第4話 Hの話-2
兄さんは、いつも疲れているように見える。
実際、疲れていたのだろう。
突然両親を亡くし、まだ小学生だった私と二人きりになって。
兄さんはいつも私を気遣ってくれた。
慣れない家事をしてくれた。
暗く沈む私の隣に寄り添って、優しく頭を撫でてくれた。
寂しくて泣いた時は、包み込むように抱きしめて一緒に寝てくれた。
兄さんだって辛かっただろうに。
泣き言の一つだって言いたかったろうに。
──兄さんは、憔悴していった。
あの柔らかい笑顔が好きだったのに、滅多に笑わなくなってしまった。
私には笑みを見せてくれるが、取り繕ってただ貼り付けただけの笑みだった。
だから、私は変わろうと思った。
身嗜みに気を遣い、学校で積極的に友達を作っていった。
兄さんにとって自慢の妹になれるように。
家事を覚えた。
料理も私が作れるようにしていった。兄さんの負担を少しでも軽くできるように。
両親の死から三年がたった中学二年生の時、私は完璧に家事をこなして、学校での成績もよく、我ながら周りに好かれる存在になった。
けれど、まだ兄さんに笑顔は戻っていなかった。
身長は中学に入ってから伸びず、私が追い抜いてしまった。誰にでも優しかったのに、塞ぎ込みがちになってしまった。
私にはどうしていいか分からなかった。
どうしたら兄さんを笑顔に出来るのか分からなかった。
──私にとって兄さんは全てだ。
兄さんを幸せにしたかった、また笑えるようにしてあげたかった。それを出来るのは唯一の家族である私だけだ。
私にしか、出来ないことだ。
ある日を境に、兄が少しづつではあるが、明るさを取り戻していった。私の大好きな、あの柔らかい笑みを取り戻し始めていた。
でも、私は何もしていない。出来ていない。
それなのに、何故。
調べてみたら直ぐに分かった。
誰とも話すことがなくなり、次第に友人の数を減らしていった兄さんに、新しく友達が出来たようだった。
隠れて三年生の階に行き、こっそりと教室の中を覗いた。
兄さんが見えた。
口元が綻ぶ。
そして、隣には一人の男子生徒がいた。
兄はぎこちないながらも、楽しげな笑みを浮かべていた。
私では、取り戻せなかった表情。
急に心の中が冷えきっていくのを感じた。
──私以外の存在に、笑顔を見せている。
こんなにも私は頑張ったのに。
私では笑顔を取り戻せなかったのに。
酷く、憎かった。
あの男が。
そして、兄さんが。
これまで感じたことの無い、ドロドロとした感情が私の心に満ちた。
兄さんを満たすのは私だ。
兄さんを愛しているのは私だ。
兄さんを理解しているのは私だ。
全ては、私でなくてはならない。
だから、私は決めた。
元から抱いていて、けれども封じ込めていた感情を、欲求を、吐き出すことにした。
その方が、兄さんは喜んでくれるに決まっているから。
何故なら、兄さんも私のことを愛しているから。
あんなにも、大切に想ってくれているのだから。
私、もっと自分に素直になるね。
そうしたら、兄さんはもっと笑顔になれるに違いない。
もっと私のことで頭が一杯になるはず。
その方が、幸せでしょう?
大切な人のことで頭の中が満ちている方が良いでしょう?
そうなれば、他のものなんて要らないでしょう?
夢想する。
体が火照りを帯びる。
──待っててね、兄さん。
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