悪魔の助言

柏木 維音

いいわけ

 僕は大学四年の頃、『レメゲトン』というオカルト雑誌で開かれていた小説のコンテストに応募をした。結果は特別賞。賞金は一円も無かったのだが、『担当の編集者さん』という賞品を頂いた僕は本を出版し小説家デビューを果たした。



 の、だけれども。デビューから一年経った今も二冊目は出ていない。早くもスランプに陥ってしまったのか、いくらプロットを作ってみても『これだ』と思う物が出来上がらない。当然そんな物では担当からゴーサインが出る筈もなく、今日も出版社の近くにある喫茶店で一人反省会をしていた。



「おや、白森君じゃあないか」



 薄暗い店内でブレンドコーヒーを啜っていると知り合いの女性に声を掛けられた。


 米莉べいりアル。

 魔女が着ているような真っ黒のワンピースに、腰のあたりまで伸ばしたぼさぼさの黒髪、前髪で両目を隠しているので目は一度も見たことが無かった。いつも図鑑程の大きさの真っ黒い本を抱えていて、つまるところちょっと変わった人だった。

 

 米莉さんはフリーランスで校正・校閲の仕事を請け負っている人で、ホラーやミステリー作品の仕事を主に受けているらしい。うちの出版社にもたまに顔を出しており、デビューしたての頃編集者さんに紹介してもらい知り合った。もっとも、僕は一度も彼女に仕事を頼んだことは無い。



「その様子だと、今日も駄目だったのかな?」

「ええ、まあ。スランプなんですかね」

「ふん、君みたいな若輩者がスランプだなんておこがましいな。運よくデビューできただけで、もともと実力が無かっただけじゃないのかい?」



 米莉さんは僕の向かい側に座り、容赦ない言葉を浴びせて来る。自分でもうっすらと思っていただけに耳が痛かった。



「そうだ。実は今日一日、予定がぽっかりと空いてしまったんだ。良かったら手助けをしてあげようか?」

「え、本当ですか!?」



 作家や編集者の間でとある噂が流れていた。それは、『米莉さんに助言を貰った作品は高確率で大ヒットする』というものだ。最近映画化やベストセラーとなったホラー、ミステリー系の作品の殆どに米莉さんが関わっているという噂なのだが……真相は不明である。



「本来一日あたり二十万円頂くんだけど、初回サービスだ。十九万円でいい」

「十九万ですか……」

「手助けする時間はきっかり明日の零時までだからね。早く決めないと時間は刻一刻と過ぎていくよ」

「そうなんですけど、今僕の財政状況は厳しくてですね」

「こんなの悩むまでもないと思うけどね。たったの十九万円でそれ以上のモノが手に入るんだから。さあ、早く選びたまえよ。私に十九万円支払うか、それとも文房具屋に五百円を支払うかをさ」

「文房具屋に五百円?」

「『作家の道を潔く諦めて、履歴書を買って就職活動をする』ってことだろ。なんてボキャ貧だ、君は本当に作家なのかい?」


 

 米莉さんはさっきとは別の、もう一つの噂を持っている。それは、『米莉アルは悪魔の様な人間だ』というものだ。金にうるさく、相手の事を見下して、思いやることを絶対にしない毒舌家。それでいて、自分の力は絶対だと信じ切っている。強欲、傲慢、自惚れ……噂通り悪魔の様な人なんだなと僕は思った。しかし、実力も噂通りなのだとしたら……




 ※※※




 結局僕は米莉さんの力を借りる事にして、コンビニのATMから下ろしてきたお金を渡す。それを受け取った彼女は黒い本のページの間にしまい込んだ。


「はい、確かに十九万円受け取ったよ。じゃあ行こうか」

「え、ここでやってくれるんじゃないんですか?」

「ああ、ちょっとね。ほら、早く支払いを済ませて」



 

 二人分のコーヒー代を払った後、さっさと出て行ってしまった米莉さんの後を急いで追いかける。その途中何度か話しかけてみたのだが、一切返事をしてくれなかった。そんな風に二十分程歩くと、米莉さんはとあるアパートの前で足を止める。


