第9話
ひゅ、とリュフェスの喉で息が詰まった。
「俺は……そんな、」
「わかってる。リュフェス君は必死に、ひたむきにジャンヌちゃんを育ててきただけでしょう。ただ、ジャンヌちゃんのお兄さんとの約束を守って……。でもジャンヌちゃんは、あなたのその姿をずっと間近で見ていたのよ。リュフェス君の当時の状況を考えれば、ジャンヌちゃんを一人で育てるのがどれだけ大変だったか、私にでも想像することはできるわ。近くでそれを目の当たりにしていたジャンヌちゃんがそれを見てどう思ったか……」
頭を横から殴られるような衝撃がリュフェスを襲った。
見ないようにしていた。必死に押し込めた思い。
――もしジャンヌがいなければ。
一度たりとも言葉にしたことはない。だが、ジャンヌは見透かしていたのだろうか。
「……リュフェス君、あの白い狼……リルの他に、もう何体か、特に強い絆で結ばれた使役獣がいたのよね。《獣使い》にとっては使役獣との相性や絆が力に直結すると聞いたわ。ただの道具ではなく、自分の半身にも等しいと。でも……ジャンヌちゃんと生活するために、リル以外を手放したのよね」
カルメルが続けた言葉に、リュフェスははっとする。
「他の《獣使い》に頭を下げて、買い取った人間が去っていっても……しばらく顔を上げなかったリューの後ろ姿がどうしても忘れられないって、ジャンヌちゃんが言ってたの」
ぐらりと、リュフェスは視界が歪むような感覚に襲われた。
二度と思い出したくない苦さが口内に広がるとともに、幼いジャンヌがそんなふうに見ていたことに、息ができなくなるような苦しさを覚えた。
――わずかな私物さえ奪われ、《鋼の刃》を抜けてからどこにも雇ってもらえなかったとき。
リュフェスがとるべき道は二つしかなかった。《獣使い》の力で盗賊の類に落ちるか、ただの人間となってどこかで働くか。
ジャンヌのために、ジャンヌを託したジャックのために、リュフェスは後者を選んだ。
そして明日の食糧を買うために、フェンリル以外に使役していた獣を売った。
――四枚の翼を持つ大鷲のグリフ、鋭利な爪と美しい縞模様を持つ大山猫ランクス。
《獣使い》として実力が拮抗している相手になら、使役獣を受け継がせることができる。
執拗に値踏みし、何度も値切ってくる相手に頭を下げた。
『どうか、大事にしてください』
血を吐くような思いで、言った。テオたちにどれほど蔑ろにされようと、自分の一部のような獣たちを売ったときほどの屈辱と痛みはなかった。
伏せた顔からこぼれ落ちていった涙の焼け付くような感触を、リュフェスはいまだ忘れられていない。
「……ジャンヌちゃんは、自分のためにリューが手放したものを、自分が取り戻したいって言っていたの。それが、身勝手な兄と自分ができるせめてもの償いだって。初挑戦でクリーズを踏破できれば名があがる、財も手に入る……そうすれば、リューに少しでも恩返しできる。リュフェスに育てられたと、胸を張れるって……」
カルメルの声が震え、くぐもる。
リュフェスは強く喉を締め付けられたようで声が出なかった。
――ジャンヌは。
(……そんなことを、考えてたのか)
気づかなかった。知らなかった。ただ、天才とよばれた兄ジャックの後を継ぎたいのだと、兄の名誉を轟かせたいのだとばかり思っていた。
悔しさとも自分への強い怒りともつかぬもので腹の底が焼けそうになったとき、部屋の乱暴に扉が開かれた。
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