11.そうだ、フェリスに戻って来てもらおう!【父視点・ざまぁ】後編

 


 私はスラムに入る前の浅はかな己を責めたい気持ちになっていた。手持ちの金はないが、私はそれなりの服を着ている。しかも私の奥歯は金歯だ。売ればそこそこのお金が手に入るはず。二週間くらい凌ぐのは簡単だと思っていた。


 しかし、金歯を売ろうと質屋に向かう途中で見知らぬ男達に囲まれ、身ぐるみを剥がされた。地面に落ちていたゴミのような布切れを体に纏う事になり、屈辱を感じたが何とか耐える。金歯が残っているのだ。これさえあれば、古着屋で服を買える。


 質屋から出て来た店主は、私のことを上から下までじっくりと品定めするように見て、嫌悪に顔をゆがませた。挙句、私を見るなり「小汚い男だ。ここはおまえの来るところじゃない」と唾を吐きかけられた。


 小汚い、だと!?

 私は貴族だ、子爵位を持っている! お客様だぞ! 金歯を売ってやろうって言うのに、何様のつもりだ!!


 私はもう一度質屋に侵入したが、今度は護衛のような大柄の男が出てきて、私を外へと放り投げた。地面に叩きつけられ、痛くて呻く。


 クソ……。

 クソ……っ。

 なんで私がこんな目に遭わないといけないのだ!


 金歯を売って金を手に入れられなかった私の運命は悲惨なものだった。スラムで二週間を過ごすためには、死ぬほどキツイ労働をして日銭を稼ぐか、地面に落ちている食べ物を拾って空腹をしのぐしかなかった。寝るのは外。低反発の枕とふかふかのベッドが懐かしくて、何のためにここにいるのか分からなくなってくる。


 それでも何とかやり過ごし、フェリスが王城に帰って来る二週間が経過した。

 馬車で王城に入る道は一本道。

ここで見張っていれば、フェリスの乗った馬車が通るはずだ。


 来た!


 私には分かる。馬車の窓にフェリスの顔が映っている。私は馬車の前に飛び出して大きく手を広げた。


「な、なんだ!?」


 御者が暴れる馬を引いて、馬車を急停止させる。私は急いで馬車に近づき、愛娘の名前を大声で叫んだ。馬車の中から小さく「お父様?」と不思議がる声が聞こえる。馬車の扉が開かれ、中から執事と思われる50代くらいの男と、美しいドレスを身に纏ったフェリスが出てきた。


「おお、フェリス……!! 会いたかったぞ、滝から落ちたと聞いて心配していたんだ!」

「…………」

「それにそのドレス、とっても綺麗だ。見違えたぞ、ずいぶん大人っぽくなったのだな。よほどヴェルトアーバイン殿下から寵愛されていると見える。いや、でかしたフェリス。さすが私の娘だ!」

「…………」


 フェリスの表情がどんどん冷たいものに変わっていく。

 私は娘の変化に気付けず、フェリスを褒めまくった。フェリスは褒められたら嬉しいと頬を染める単純な娘だから、こうすれば戻って来てくれると信じていた。


「フェリス、二人きりで話がしたい。私と一緒に来てくれ」

「それは出来かねます」

「は…………?」

「今まで育ててくださったことには感謝しております。ですが、わたしはもうあなたの娘ではありません」


 生れて初めて聞いた、フェリスの明確な拒絶。

 それどころか、この冷たい言葉……。

 誰だ……?

 この娘は本当にフェリスなのか?


 私に従順でしおらしくて可愛らしいフェリスは、いったいどこにいったのだ?


「フェリス……? どうしたのだ? 滝壺に落ちておかしくなったのか? 私だ……おま、おまえの父親だぞ。おまえは、父親の言う事が聞けないのか!?」

「ではもう一度申し上げます」


 フェリスの瞳が、私を射抜くように見つめてくる。


「今のわたしはフェリス・アルバンジャン。アルバンシャン侯爵家の一人であり、ヴェル様に助けていた我が身は、すべてヴェル様のために使うと決めております。元お父様・・・・、もうわたしには関わらないでください」

「え……?」

「では、失礼いたします」


 フェリスは馬車に戻り、私の傍を馬車が大きな音を立てて去っていく。

 その場には、さきほどフェリスと一緒に降りてきた執事も残っていた。彼もまた、私を睨むように見つめてくる。


「フェリスお嬢様は、とてもお優しい方です」

「は……?」


 フェリスに拒絶されたショックから立ち直り切れずいる私に、執事が話しかける。


「ヴェル坊ちゃんはフェリスお嬢様に、もう家族のことは考えなくてもいいと仰っておりました。それでも心根の優しいフェリスお嬢様は、爵位を剥奪されたあなたの身を案じておりました」

「フェリスが私の身を……?」

「はい。そして今、きっとフェリスお嬢様は馬車の中で、誰にも見られないようにひっそりと涙を流している事でしょう。その理由が、あなたに分かりますか?」

「そんなの、分かるわけないだろう!」


 執事は心の底から呆れ返ったように、深く深くため息を吐いていた。

 意味が分からない。


「娘が自殺しようとしたことすら分かっていないだなんて、親以前に人として失格です」

「フェリスが自殺しようとした……?」

「本当に、地獄に落ちてください」


 

 執事は私の腕を思い切り掴んで、ひねり上げた。

 激痛に呻く。


「うぐぁああああ!!」

「あなたを拘束します。そしてヴェル坊ちゃんに代わってこのスザクめが、あなたを暗い牢獄へとご案内いたしましょう」


 スザク?

 いつも忌まわしい手紙を寄越していたのはこの男だったのか。


 地面に顔を押さえつけられながら、私はスザクという男の顔を睨み上げる。


「いっそのこと野垂れ死んでしまえば、お嬢様もここまで悲しまなかったものを……」










 ──そうして、私は破滅した。

 罪人として吊るし上げられ、嘲るような笑い声を民衆から浴びせられ、牢獄へと送られた。

 牢獄にいたのは三ヶ月ほどで、後は罪人奴隷として炭鉱で働くよう指示があった。人間扱いされず、朝から晩まで働き詰めの毎日だ。

 

 汚くて狭い寝床で目を瞑ると、フェリスのことを思い出す。

 毎日毎日働き詰めで、狭い使用人部屋で眠っていたフェリスはこんなに辛い思いをしていたのかと。

 最後に会ったあの時、涙を流した理由もよく分かった。

 私はあのとき、滝壺に落ちたから心配したと言った。フェリスからしてみれば、自殺しようとしていたことすら気付いていない私に、ショックを覚えたのだろう。


 今さら気付いても、もう遅い。

 私は、暗くきつい炭鉱で、死ぬまで働かされる運命だ。

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