「一つ質問なんだけど、君は今まで心霊現象に遭遇したことはあるのかい?」

「心霊現象ですか…………いえ、

「そうか」

「それってやっぱり、心霊現象を体験すべきだということなんですか? このアパートは心霊スポットだったり……」

「ん? 別にそういうわけじゃないけどね。そんなもの体験しなくたって面白い物を書ける人はいるわけだし。ただまあ、何事も経験だという言葉もある。ということで、君は今からこのアパートの202号室にいる人から話を聞いて来るんだ」

「はぁ……怪談に詳しい人なんですか?」

「いいからさっさと行ってこい、話は通してあるからさ。私は向かいの公園で待ってるよ」


 米莉さんはうんざりしたような声をあげ、しっしっと振り払うように手を振った。僕は仕方なくアパートの階段を上り、202号室の呼び鈴を鳴らす。数秒すると、中から二十代後半くらいの、いたって普通な感じのする男性が現れる。



「どちら様でしょうか?」

「えっと、いきなりすいません。米莉アルという人に言われて来たのですけど」

「ああ、はいはい! お話は伺っていますよ。どうぞ、あがってください」

「すみません、お邪魔します」


  部屋の中は男の一人暮らしとは思えないくらい綺麗に片付いていた。掃除好きなのか、彼女がいるのか……そんな風に思いつつ、僕は勧められた座布団に腰を下ろした。


「すみません、こんなものしかなくて」


 そう言って男は氷の入った麦茶をテーブルの上に置く。


「お構いなく……えっと、申し遅れました。私、白森イツキと申します。まだ駆け出しではありますが小説を書いております」

「初めまして、勅使河原タカオと申します」

「それでですね、米莉さんからの紹介でお伺いしたのですけど、『ここの部屋の人から話を聞いてこい』としか言われてなくて……」

「そうでしたか。では早速ご説明いたしましょう。まず、私は〇〇〇という会社に勤めておりまして……」


 そう言って勅使河原さんは自己紹介を……と、思いきや、自分の勤めている会社の紹介を始めた。最初は何事かと思ったのだが、聞いてるうちに「なるほど」と感づいた。


 勅使河原さんが勤めている会社は所謂『ブラック企業』のようで、色々と業務内容や上司に対しての愚痴がこぼれてくる。おそらく、そんな会社に恨みをもった幽霊の怪談が始まるんだろうな思っていたのだが…………僕は、段々と意識が薄れていくのに気が付いた。


(急に何だ? まさか麦茶に眠り薬が? ばかな、そんなことして何に……もしかして僕は、米莉さんにハメられたのか? 勅使河原さんは、何をするつもりなんだ?)








「──い! おい! 聞いているのか! 白森!」

「……え?」


 気が付くと。

 僕はごちゃごちゃとした事務室の中で、顔をくしゃくしゃにして怒鳴り散らかしている人間の前に立っていた。


「なんだぁ? 随分と余裕そうだな。それとも眠たいのかな? 白森君よ」

「あ、あの、いえ、すみません頭が混乱して」

「そうかそうか。お得意のいいわけか。ご丁寧にあんな診断書なんか用意しやがって……どうしたいんだ、お前? 何が言いたいんだ? 言いたい事があるならはっきり言えよ」

「い、いや、あの……」


 意味が分からない。

 

 今の状況を説明して欲しいんだけど、とりあえず目の前の生物には話は通じ無さそうだと思った。さて、どうしたものか考えていた時、急に誰かが僕の首に腕をまわし、ガッチリとホールドする。そして、もう一方の手で握りこぶしをつくり頭にグリグリと押し付けて来た。


