第3話:始業前の雑談
『Login』の文字が映し出された白い視界は、しばらくして既視感のある風景が目の前に現れる。椅子に座った少年がにこやかにこちらを見ている。
俺はそっと視線を外し、教室全体を見渡した。
立方体の空間に綺麗に並べられたタイヤ式の移動可能な椅子。一番前に見える白色のスクリーン。
アナログな時代には机があったと聞くが、教科書、ノートに関しては自分の持つデジタルフォルダに格納されており、レイヤーとして空中に出すことができるためデジタルの教室には机は設備されていない。
教室にいる生徒はそこまで多くなかった。彼らは友達同士の雑談で花を咲かせている。全員が立ちながら話しているところもあれば、一人の席に集まって話している。会話の人数は2、3人といったところだ。
原則、他の人の椅子に座ると視界に『使用禁止』が映し出され、人を不快にする音が常時聴覚を刺激するようになっている。そのため、みんな外でお茶をして楽しんだのちに教室にリープしてくることが多い。
「おはよう、柃」
俺は視線を最初の位置に戻すと渋い表情を彼に向ける。目の前にいる少年は表情を崩すことなく微笑んだまま俺を見ていた。水色の髪に、紫色の瞳。何を照れているのか頬は赤く染まっている。きめ細やかな白い肌、可愛らしい容顔は一瞬、女であることを疑ってしまうがれっきとした男子だ。
新屋敷 誠(あらやしき まこと)。中学時代からの親友だ。
「お、おう。おはよう、誠。今日もずっとその状態だったのか?」
移動可能な椅子となっているため、向きを自由に変えることができる。そのため、誠は椅子を後ろ側に向けて、俺と向かい合うような状態になっていた。俺がいない時からだ。
「うん、もうすぐ来るかなと思って。今日は昨日よりも3分早かったね」
「なんで俺の時間記憶してるんだよ……」
「柃の情報は何でもお見通しだよ」
誠はおかしなやつだ。彼の言葉通り、身体情報、運動情報、テストの点数、さらには日常の行動パターンなどありとあらゆる俺の情報を知っている。個人情報保護法の観点から訴訟できるのではないかと思ってしまうほどだ。
「朝食が牛乳に変わったからかな。ヨーグルトだと食べるのに少し時間がかかるからね」
「なんでそこまで知ってるんだよっ!」
誠の情報量に思わずツッコんでしまう。目の前に机があったら、両手で叩いていたところだ。好きなものに関してはとことん調べたくなる性とは聞いているが、まさかこんな変態的なプレーを見せられるとは思いもしなかった。
俺を好いてくれることはありがたいが、男にそこまで好かれるのはごめんだ。誠が女であれば良かった。そう思ってしまう俺も中々の変態かもしれない。
「仕方ないよ。最近はメタ・アースも物騒になってきたからね。『通り魔事件』の被害が柃に及ぶなんてことは絶対にさせないからね。できる限りの力は尽くさなくちゃ」
通り魔事件。ここ数年、メタ・アース世界で起こっている異常行動だ。
顔を隠した人物がメタ・アース世界で無差別に殺人を起こす。異常行動と言われる所以は、メタ・アース世界で死ぬと強制的にログアウトするだけで本当に死ぬわけではない。
それでいて、刑事事件に値し、裁きを受けることになる。
なぜこんなことをするのか。俺としては、『人が苦しむのを楽しむ』という目的だと推測する。メタ・アース世界では感覚をリアル世界に限りなく近く合わせている。そのため、ナイフで刺された時は、現実で刺された時と同等の痛みを伴う。
相手を殺したいわけではないが、死に近い苦痛を与えたいという点で、メタ・アースは最適な環境なのだ。だとしても、刑事事件に値してしまうため、罪からは逃れられないのだが。俺には到底理解できない真意だ。
「無差別の対象になってしまうほどの悪運は持ち歩いてないと思いたいな」
ひとりごちりながら、自分の隣の席に顔を向ける。すると誰もいなかった椅子に人の姿が現れる。俺と同じくログイン場所を自分の席にしているようで、一人の少女が姿を現した。
透き通るような黒色のミドルヘア。冷淡な水色の瞳。それに伴うように表情には一切の喜怒哀楽が見られない。胸は大きくも小さくもないが、細身の体によって、大きく見える。全体的に見ると可憐で清楚なイメージの少女だ。
「おはよう、柊さん」
俺は彼女を見ると微笑ましく笑顔で挨拶した。
柊 刹那(ひいらぎ せつな)。彼女は俺の想い人である。このクラスへの配属が決まって、初めて彼女と会った日に一目惚れした。
「おはよう」
柊さんは横目でこちらを見ると小さく口を動かし応答する。視線はすぐに俺から逸れた。
見た目通り、冷淡な様子の彼女。だが、俺は挨拶に答えてくれるだけで満足だった。最初の頃は、挨拶しても無視されるのがオチだったからだ。
そんな彼女が挨拶をしてくれるようになったのは、先の『通り魔事件』が関与している。彼女もまた通り魔事件の被害者となっていた。被害にあった翌日、俺は少しでも励まそうと彼女に声をかけた。
すると彼女から『あなた、大きいのね』と訳のわからないことを言われた。
誠からは『いくら励まそうと思っても、その日のうちに抱いちゃいけないよ』と誤解をされてしまったのはいい思い出だ。
兎にも角にも、その日以降、柊さんは挨拶をしてくれるようになった。
「柃も人のこと言えないくらい変態だよね。柊さんが現れるのを見計らって横を向くなんて」
誠は口を尖らせながら言う。意地悪く、柊さんに聞こえるような声で漏らした。
「たまたまだよ。そんな変態的プレイはまだできん」
「やる気はあるんだ……」
そりゃ、好きな人のプライベートが知りたいと思うのは、思春期の男子にとっては普通のことだろう。特に柊さんは全くもって知り得ない。友達もおらず、いつも一人の彼女の情報を知る手段なんて皆無なのだ。
俺はもう一度、彼女を横目に見た。表情を崩すことなく真っ直ぐ前を見つめている。
そんな彼女を心に留めながらも、チャイム音と同時に俺も前を向いた。
授業後、彼女に言うべきことがある。今日の授業は心の準備だけで終わることになりそうだ。
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