第23話 結婚指輪
「私、小さなころは本当に可愛がってもらってたんだ」
「……そうなんですね」
ブラウンのシャツとインナーを脱いで洗濯かごに入れる。凛音は真剣な表情で私の言葉を聞いているけれど、相変わらず視線を私の胸に集中させている。
「……胸ばっかりみないでよ。これから先、いくらでもみることになるんだからさ」
私が胸を隠すと、凛音は私のお腹のあたりばかり凝視した。私はやれやれとため息をつきながら、凛音に服を脱ぐように促した。さっきから私を見てばかりで全然脱いでない。
すると凛音はもじもじしながら、オーバーサイズのTシャツとロングスカートを脱いで下着姿になった。相変わらず着やせする胸に私は目を惹かれる。体の曲線は魅力的だし、足もほどよい肉付きで、なんだかどきどきしてきた。
私はお風呂を上がった後、凛音とまたえっちするのだ。
でも今は、いまいちそういう気分にはなれない。喪失というのは思ったよりも遅れて来るみたいで、かなり気分が沈んでしまっている。うつむきがちな私をみてどう思ったのか、凛音は私の頬に手を当てた。
「ちょ、ちょっと待って」
この状態でキスをしたらショーツが大変なことになりそうだ。そうなると面倒だから、私はショートパンツとショーツを脱いだ。下だけ脱いでるのも変だと思って、ついでにブラも外しておく。そんな私に呼応するように、凛音も上下を脱いだ。
私たちは今、裸の状態で向き合っている。でも凛音の大きめの胸とか、私よりもずっと女性らしい曲線とか、そういうものには今はそんなに意識が向かなかった。
私の気持ちを察してか、凛音は顔を真っ赤にしながらも、必死で胸とかを見ないように頑張ってる。そんな姿がいじらしくて、私は「見てもいいよ」と笑った。
なんなら、触ってもいい。この喪失感が少しでもましになるのなら、私の体を好き勝手してくれていい。もちろん理由はそれだけじゃないけれど。大切な凛音がそれを望んでいるのなら、私だってできるかぎり願いを叶えたいのだ。
凛音は目を見開いて、私をみつめていた。でもぶんぶんと首を横に振って、優しく私にキスをしてくれる。その優しさがなんだか辛くて、目から涙が溢れ出してきた。
「なんで泣いちゃうのかな? どうでもいいって思ってるはずなのに」
幼いころ、ちょっと幸せな時間があっただけなのに、どうして私はこんなに親のことで悲しんでいるのだろう? 自分でも理解できない心の動きに翻弄されていると、突然、凛音は私の頭の後ろに手を回した。
かと思うと抱き寄せられて目の前に肌色が広がった。ふわりと柔らかい胸が私を包んでくれる。温かい手が優しく頭を撫でてくれる。でも聞こえてくる声は寂しげだった。
「きっと私じゃ、美海さんの心の穴は埋められないんでしょうね。家族愛と恋人の愛って質が違います。やっぱりどうしても見返りを求めてしまうじゃないですか。愛したいのは愛されたいからだって。……もしも私が美海さんのお姉さんとして生まれてたなら、いくらでも無償の愛を与えられたはずなのに、とても悔しいんです。どうして私は、私なんでしょうね?」
なんでそんな言い方をするんだろう? まるで自分が私の両親の代用であるみたいに。そんなわけないのに。凛音は凛音だ。この世に一人しかいない、私の大切な恋人なのだ。
「……凛音は家族の代用なんかじゃない。だから、そんな言い方しないで。何かの代わりに凛音を求めてるわけじゃないんだよ。私はただ凛音のことが好きだから、そばにいて欲しいだけなんだよ」
「……美海さん」
私は凛音の胸にうずもれるのをやめて、自分の足で立った。凛音が不安そうにしているから、私は自分の皮膚をつねって痛みで無理やり涙を止めた。もしもこの涙が凛音に誰かの代わりを強いてしまうというのなら、私はもう二度と泣かない。
「楽しかった思い出、たくさん話すから。私の代わりに覚えておいて。私はもう二度と、両親のことなんて思いださない。両親のために泣くのも、これを最後にするから」
凛音は辛そうにしていたけれど「分かりました」と頷いた。
一緒に湯船につかった。私は過去の話をする。幼稚園の頃かけっこで一番を取ったとき褒めてもらったこと。遊園地に行ったこと。水族館に行ったこと。旅行に行ったこと。怖い夢をみて眠れなかったときに、一緒に寝てもらったこと。そのとき、優しく頭を撫でてもらったこと。
もう二度と思いだすまいと、一つ一つに大事に鍵をかけていく。
その間中、私はずっと涙をこらえていた。凛音はそんな私を抱きしめるでもなく、ただただ必死で静観していた。そんな凛音に感謝しつつ、私は楽しかった記憶を全て吐き出し終える。
「これで終わり。さ、凛音。体洗ってあげるから、湯船から出て」
凛音はおずおずと体を隠しながら、湯船から上がった。
私はボディーソープを手に付けた。そして凛音の背中を這わせる。私が触れると凛音は顔をとても赤くしていた。
「……もしかすると、美海さんがお母さんに嫌われたのは、美海さんが綺麗だからなのかもしれませんね」
凛音は鏡越しにそんなことをつげてくる。
「それはないでしょ」
「いえ、意外とあるみたいですよ? 私の母の話なんですけど、私の同級生のお母さんに「自分の娘に嫉妬することとかない?」って言われたそうなんです。娘があまりにも美しかったら嫉妬してしまう人もいるみたいで」
もしも本当にそうだとしたら、私のこれまでの努力は何だったのだろう?
