第7話 人生の値段
蝉の声がうるさい夏の日だった。病室で目覚めると、私の顔を、正面から凛音がじっとみている。私が人生を捧げると伝えて以来、凛音は一段と表情が優しくなった。
「おはようございます。美海さん」
「おはよう。凛音。今日、退院だね。役所に申請しにいかないと」
生贄病の申請はオンラインでは出来なくて、診断書を片手に直接役所に足を運ぶ必要がある。申請するとお金がもらえるらしい。月に三十万円。高すぎるような気もするけれど、それが私の人生の値段だ。
私はベッドから降りて、大きく伸びをする。そしてスマホに手を伸ばす。両親、そして兄にも生贄病に関してメッセージを送っておいたけれど、今のところ何の返事もない。
また机の上に戻そうとした時、突然、スマホが震えた。兄からのメッセージだった。
「厭世的な美海がパートナーになることを選ぶとはな。もしかして相手の人、よっぽどの美形だったりするんじゃないか?」
白衣姿のアイコンがまぶしい。兄は天才というやつで、あっという間に夢を叶えてしまった。私はため息をつきながら、うん、と二文字だけ兄に送る。
するとすぐにメッセージが帰ってきた。
「俺も生贄病の製薬には興味あるんだけど、採算が取れないってことでやらせてもらえないんだよな。残念だけど、仮に開発できたとしても値段は高いと思う。頑張れよ。応援してるから」
そのメッセージをみていた凛音はつげる。
「お兄さん、お薬作ってる人なんですか?」
「優秀な人だよ。あの人は」
「ありがとう」と打ち込むと、兄から「そのうち会わせてくれるか?」とメッセージが来た。
「そのうちね」と私は返事をする。
眼鏡をかけたフクロウがOK!と羽根を広げているスタンプが送られてきて、私たちの会話は打ち切られた。私はスマホを閉じて、またベッドに倒れ込む。
案外、私みたいなどうしようもない人間が「適合者」で良かったのかもしれない。兄は自分の人生を捧げるには優秀過ぎるし、凛音だって誰かのためだけに生きるのには、もったいない。
ぼうっと天井をみつめていると、凛音が覗き込んできた。
凛音の顔は照明で陰になっていて、そのせいでなおさら神秘的な美しさを感じさせた。
「……なんだか、結婚するみたいですよね。お役所に申請しにいくって」
そうかもしれない。現実には結婚よりももっと強く結びつくことになるわけだけど。自分の人生を全て、凛音のために捧げるのだから。
「そうだね」
凛音は顔を赤らめながら近づいてきた。うるんだ目で、私をじっとみつめている。
「私のパートナーが美海さんだなんて、今でも信じられません」
距離が縮まって、熱い吐息を感じる。長いまつげが揺れていた。その瞳には私だけが映っている。私はゆっくり目を閉じて、凛音が唇に触れるのを待った。
全て捧げると決めたのだ。本当に凛音が望んでいるのならこれくらい別に。それに、私も気持ちいいことは嫌いじゃない。前の凛音のキスは優しく包み込んでくれるようで良かった。舌を入れるのは怖かったけど、でも、やっぱり受け入れたほうがいいのだろうか?
考えていると、唇が触れあった。ベッドがきしんで音を立てる。ちゅっ、と吸い上げるようにして唇が引っ張られていく。唇が離れるその瞬間、甘い刺激が流れて体が震えてしまった。薄目を開けると、凛音は目を閉じたまま私の唇を食んでいる。
でも舌は入れてこようとはせずに、ずっと私の唇だけ味わっているみたいだった。私のことを気遣ってくれているのだろうか? でも、私なんか気にしなくていいのに。私はこれから凛音のためだけに生きるのだから。
私はそっと凛音を抱き寄せて、唇を密着させた。凛音がしないのなら、と自分から弾力のある瑞々しい唇の隙間に、舌を伸ばす。だけどその瞬間、凛音は私から飛び跳ねるようにして体を離した。上気した頬が色っぽくて見惚れていると、扉が開いて凛音のお母さんが入ってくる。
私は慌てて体を起こした。
危ない所だった。いくら凛音が私を求めてくれているといっても、流石に女性同士でこういうことをしているのを見られたら、何を言われるか分からない。
「おはよう。美海さん。凛音。今から退院だけど、その服装でいいの?」
私は灰色のぶかぶかパジャマ。凛音も薄ピンクのぶかぶかパジャマ。流石にこれではダメだと思って、カーテンを閉めてさっさと着替える。白いトップスと紺色のスキニーに着替え終わって出てくると、凛音は白いワンピース姿になっていた。
夏らしい服装で、その美貌とも相まって映画に出てくるお嬢様みたいだ。
「どう? 病院の中だとずっとパジャマだったけど、似合ってるかな……?」
「うん。とても似合ってるよ」
