第12話

 ――《獣使い》に対する価値観。誰もが同じように考え、ゆえにパーティにおいて《獣使い》の需要は抜群に低かった。

 一人では何もできない臆病者。ほとんどの探索者がそう思っている。あるいは探索者以外の人間すらも。


「逃げられないわよ能無し……!!」


 甲高い叫び声が飛ぶ。

 リュフェスはゆっくりと振り向く。


 屋台や敷物を広げて広げていた商売人たちが後じさりし、あるいは急いで敷物をたたんで慌てて逃げ出す。

 あけられた道を、副官と思しき男たちを連れて暴君のごとくに進んでくる女がいる。


 ロレットは両眼に敵意と怒りをたぎらせ、赤く嗤う唇に悪意を滲ませた。


「自殺覚悟でクリーズに逃げこむ? 本当に馬鹿、どうしようもない臆病者ねえ!」


 カルメルが、リュフェスとロレットの間に割って入った。


「やめなさい、ロレット統括長。リュフェス君の行動にはわけが……」


 厳しくも諭すようなカルメルの声に、ロレットはふいに眉をつりあげた。


「うるさいババア! 老害が出しゃばるな! それとも何、まさかそこの能無しはあんたのペットなわけ?」


 隠そうともしない敵意と悪口雑言にカルメルが一瞬絶句する。


「邪魔するならお前も一緒だ!!」


 ロレットの声がつんざくと同時に、その後ろに付き従っていた魔法士たちが動いた。

 カルメルがはっとしたように身構える。

 リュフェスは抵抗の素振りすらしなかった。

 魔法士たちから飛んだ光は、蛇のようにうねり、リュフェスとカルメルの手足に絡みつく。とたん、二人の手足は巨岩に挟まったように動かなくなった。


「く、……離しなさい!」


 カルメルがもがき、ロレットを睨む。

 だがロレットは嗤って、口汚く罵った。


「連れていけ!」


 背後の魔法士たちに再び命ずると、リュフェスとカルメルが見えない力に引きずられる。

 ――迷宮の入り口から引き離される。


 リュフェスはすっと目を細め、ロレットを睨んだ。


「……邪魔すんな」


 低く、腹に響くような声だった。

 はっとしたようにカルメルが顔だけをリュフェスに向け、ロレットもまた、小さく目を見開く。


「は、臆病者が何言ってる! どこにも逃げられやしな――」


 挑発と加虐に満ちて緑髪の女魔術師が罵ろうとする。しかし最後まで続かなかった。


 その目が、リュフェスの腕に――その左腕の、光始めた銀の小手に釘付けになる。


 発光する銀の小手の表面に、複雑な紋様がひときわ輝く。 


「逃げる? 誰のことを言ってる」


 カルメルが息をのむ。


「その紋様……まさか、古い誓約文字……!?」


 リュフェスの背後で、風景が歪んでいた。そこだけ水面を乱したかのように空気が揺らいでいる。

 ロレットもその背後の魔法士すらひるむ様子を見せた。

 魔術を行使するときの力場とも蜃気楼とも違う。胎動し蠢き、まるで何かが見える。


 リュフェスの耳にだけは、咆哮が聞こえていた。こちらに応え、現れ出でようとしている獣の声。

 そして、その姿が。

 十年前から聞こえ、見えていたもの。けれど呼んでやれなかったものの存在。


『お前は天才だ』


 かつての友の声が耳の奥に響き、リュフェスの口角は吊り上がる。


 ああ。


 その思いとともに、リュフェスは名を呼んだ。




「――来い、紫竜《ヴルム》!」

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