「もしもそうだとしたら、美海さんは私とご両親。……どちらを選びますか?」
「えっ?」
「美海さんは今もなお、悩んでいるようにみえます。私は自分の無力さを知らしめられるのも、美海さんが苦しみ続けるのも、どっちも嫌なんです」
「……凛音」
「私だって子供なんですよ? 達観した大人じゃないんです。大切な人に頼られるのは嬉しいですよ。でもいつまでも解決できないままだと辛いんです。苦しいんです」
そうだった。私はもうずっと凛音に甘えっぱなしだったけれど、それではだめなのだ。
「もう一度人生をやり直せるとして、今とは違う顔に生まれたかったと思いますか? それで両親に愛されたいですか? それとも今の私好みのすごく綺麗な顔に生まれたいですか? 私とまた恋人になりたいですか?」
凛音は眉をひそめたまま、問いかけてくる。
「選んでください。両親と私、美海さんはどっちを選ぶんですか?」
「そんなの、凛音好みのすごく綺麗な顔に生まれたいに決まってるよ」
私は即答した。考えるまでもない。両親と凛音、どちらが大切かなんて、凛音が大切に決まっている。凛音は嬉しそうにしていた。でも私としては、少し引っかかるところがある。
「でももしも私が普通の顔だったら、凛音は私と付き合ってくれなかったの……?」
「そんなわけないです。今のは例えみたいなもので。……例え私たちが年老いてよぼよぼのおばあさんになってしまったとしても、私は美海さんを見捨てませんし、ずっと一緒にいますよ」
背中を洗い終わった私は、前へと手を伸ばす。凛音は恥ずかしそうにしていたけれど、無言でそれを受け入れていた。私は首元を撫でたあと、胸へと手を伸ばす。
「……ごめんね。凛音。これまでずっと寄りかかってばかりで。でもこれからは頑張るから。ちゃんと一人で立てるように」
「……っ。はい」
凛音は胸が大きいから、谷間とか胸の下とかはちゃんと洗わないといけない。胸の下に手を滑り込ませるとすごい重量感だった。思わずたぷんたぷんと揺らしたくなってしまう。
「んっ」
そうしていると、頂点に指先が間違って触れてしまい、凛音から色っぽい声が聞こえてきた。照れ隠しのつもりで洗っていたのに、なんだかもっと恥ずかしくなってきた。
私は胸のあたりを洗うのはやめて、お腹に手を伸ばした。流石に下を洗うのはだめだと思ってためらっていると、凛音が私の手を掴んで無理やり下腹部にあてた。目を見開いて顔を熱くしていると、凛音が振り返った。頬が上気していて、息が荒い。
「その、美海さんの手つきがえっちなせいで、……そういう気分になってしまいました。責任、とってくれませんか?」
私は凛音の手に操られるまま、大切なところに触れた。私に触られるたび、とても表現できないような反応をする凛音に私もすっかりそういう気持ちになってしまって。
私は後ろから抱きしめるような姿勢で、昨日された指先の動きを真似る。凛音の中をかき回すたび、触れあった凛音の体から激しい震えが伝わってきた。艶めかしい声があげられるたび、私も興奮してしまって、空いたほうの手で自分のを触ってしまう。
「好きですっ。ん……っ。美海さんっ。美海さんっ」
「私もっ、大好きだよっ。ずっと一緒にいようねっ」
「は、はいっ。一緒に……」
凛音の背中にもたれかかりながら、私はひたすらに刺激を繰り返した。ふと顔をあげると、鏡にはすっかり快楽に歪んでしまった表情が二人分あって。鏡の中の凛音と目が合った瞬間に、羞恥がぐっとこみあげてくる。
でもそれはすぐさま快感へと変換されてゆき、私は体を電流のような刺激が走るのを感じた。そうして表情すらも自分の自由にできず、鏡越しに凛音にあられもない痴態を晒してしまう。それを見た瞬間、凛音は目の色を変えて、私の方に振り向いてきた。
凛音は何度も快楽を受けたはずなのに、それでもぴんぴんしているみたいで。
「美海さんはまだまだですね。料理だけじゃなくてこっちの方も上手くなってもらわないとです」
脱力して床に倒れてしまう完全に無防備な私に、凛音はニヤニヤとつげた。昨日の凛音の指先を思い出して、これからされてしまうだろうことを察して、顔を焼けるほど熱くする。
「やっぱり人ってどうしようもない部分もあると思うんです。大切な人を救いたいとか思ってても、限界があって。だから私は少しでも美海さんを幸せにできるように、これからも沢山のことを頑張りたいと思います。美海さんも頑張ってくれますか?」
「……うん。頑張る。たくさん頑張るから、これからもよろしくね?」
