第13話 死んでしまいたいくらいの幸せ

 ローテーブルの周りに二人で座った。テーブルの上には、カレーライスが湯気を立てて二つ並んでいる。いい匂いがして、知らず知らずのうちによだれが出てきていた。


 私はいただきますと手を合わせてから、口に運んだ。その瞬間、適度にスパイスの効いた味が口の中に広がって、笑顔になる。肉は溶けたと錯覚するほど柔らかいし、ニンジンやジャガイモにもしっかり味がしみ込んでいる。


 私は無言でカレーライスを口に運び続けた。あまりに美味しくてスプーンが止まらなかったのだ。


「どうですか……?」


 気付くと、凛音は咀嚼する私を不安そうにみつめていた。私が笑顔で答える。


「おいしい。これまで食べた中で一番おいしいよ。お店開けるくらいおいしい」


「そうですか。良かった。将来は美海さんと一緒にお店を開くのも悪くありませんね。そうすれば私も、美海さんだって練習すれば活躍できるでしょうし」


 凛音と一緒にお店、か。私は想像をしてみる。厨房で凛音と二人、一緒に調理する未来。ずっと一緒に過ごして、死ぬまで一緒にいる一生を。


 思えば、私はなんとなくで考えていた。一生を共にするなんて言われても、明確なビジョンは思い浮かばなかった。けれど今は、少しだけ想像できるような気がする。


 微笑んでいると、凛音は優しい表情でささやいた。


「私はこれまで何の願望もありませんでした。みんなを悲しませないように生きることしか、なかったんです。でも美海さんと一緒なら、たくさんたくさんやりたいことが芽生えてくるんです。遊園地とか水族館とか色々なところに二人で行ってみたいですし、ゆくゆくは、その、恋人同士でしかできないこともしたいですし……」


 凛音は太陽の光をたくさん蓄えたヒマワリみたいに微笑む。


「だから思うんです。私、今、幸せなんだなって。昔はこんなにたくさん願望とかありませんでした。死ぬことも正直、そんなに怖くなかったんです。……でも、今は怖いです」


 凛音は私の隣までやってきて、眉をひそめた。私は「大丈夫だよ」と凛音の肩に手を回した。すると凛音はこてんと私に寄りかかってくる。


「もしも美海さんが私を見捨てたらと思うと、とても、怖いです。幸せだから、怖いんです」


「大丈夫だよ。私は凛音を見捨てない。人生を捧げるって決めたんだから」


「嬉しいです。……でもそれは自己否定から来るものなんじゃないですか? 私から美海さんが離れていくのは嫌ですけど、美海さんが自分を嫌いなままなのはもっと嫌です。美海さんの人生だって、価値あるものなんですよ?」


「凛音のそばにいればね。私一人の人生なんて、無価値だよ」


 誰にも認められることなく、自分自身も自分を認められなくて、世界が「嫌い」なものに満ちている。そんな毎日に、価値は感じない。


 凛音は複雑そうな顔をしていた。私は今も自分が嫌いだ。でも凛音のそばにいれば自己否定も少しはましになってくる。もしかするとこれは凛音への依存なのかもしれない。でもそれ以外で、自分を好きになる方法なんて見つかりそうにもない。


「私はこのままでいい。凛音の隣にさえいられればそれでいいよ」


 凛音はうつむいたまま黙り込んでしまった。向かいでは凛音のカレーが湯気をあげている。私はそれをぼうっとみつめる。体温が心地よくて、離したくなくて、なおさら強く凛音を抱き寄せた。


 凛音はすぐ近くで私をみつめていた。その瞳に浮かんで見えるのは、心配とか悲しみとか辛さとか、マイナスな感情ばかりだった。そのままの表情で凛音は私の頭を撫でてくる。


 明日、私たちは凛音の両親とともに、パートナーの報告をするため、両親の元へ行く。


 両親に認められること。兄に追いつくこと。世界を「好き」でみること。自分を好きになること。全てを成し遂げれば、きっと私は自分の人生を肯定できるだろう。でも現実的じゃない。

 

「……凛音が生まれてきてくれて、良かった」


 だからそれは心からの言葉だった。


 私がささやくと、凛音は顔を真っ赤にして私を見つめ返してきた。かと思うと、自分のカレーを私の隣にもってくる。そしてスプーンで口に運んだ。……私の口に。


「あーん」


「えっ?」


 凛音は顔を赤らめている。目をそらしながら「早く口を開けてください」とささやいた。私は仕方なく口を開いて、咀嚼する。凛音はそんな私を満足そうにみつめていた。


「私も美海さんが生まれてきてくれてよかったです。だからいくらでも私に頼ってくださいね? 私が美海さんのこと、絶対に幸せにしますから。美海さんが私のためだけに生きるっていうのなら、私だって美海さんのためだけに生きますから!」


 凛音は必死な顔で叫んでいた。私は目を見開いて凛音をみつめる。


「じゃないと、辛いじゃないですか。美海さんは人生捨ててるのに、私だけ私の人生を生きるなんて、そんなの我慢できません」


 凛音は真っすぐに私をみつめていた。胸が騒いで仕方なかった。恋なんて小学四年生が最後な私でも自覚してしまうほどに、鼓動が早い。


「だから何でも言ってくださいね。美海さんは私に何をしてほしいですか? 私、美海さんのためなら何でもしますから。……その、えっちなこととかでも」


「ふふっ。それは凛音がしたいだけじゃないの?」


 私は凛音に微笑んで、頬に手を当てた。凛音はとろんとした瞳で私をみつめてくる。私はそっと唇を触れ合わせた。その瞬間、凛音が舌を伸ばしてくる。唇の間を熱くて湿った舌が、何度も物欲しげにノックしてきた。そのせいで、凛音のことは大切にしたいと思っていたはずなのに、我慢できなくなってしまった。


 私からも舌を伸ばして、凛音の舌と絡ませ合う。惚けた瞳で私をみつめてくる凛音は、夢でもみているみたいにみえた。


 痺れるような快感が走って、いやらしい音と嬌声がお互いの口から洩れてしまう。そのせいでなおさら私たちは昂ってしまうのだ。舌を吸いあって、いちゃいちゃと抱きしめ合う。


 息が続かなくて唇を離すと、凛音はすっかりいやらしさを感じる表情になっていた。お姫様みたいな純情な美しさに妖艶さが混じっている。


「美海さん。その……」


 凛音は耳まで真っ赤にして何かを期待する瞳をしていた。でも流石に出会ってからあまり時間も経っていないのに、そこまで行くのは早すぎる。私は湧き上がってくる情欲をなんとか振り払って、凛音の頭を撫でた。


「カレー早く食べないと冷めるよ?」


「……はい」


 凛音は私の隣で黙ってカレーを食べ始めた。私は少しだけ背の低い凛音の頭を撫でる。触りたい場所はもっと他にあるけれど、一度そんなことをしてしまえば歯止めが効かなくなりそうな気がして、怖かった。


 さっきのキスだって、理性が効かなかった。本当は舌まで入れるつもりはなかったのに、体が勝手に動いていたのだ。自分の意志に反した動きで凛音を汚したくはない。


「美海さん。お風呂も一緒なんですよね……?」


 でも当の本人は私に艶やかな視線を向けてくる。


 私は全身が熱くなるのを感じながら、凛音から目をそらした。

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