第14話 Hの話-6

「それで、どんな風に刺したんだい?」


 カルテに何かを書き込んでいた白衣の女は、ペンを止めると他愛のない会話かのように問いかけてきた。


「どう……?」


「どんな体勢で刺したとか、そういう感じさ」


「何故そんなことを話さないといけないんですか」


「んー、暇つぶしが半分、好奇心が半分、ってところかな」


 女はたのしそうな笑みと共に、小首を傾げる。

 その姿に僅かな苛立ちを覚え、無視しても良かったのだが、気晴らしに会話に付き合うことにした。


「腰だめにナイフを構えて、体ごとぶつかるようにして刺しました」


 思い返し、淡々と答える。


「いいね! いいね! 刃物の使い方をよく分かってる。チンピラみたいに振り回すのはただの威嚇だからね。殺すつもりならそうしなきゃ」


 女はたのしそうに両手を叩く。

 カウンセリングとは言うが、この女にはそのつもりがあるのだろうか。


「で、ぐりっとやったかい?」


「……ぐりっと?」


 言っている意味が分からず、首を傾げる。


「そ。刃物を根元まで刺してからぐりっと刃を回転させる。そうするとさ、内蔵を傷つけられるし傷口も大きくなって致死率が増すんだ。覚えておくといいよ」


 そう言って、女は手元でペンをくるくると廻す。


 覚えておいて、何の役に立つというのか。

 ……いや、いずれ役に立つのかもしれない。少なくとも、覚えていて損は無いだろう。


 それにしても、本当にこの女は医師としての自覚があるのだろうか?

 それとも、精神科医は皆こういうものなのだろうか。

 まぁ、どうでもいいことだ。


 私の関心ごとは、コイツがいつわたしを出してくれるかということだけ。

 前にコイツが言っていた通り、こうしている間に兄さんに新しい虫が付く可能性があるのだから。

 せっかく、あの金髪の泥棒猫を始末したというのに。


 優等生を演じれば直ぐに許可が出るのかもしれない。

 けれど、私は兄さんへの気持ちを推し隠すことはしたくなかった。

 兄さんへの愛を理解してもらい、その上でここから出してもらう。

 それもまた、必要なプロセスだ。


「兄さんの元へ戻してください」


 一体、何度同じ台詞を吐いているだろう。


「無理だねぇ、反省してる態度も見られないし」


「反省? 兄さんをろうとした女に制裁を加えるのは、妹として当然の権利……いえ、義務です」


「あっはは、徹底してるね。いやあ、興味深い興味深い」


 そうしてまた、カルテに何かを書き込んでいく。

 治療というよりも、ただ好奇心を満たすことに使われている気がする。

 そもそも、私に治療が必要だとも思わないけれど。


「そういや君さ、異様に力が強いらしいね。握力とか幾つあるの?」


「正確には分かりません。針が振り切れましたから」


 中学三年になりたての体育での測定。

 私はどの種目でも好成績を残したが、中でも握力は測定不能なレベルだった。

 これもきっと、兄さんを護るための力に違いないと思った。


「ハンドボール投げは?」


「それも測定範囲を超えました」


「ゲーセンとかによくある、殴ってパンチ力測るやつは?」


「機械が壊れました」


「わーお、それはすごいね。想定以上だ。それなら、兄さんの部屋のドアノブをぶち壊すくらい、容易なわけだね」


「……そんなことまで、医者は知ってるものなんですか?」


「んー、どうだろうね?」


 女は顔を上に向け、視線だけを私の方へと向けた。試すような表情。けれど、それ以上の追求はしなかった。


 また、無為な時間が流れる。

 この女はカウンセリングめいたことはせず、ひたすらに私と兄さんのことを聞いてくるばかりだ。


 いつになったら、私はここから出られるのだろう。

 いつになったら、兄さんと会えるのだろう。

 いつになったら、また兄さんの体を味わえるのだろう。


「くふっ……」


 ある日の情事を思い返した。

 あの時は兄さんも嫌がりながらも感じているのは明確だった。

 思い出すだけで笑みが零れた。


「うっわ、気持ち悪ぅ……」


 いつも飄々とした態度の女が初めて本気で気分の悪そうな声を上げたが、脳内で兄さんと交わる私の耳には届かなかった。

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