私たちは微笑み合って、口づけをした。するとすぐに凛音の指先が大切な場所に伸びてくる。体中にキスを落とされて、大切にしてもらって。何度幸せな刺激を与えてもらったことだろう。
浴室だけでは飽き足らなかったのか、息の荒い凛音は裸のまま、私を寝室にまで連れていった。お姫様抱っこの姿勢でベッドに降ろされたかと思うと、また貪るように私の体を味わってくる。私も負けじと凛音の体に触れる。そうして、なんども同時に果てた。それでもお互いの名前を呼び合う甘い声は、止むことはなかった。
体は疲れ果てているけれど、本当に幸せで。こんなに凛音が私を愛してくれているということ。そして私自身もこんなにも凛音を愛せているということ。そのどちらもがかけがえのないことだと感じられた。
きっと私たちなら死ぬまで一緒にいられる。すっかり体力を使い果たした私たちは、お互いに抱きしめ合いながらゆっくりと瞼を閉じた。
〇 〇 〇 〇
何もかもが完璧なわけではないけれど、それからの私たちは毎日を着実に生きていった。一緒に高校に行ったりだとか、資格を取ったりだとか、開業資金のために節約したりだとか。調理の学校に通ったりだとか。
二人一緒にできることはなんでもした。
そうしてついに、四年後、その日が訪れた。店舗は用意したし、広告も一応入れたし、資格も取ったし、料理の技術もきちんと習得した私たちは、休日、結婚指輪を受け取りに家を出ていた。
桃色の花びらを散らす桜並木を下る。私の身長を少しだけ追い越してしまった凛音と二人、恋人つなぎで駅前のジュエリーショップに向かった。透明なショーケースの中にはキラキラした指輪がたくさん並べられていて、思わず目を惹かれてしまう。
でも店員さんから手渡された一対のそれは、他のどれよりもまぶしくみえた。
「それじゃあ、美海さん。行きましょうか。予約しておいたお店に」
「……うん! 凛音、愛してるよ」
私はこらえきれずに、凛音に愛を伝えた。すると凛音は恥ずかしそうにはにかむ。
「そのセリフはもう少しだけ取っておいてくださいよ」
「ごめんね。我慢できなかった」
「ふふっ。まったく。美海さんは」
私は凛音と腕を組んで、街に出た。私と凛音は二人でわけもなく微笑み合う。家族連れの多い夕暮れの街で、誰よりも笑顔な自信があった。
そうして、日が沈んだ後、私たちは夜景の見えるおしゃれなレストランにいた。そして美味しいディナーを食べていた。
食べ終わると、すぐに私たちの間に緊張した空気が漂った。答えなんて分かり切っているのに、どうしようもなく緊張してしまうのだ。
そんな空間の中、先に口を開いたのは私だった。
「凛音のこと愛してます。私と結婚してもらえませんかっ!」
年上としての威厳もあるし、最近は頑張っているのだ。できるだけ包容力のある女性になれるようにと、デートでもできるだけリードするし、夜だって積極的になっている。
「……ふふっ。喜んで」
凛音が笑顔で返してくれる。私は飛び跳ねそうになるのを我慢して、凛音の左手の薬指に指輪をはめる。ダイヤのついたプラチナの指輪だ。はめた瞬間、凛音はふにゃふにゃになってしまう。
とても幸せそうな表情に私まで笑顔になった。
でも今度は凛音の番だ。すぐに真剣なかっこいい表情に戻った。そして私の左手を取って、そっと指輪をはめる前に問いかけてくる。
「美海さん。愛しています。私と結婚してください」
「はい!」
左手の薬指に指輪がはまる。私たちを結ぶ愛は目にみえなくても絶対だ。でもこうしてその証を身に着けるのは格別の幸せだった。そのままの気持ちで私はつげる。
「あとは婚姻届を出すだけだね。あと、結婚式もあげないと」
「……うん」
どうしてか凛音は不安そうにしている。もしかして籍を入れるのは嫌とか? 結婚式をあげるのが怖いとか? 色々その表情の原因を考えてみるけれど、だけどそんな不安は全くの見当外れだったようで。
「なんだか、幸せ過ぎて怖いです」
凛音はへにゃへにゃと微笑んだ。
「ふふっ。本当にね。でも平気だよ。私たちならきっと大丈夫」
かつて私は幸せを恐れていた。でも凛音から受け取る絶え間ない愛のおかげで、もうすっかり怖くなくなったのだ。全ては凛音のおかげ。凛音が私の見る世界全てを変えてくれた。
「本当にありがとう。私と出会ってくれて」
「美海さんこそ、ありがとうございます」
そうして凛音は目を閉じる。私も目を閉じて、凛音と唇を触れ合わせた。
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