「!? いでででで!」

「係長、まーた血圧上がりますよ。俺に任せて下さいよ」

「ああ、佐伯、頼む。きつく言っといてくれ」

「はい。オラ行くぞ!」


 その佐伯と呼ばれた男に胸ぐらをつかまれ、僕は強引に事務室の外へと連れていかれた。


 佐伯という名前。

 周りからの視線。

 部屋のあちこちから聞こえる怒号。


 ああ、思い出した。僕は小説家じゃない。諦めて就職活動をし、この狂った会社に入社してしまったんだ。




 一つ下の階にある、パーテーションで区切られただけの簡素な喫煙スペース。佐伯さんにその中へ押し込まれると、彼はタバコを咥えつつこう言った。


「──ほら、見せてみろよ」

「え?」

「診断書だよ! この前、隙を見て病院行ったんだろ?」

「あ、ああ……そうでした」


 僕はいくつかあるスーツのポケットを漁る。その紙切れは、内ポケットに入っていた。受け取った佐伯さんは、タバコに火をつけつつそれを眺める。


「……ったく、何がいいわけだよ。いいわけしてんのは会社の方だってな。厳しく言うのは会社の為、つまりは社員の為だとかなんとかよ……」



 そうだ。佐伯さんは周りにばれないように、いつも僕を助けてくれたんだった。



「書いてあることはよくわからねぇけどよ、とにかくお前はここを辞めろ。精神が壊れちまうよ」

「そうしたいんですけどね……最近の物価の上昇とか考えると、どうしてもお金が」

「死んだら元も子もないんだぞ。そんなことになったら親御さんがどんな思いをするか……彼女もいるんだろ?」

「え?」

「あれ、言ってなかったか? 小学校からのくされ縁で、高校から付き合っているとかなんとかって……」



 そうだった。

 僕は小学校からの腐れ縁の、鹿島ユリと付き合っていたんだった。入社してから日に日に弱っていく僕の事を、彼女は心配してくれた。

 

 だけど余計な心配を掛けたくないから、「ちょっと忙しいだけだから、会社は別に普通だよ」と僕は誤魔化し続けたんだ。


 そんな嘘は、ある日彼女に見破られた。


 ヒートアップして激しく問い詰めてくるあいつ。普段からストレスを抱え込んでいた僕の感情は爆発し、手に持っていたコップを投げつけたんだ。投げる直前まで強く握っていたコップにはヒビが入っていて、ユリの顔に当たった瞬間それは激しく飛び散った。


 の顔に多くの傷を刻み、ぼたぼたと血が流れ落ちる。


 僕が急いで駆け寄ると、彼女は逃げるように部屋から飛び出ていった。


 女の顔に、あんな派手な傷を顔に付けてしまった。


 親御さんも、サチコ本人も、絶対に僕の事を許さないだろう。


 仕事も、私生活も、もうだめだ。耐えることが出来ない。



 そんな風に考えた僕はロープをくくりつけ、椅子の上に立っている。『余計な心配を掛けたくなくて』なんてのはいいわけだ。きっとは、会社でいじめられている弱い自分を晒したくなかっただけなんだ。最後にサチコに謝りたい。でも、駄目だ。怖くて向き合うことが出来ない。


 だから俺は、逃げるんだ。


 そう思いつつ、椅子から一歩、踏み出した。

 その瞬間。首では無く頭に衝撃が走った。








「いだぁ!」

「お、気が付いたね」


 目を開く。

 そこには、仰向けに寝ている僕の身体に、馬乗りになって黒い本を振りかぶっている米莉さんの姿があった。


「え……何が……」


 僕は起き上がって周囲を確認した。

 部屋の様子は入った時とはガラッと変わり、壊れた家具がめちゃくちゃに散乱している。いつの間にか外はすっかりと暗くなっているようで、チカチカと点滅する蛍光灯が部屋の中を照らしていた。


「一体どういう……あ、そうだ。勅使河原さんは?」

「いるよ。ほら、そこに」


 米莉さんが指を差す。

 隣の部屋で、吊るされた勅使河原さんが僕を見つめていた。





 ※※※





 勅使河原さんのアパートの向かいにある公園。

 その中の自販機と並んで置いてあるベンチに僕は座っていた。アパートの前には人だかりが出来ている。通報したのは三十分ほど前なのに、話は既に近所に広まっているようだった。そんな人だかりを眺めながら、僕は考えを巡らせる。



 僕が見たのは、勅使河原さんの記憶だ。

 おそらく、僕が訪れた時には彼はあの状態だったはず。つまり米莉さんはを見せる為に、勅使河原さんの死体に会わせたっていうことなのか? だとすると、どうしてあの人は勅使河原さんの死体の事を知っていたんだ?




