよう。

 満足するまで、力の限り。



    4


 ユミルの格納庫の片隅。

 卑ノ女がラビットS402に傍らに立ちながらユミルを見上げていた。

「すごいものねぇ……」

 しみじみと呟いている。外から見る限り分からないが、ほぼ、船体の修復は済んでいるという。

 大きな修復用の機械を使うので無く、船体に仕込んであるマイクロマシンが自動で修復作業をするのだという。

 ヘーデルがラビットを修復するのとはまた別の技術である。

 卑ノ女がラビットの車体にマイクロマシンを使うのを拒否したし。

 また、同様にヘーデル自身も卑ノ女の気持ちを理解し、それをしなかった。

 これはエルフの技術で無く、ドワーフ独自のものだという。

 これだけの科学力がありながら、ドワーフはエルフの足下にも及ばないというその事実がとても恐ろしく感じる。

 ここ数日で、ヘーデルは卑ノ女から有益な知識を得た。

 逆に、卑ノ女はヘーデルから様々なことを学んだ。

 そして、ドワーフと言う種族の限界、悲しい運命も知らされた。

 思わずラビットに手を伸ばし、そっと触れる。

「卑ノ女!」

 聞き慣れた声が、卑ノ女の背中を叩く。

「トレットさん?」

 名前を呼びながら振り返る。

 視線の先には、エルフのモーザと、彼女の歩幅に合わせて必死に大股で歩くドワーフの若い士官トレットが並んでいた。

「モーザが、卑ノ女に用があるそうだ」

「モーザが?」

「たいしたことじゃ無いわ。翻訳機のテストの兼ね合い。サンプリングで貴女と少し話がしたいだけ」

 ゆるやかな足取りで、歩み寄ってくる。

 モーザは、ややぎこちなさを含んだ言葉で、横に居るトレットに声をかける。

 鼓動が早くなる。隣に居るドワーフに聞かれてしまうのではと不安になる。

 深呼吸をする。そして口を開く。

「ねぇ? トレット」

「どうしたんだい? モーザ」

「翻訳機の端末、わたしの分を貸してくれる?」

 これは自分の声かけ、急な思いつきで始まったこと。

 だから、予備の端末など持っていないと、信じて……。

 それがダメなら、この距離なら届く……。

 不自然な態度は出ていないだろうか?

 モーザは、焦るな! と自分に何度も言い聞かせながら、トレットを見た。

 足を止めるトレット。

 彼は、エルフとは言え、女性と揃って会話することに慣れて居らず、少し浮き足だっていた。その為、普段なら気づいていたであろう事も気づかなくなっていた。

「ごめんごめん。そうか気がつかなかったよ。ちょっと待ってて! 今取ってくる」

「お願い。わたしは先にサンプリングのために巫女様と打ち合わせしてるから」

「分かったよ。先にはじめてて、すぐに戻るから!」

 トレットは、きびすを返し走り出す。

 こんなあっさり行っていいの?

 モーザは、拍子抜けするぐらい順調に物事が運んでいることに内心驚きを隠せないでいた。

 呼吸が荒くなる。信じられない幸運。なぜここまでスムーズに事が運ぶ?

 だが、これは、間違いなく好機。

 最初で最後の……。


    * * *


「さて、始まるな……」


    * * *


 モーザは、深呼吸をする。

 だんだんと、卑ノ女の姿が近づいてくる。

 今すぐ走り出したい。

 だが、それを、はやる気持ちを堪えながら、ゆっくりと慎重に足を運ぶ。

 卑ノ女は、モーザの気持ちを知るはずも無く、いつものように笑顔を浮かべながら彼女に声をかけた。

「それで、どうしたの?」

「ええ、巫女様、少しだけ、お話をしましょう」

 モーザは、はやる気持ちを抑えながら右手に力を込めた。



  異世界転生した巫女ですが祈ることしか出来ません

  第二部 ドワーフ編 

  第三話「それで、どうしたの?」 了


    予告


 巫女を恨むのはお門違いじゃ無いか?

 あんたが憎むべきは、わしじゃろう?


 過去の巫女がしてきたことは、わしにはわからん。

 だが、こいつは、お前達を救ってきたはずだ。


  次回 異世界転生した巫女ですが祈ることしかできません

  第二部 ドワーフ編 第四話 「今度は、なんだ!」へつづく

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