私が微笑むと、凛音はとても嬉しそうに鏡の前に向かった。そして髪の毛を梳き始めた。私は……、まぁいいか。鏡は凛音が使ってるし、髪の毛短いし、軽く手櫛で整えるくらいで。
「美海さん、こうしてみると本当に美人さんねぇ」
お母さんがニコニコと私をみてくる。多分、私のご機嫌取りに励んでいるのだろう。娘を見捨てられないために。私は軽く頭を下げて「どうも」と微笑む。
「お母さん、今の今まで気付かなかったの? 私は最初から美人だって思ってたよ」
まぁ、人によって趣味って違うからね。きっと凛音は私みたいな顔立ちが好みなのだろう。
「そうねぇ。でも美海さんで良かったわ。もしも「適合者」が男だったらどうしようかと思ってたところよ。女同士なら恋人になることもないし、子供もできないものね?」
私は「そうですね」ととりあえず、話を合わせておく。凛音はそんな私を不満げにみつめていた。かと思うと、鏡の前から立ち上がり、私の腕をぐいぐい引っ張ってくる。
「美海さんの髪、整えさせてください」
そうして、私は半ば無理やり鏡の前に座らされてしまった。鏡の中から凛音がじっと私をみつめてくるから、なんとなく気まずくなって私は目をそらした。凛音の指先が私の髪の毛を撫でるように触ってくる。
凛音は耳元で小さく「なんで言ってくれなかったんですか。私たちが恋人だってこと」とつぶやいた。私は目をそらしたまま黙りこくる。凛音だって返事なんて求めていないのだろう。跳ねた髪を丁寧に丁寧に整えていく。
凛音のお母さんはそんな私たちの様子をみて「まるで姉妹みたいね」と微笑んでいた。
姉妹、か。この構図だと私が妹で、凛音が姉なのかな。
「はい。美海さん。終わりましたよ」
私は鏡に目を向ける。髪の毛を固めないラフな髪形は、風に吹かれればすぐにくしゃくしゃになってしまいそうな不安感があった。でも私らしくていいと思った。
「ありがとう。凛音」
私は鏡の中に微笑んだ。すると凛音も微笑み返してくれる。
「二人とも、準備はできた? 荷物とか忘れてない?」
お母さんが呼びかけてくるから、私は立ち上がりながら病室を見渡す。ここに来た時、私はほとんど着の身着のままだったから、何かを忘れるという心配はなかった。
凛音もあらかじめ準備をしていたようで、衣服や歯ブラシなんかが入った袋を両手に持っている。それを見たお母さんは「それじゃ、行きましょう」と病院の廊下に出た。私は凛音の荷物を一つ持って、廊下に出る。
すると凛音は駆け足で、ニコニコしながら私の隣に並んできた。
廊下には相変わらず、老若男女問わず色々な人がいる。
ここに来た時、凛音が死にかけていたのだということを私は思いだした。
「難しい顔をして、何を考えてるんですか?」
廊下を歩いてエントランスに向かっていると、凛音が隣から話しかけてきた。
「なんでもないよ」
微笑むと、ひそひそとした声が耳元から聞こえてくる。
「……もしかして、マリッジブルーですか?」
「そんなのじゃないよ。凛音と過ごせることは嬉しく思ってるから」
すると凛音は私の手を握り締めてきた。前にはお母さんがいるのに、指先を絡めてきたのだ。私はじっと凛音をみつめる。離してほしくなさそうな不安そうな顔をしていたから、仕方なく手を繋いだままにする。
「でも、こういうのは控えたほうがいいと思うよ」
「どうしてですか?」
「両親を不幸にしたくはないでしょ。せっかく凛音のこと考えてくれてるんだから、大切にしないと」
凛音はなにか言いたそうにしていたけれど、私の家庭環境を知っているせいか、何も言えないようだった。それでも私と恋人つなぎをした手をみつめては、ニヤニヤしている。
そうしているうちに、私たちはエントランスを出て、駐車場にたどり着いた。空は青く、日は照っていてからっとした暑さ。じんわりと汗をかいて、額の汗を軽くハンカチでふき取る。
どうしてか凛音はそんな私の姿を、じっとみつめていた。
「どうしたの?」
「いえ、美海さんって色っぽいなって。私なんてこんなですから」
凛音は両手でスカートをつまんだかと思うと、ぱたぱたさせていた。お嬢様みたいな白いワンピース姿で子供っぽい仕草をするものだから、気付けば私は笑顔になっていた。
「二人とも何してるの。早く車に乗るのよ」
私たちは慌てて後部座席に乗り込む。
役所へと向かう間中、座席の下で、私たちは手をつなぎ合っていた。ちらちらと目配せしてくる凛音は、付き合いたてのカップルそのものみたいな態度だった。
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