「やあ、おまたせ」


 そう言って米莉さんは、一人の女性と一緒に歩いてきた。


「警察の人は? 第一発見者として事情聴取とかあるんだと思ってました」

「知り合いに代わってもらったよ」

「そうですか。それで、そちらの女性は……」

「ああ、アパートの前のヤジウマどもに弾き飛ばされていたのを見かけて声を掛けたんだ。なんだかふらふらとして危ないと思ってね」

「すみません、ご迷惑を……」

 

 

 そう言ってその女性はぺこりと頭を下げた。

 その瞬間、おろした長い髪と深めに巻いたストールに隠された、白いガーゼがちらりと見えた。


「あ…………あの、もしかして、サチコさんですか?」

「そうですけど、あなたは?」



 さて、どう答えるべきか。「さっきまであなたの彼氏の記憶を見てました」なんて言えるわけも無いので、僕は必死で思考を巡らせた。


「えっとですね……勅使河原タカオさんの知り合いです。知り合いって言っても、少し前に飲み屋でお話をしただけの仲なんですがね」

「タカオさんの……!?」

「はい。もしかしてあなたは、勅使河原さんに会いに来たのでは?」

「そうです。そうしたら彼のアパートの前に人だかりが出来ていて、何だろうって思って近づいたら202号室の男の人が自殺したって話をしているのを聞いて……」


 なるほどな、そこで米莉さんに助けられたわけだ。


「でも、どうして私の名前を?」

「もちろん、勅使河原さんに聞いたんですよ」

「彼は私の事を? あの、何と……?」

「お話ししましょう」



 出会いはたまたま入った居酒屋。青ざめた顔をして隅の席でお酒を飲んでいた彼が気になり、僕の方から声をかける。話を聞くうちに相当思いつめていると感じとり、私は何も言わないので、気のすむまで気持ちを吐き出してくださいと伝えた。その結果、色々と彼の事を知ることが出来た。


 ……といった感じの、即興で作り上げたストーリーを僕は彼女に話す。そして仕上げとして、僕が作り上げたものではない、勅使河原さんが本当に思っていた事を伝える。


「余計な心配を掛けたくなかったという気持ちはいいわけであり、本当は会社でいじめられている弱い自分を晒したくなかっただけ。サチコさんに謝りたいのだけれど、怖くてどうしても向き合うことが出来ない……そう言っていました」



 サチコさんはそれを聞いた瞬間、わぁっと泣き出し崩れ落ちる。


「あと一日……あと一日早く、私が来ていたら……! 私にもっと、勇気があったら……あああ!」


 彼女の肩を抱き、ベンチに座らせる。泣き続ける彼女に対し、僕は掛ける言葉を見つけ出すことが出来なかった。





 ※※※





 数十分後、サチコさんを探しに来た両親が現れた。別れる直前、彼女は改めてお礼をさせて下さいと言って連絡先を僕らに渡し、去っていった。



 彼女を見送りつつ、僕は考えを巡らせる。


 仮に、米莉さんが不思議な能力を持っていたとすると。

 彼女は勅使河原さんの無念をどこかで感じ取り、どうにかしてそれをサチコさんに伝える事が出来ないだろうかと考えた。そんな時丁度僕を見つけ、もっともらしい理由を付けてあのアパートに行かせ、メッセンジャーとして利用した。


 根拠は無いのだけれど、僕はそうなのではと考えた。


 そして、金にがめつく、毒を吐く米莉さんの姿が頭に浮かび、

 やっぱりあの人がそんな事をするはず無いな、という結論に達した。



「さて、終わったね。あーあー、もうこんな時間じゃないか」

「えっ……ああ、本当だ。十一時か……」

「予想以上に遅くなっちゃったから残り時間は僅かだけど、ファミレスにでも行って続きをしようか」

「はい……? ファミレスに行くのはいいんですけど、残り時間って?」

「何だ、忘れちゃったのかい? 今回の体験と合わせてプロット作りのアドバイスをしてあげようと思ったのに。まあ、それならそれで構わないんだけどね、お疲れさん」


 そう言って米莉さんはすたすたと歩いて行ってしまった。


「…………あ、そうだった! ちょっと待ってください、是非アドバイスを! 他にも色々と……!」


 どうやって勅使河原さんの事を知ったのか?

 何か不思議な力を使えるのか?

 あなたは本当に人間なのか?


 色々と聞きたい事があるのだけれど、とりあえず今は十九万の価値があるであろう米莉アルあくまの助言を貰うべく、僕は走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪魔の助言 柏木 維音 @asbc0126

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