第27話 Hから
深夜。
非常警報が発令される。
けたたましいサイレンの音は元々予期していた。部屋には既に鍵が掛けてある。暫く外で大きな物音と人の怒声、悲鳴が上がり、やがて止まった。
私は白衣を羽織って悠々と立ち上がり、鍵のかかっていた扉から外へと出た。
「げほっ……。いいねぇ! すごくいいよお!」
大声で、笑う。
廊下にも、どの部屋にも、地面に倒れ伏した人間しかいなかった。何処からか出火しているのか、薄く煙も充満し始めていた。その中を、白衣のポケットに手を突っ込み、邪魔な人間を蹴り飛ばしながら進んでいく。
入口では倒れた警備員が、無謀にも戦おうとしたのか頭から血を流して倒れていた。多分、死んでいるだろう。きっと手加減なんてしていない。
当然だが、武器になるようなものなど置いていない。つまり、全て素手によるものだ。文武両道とは聞いていたが、これほどまでの力を持ち、これだけの人数を一人で制圧したと考えると、とても普通の人間ではない。
施錠された分厚い扉は無理矢理こじ開けられていた。幾つか思い切り凹んだ跡もある。扉自体を止める大きな南京錠も、奇妙に捻くれた形で地面に落ちていた。
これも、彼女のお兄さんへの愛故のものだというのか。
──あぁ、面白い。
人生には刺激が必要だ。代わり映えのない人生など退屈でしかない。
私はほんの少し刺激を与えただけ。今日のカウンセリングの際に、お兄さんと金髪の女の子が一緒に歩いている写真を見せただけ。
『殺人』ではなく『未遂』だったのだから、生きているのは分かっていただろうに。尤も、裁判中の彼女は放心状態であったようだし、聞いてなくても納得はできるが。
しかし、個人的にお兄さんを追っていて良かった。探偵ごっこをするのも随分楽しかったし、美少年と美少女を見るのも中々良い目の保養になった。
彼女なら、そう彼女なら、更なる刺激を私に齎すだろう。ああ、どれほど楽しい見世物が待っているというのだろう。
入口の扉をくぐって外へ出る。冬の冷たい空気が肌を刺す。
くしゃくしゃになったセブンスターのソフトパックを白衣のポケットから取り出し、ひしゃげた煙草を引きずり出して、火をつける。
「ふはっ、ふはははははっ……!」
煙と一緒に笑い声が溢れた。
延焼が広がってきたのか、窓ガラスが内側から割れる音と共に炎が吹き出した。恐らく多くの人間が一酸化炭素中毒で死ぬのだろう。私には、どうでもいいことだが。
ふと、スマホの着信音を鳴る。「公衆電話」と表示されているディスプレイを見て、私は迷わず通話ボタンを押した。
「公衆電話、見つかったみたいで良かったよ。最近はめっきり見なくなったからさ」
友人のような気軽さで電話の向こうへ声を掛ける。数秒の無言の後、返答が来る。
「……何が目的ですか」
「
暫しの無言。呆気に取られているのだろうか。残念、私はそういう人間なんだ。
「人の人生を何だとっ……!」
「まあまあ、こうでもしなければ普通に二、三年はあのままだったよ? 私が好意的な診断結果を出しても承認されないよ。自分がやったことの大きさくらい分かるだろう?
カウンセリングで写真を見せた後、彼女は全ての表情を無くし、それを私の手から奪い去って部屋を出ていった。番号は、その写真の裏側に書いたものだ。
「……兄さんの」
「お兄さんの元に戻して、かい? 直ぐには無理だね」
「どうして!」
「
「私にどうしろと?」
私の要領を得ない、無意味に不安を並べ立てる言葉を受けて、声に苛立ちが混ざっていた。
「端的に言えば、私が匿ってあげるよ。ほとぼりが冷めるまで。そしたら、お兄さんの元へ連れて行ってあげよう。感動の再会だね。涙が出ちゃいそう」
くすん。
「……何のために」
今度は訝しげな声。信用がないな。少なからず、雑談を交わした仲だというのに。
「言ったろう? 楽しそうだからさ。……さて、時間はあまりない。恐らく直ぐに警察が来る。そして君も、いつどうなるか分からない。さぁ、選択を。── Yes or No?」
一瞬の沈黙の後、答えが返ってくる。まぁ、答えなど、最初から分かりきっていたが。笑みが浮かぶ。最後に居場所だけ聞いて通話を終えると、吸殻を傍らに投げ捨てながら駐車場へと向かう。サイレンが近づいてくるのが聞こえた。さっさとこの場から離脱するとしよう。
駐車場に向かい、一息つく。時計を見るとちょうど零時を回ったところだった。
──2019年2月15日
──私の二十八回目の誕生日
私は燃え盛り始めた炎を背にして、今までで最も盛大で豊かな誕生日を迎えた。
愛車である、白のセダンに乗り込む。久々に走ったからか、息が乱れて汗が滲む。白衣を脱いで、助手席に雑に放り投げる。
「歳を取るのは嫌だねえ。……さ、白馬でお姫様を迎えに行きますか」
エンジンを掛けクラッチを切る、鑑別所を出るまではゆっくりと、しかし出た瞬間からスピードをどんどんと上げていく。クラッチを切って、繋げる感覚が好きだった。オートマでは感じられない妙な快感だった。
一度接続を切り、そのスピードに合わせたギアへゆっくりと繋げる。自分でその作業をしているのが楽しかった。気づくと、笑っていた。楽しくて、可笑しくて、仕方がなかった。
間もなく、彼女がいるであろう公衆電話へと辿り着く。思っていたよりもずっと遠い。さすがの身体能力だ。街灯の下、ぽつんと佇む少女の姿が見えた。背たけこそ女性としてはある程度あっても、華奢な体躯の彼女が化け物じみた存在だと誰が分かるだろうか。さて、王子様らしく颯爽と登場しよう。
急ブレーキを踏む。高い金属音が鳴り響き、やがて衝撃と共に止まった。窓の外には、目を丸くして見つめる少女の姿がある。
「やぁ、お姫様。迎えに来たよ。乗りな」
親指で、車の後部座席を指差した。 少女は私を睨みつける。それを真正面から受け止めて、百点満点の笑顔を見せつけてやった。睨みつける眼差しがより強くなったが、そんな表情をされても余計に楽しくなるだけだ。
結局それしか選択肢はない。渋々といった体で少女は車の後部座席へと乗った。
「ちゃんとシートベルトはしてくれよ。私は運転が荒いんだ。それに、法律違反になっちゃうからね!」
慣れないウインクを飛ばしてみる。視線が汚物を見るようなものに変わった。ふむ、美少女からそんな目で見られるのも悪くは無い。私は無駄に新たな扉を開きそうになる。
即興の鼻歌を奏でながら再び煙草を取り出し、火をつける。思い切り吸い込んで肺に送り込んでから、ゆっくりと吐き出した。
──さぁ、まずは楽しい逃避行といこうか。
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