名前と投影
心中未遂は世間を騒がせた。特に僕だけが生き残りダン君が死んでしまったのが世間的には駄目だったようだ。僕は殺人罪で訴えられたけれど、大量の金と勇者の肩書であっさりと釈放された。でもダン君がいなくなり一人きりになってしまったんだ。
孤独になった僕はこれからの事をぼんやりと考えた。その時ふと、今まで目をそらしていた事をうっかり僕は直視してしまったんだ。
僕は、大嫌いな太宰治と同じ心中をしようとしたのではないか?
そこから三日ほど先までは狂乱であまり覚えていない。けれど、自分の大嫌いな名前の奴と同じ事をしている事がたまらなく嫌だったことだけは覚えている。落ち着きを取り戻した時に僕は覚悟を決めた。
太宰治になってしまえと。
そこからは早かった。今まで絶対に意識して書かなかった太宰治の作品を積極的に盗作した。
『桜桃』に『ヴィヨンの妻』に『雪の夜の話』。他にもいろいろな太宰治作品を盗作した。太宰治の作品は今までで一番売れたからやっぱり太宰治は何か持っているのだなと本気で思った。ちなみに、一番売れたのは『斜陽』だ。僕の栄光と没落を重ね合わせる人が多かったからね。
ただ、一つだけ書けない作品があった。『人間失格』だけは書けなかったんだ。
太宰治といえば『人間失格』。そんなことわかりきっている。馬鹿両親によって熱心に何度も読まされたのだから内容だってすべて覚えている。でも、どうしても書けなかった。書いたらすべてが終わるような気がしたんだ。
僕が『人間失格』で悩んでいる頃、運命的な出会いがあった。サリーという女性を紹介されて結婚して身を固めろと周りに言われたのだ。結婚すればきっと僕が正常になって元気になると根拠もなくそう思われたんだ。ダン君がいたから安定していたというのもあって、僕は誰かが傍にいた方がいいと周りに判断されたんだろうね。そのころには僕も三十代後半に差し掛かっていたから、結婚するのも良いかなと思った。
サリーのことを、僕はさっちゃんと呼ぶことにした。君が文学を齧っていたらさっちゃんがどういう意味か分かるかもしれないね。わからなくても別にいいんだけど、さっちゃんについて知っていた方が僕の心境をより理解できるよ。でもさっちゃんは僕に尽くしてくれなかった。ダン君とはまったく違うひどい悪性を持っていたんだ。
さっちゃんは自立した女性だった。さっちゃん一人だけでも生きていけるくらいしっかりして、僕の事を決して包み込んでくれなかったんだ。
悲しかった。すごく悲しかった。人と一緒にいるはずなのに、また地球の人々の盗作しているという罪悪感と、自分で選んだくせに感じる生まれた世界とは違う異世界にいるという孤独感を感じてしまった。
でも、さっちゃんは一つだけ良いことを言ってくれたことがある。
「シュウさんは何がしたいの? 何になりたいの? 私はシュウさんの作品をいくつか読んだけど全然シュウさんが見えてこなかったわ」
さっちゃんにそう言われて僕はどうして忘れていたのかわからない小説の題名を思った。
『ライ麦畑でつかまえて』
絶対に売れる。『ライ麦畑でつかまえて』を盗作すれば絶対に売れる。
でも僕は書けなかった。だって『ライ麦畑でつかまえて』を太宰治は書いていないんだ。僕はもう、太宰治の作品以外を盗作して書くことができなくなっていた。
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