最後のいいわけ【KAC20237】

天野橋立

最後のいいわけ

 違うんです。そんなつもりじゃなかったんです。

 こんなことになるなんて思わなかったんです、本当に。


 地球を周回する都市衛星群の中でも、最も規模が大きかった「トーノ1」。

 私はその制御システムを担当するチーフエンジニアの仕事をしていました。


 その日の仕事帰り、飲食街ブロックにあるなじみのバーで、私は窓の向こうに浮かぶ地球を眺めながら飲んでいました。

 次々と起こるシステムトラブルへの対処で疲れ果ててはいましたが、暗い宇宙空間で青く輝く地球を見ていると、いくらかは心が慰められるような気がしましたね。


 そこに近づいて来たのが、あの女でした。プラチナ色に光る長い髪、真っ赤なルージュ、そして肩も露わなドレス。

「おひとりかしら?」

 彼女は突然声を掛けてきた。


 技術者ばかりが住むこの都市衛星では、なかなかお目にかかれないような相手です。その時点で、疑ってかかるべきだったんだ。


 月面宙京市から招かれた歌手なのだ、と彼女は名乗りました。文化ブロックにある劇場でコンサートをするために、しばらく滞在するのだと。それは事実でしたが、彼女は偽物だった。本物とどうやってすり替わったかは知りません。


 とにかく、そのニセ歌手に私はすっかり心を奪われてしまいました。たった数日で、都市衛星の制御システムに関する機密事項をうっかり漏らしてしまうほどに。


「本当に美しいわ、ここから見える地球って」

 と微笑んだ彼女は、心の底で何を考えていたのでしょう。美しいものを滅茶苦茶にしてやりたい、そんなところでしょうか。


 間もなく、都市衛星「トーノ1」の制御システムは致命的なレベルのハッキングを受けました。言うまでも無く、私が情報を漏らしたことが原因です。

 反地球主義を掲げるテロリストの工作員、それが彼女の正体だったのです。


 軌道を離れた都市衛星は、燃え尽きることなく地上に落下し、人類史上最悪というレベルの被害を引き起こしました。何千万人が亡くなったのかは、私も知りません。


 まさか、こんなことになるなんて。

 でも、私は本当に疲れていたんです。救いを求めていたんです。確かに愚かだったかも知れない。そして、あまりにも重大な結果を引き起こしてしまったかも知れない。

 だけど、憎むべきはあくまで、犯罪者であるあの女のほうです。私の弱さを、誰が責められるでしょうか。


 それに、私もまた、数千万人の一人として命を落としました。都市衛星もろとも、地上に激突して。

 命をもって償ったということで、どうか許してください。

 どうか――。

(了)

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最後のいいわけ【KAC20237】 天野橋立 @hashidateamano

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