第6話 叶わない夢と叶った夢
「美海さん」
夜、薄暗い病室で凛音が私のベッドに飛び込んできた。掛布団を開いて、無理やりに私の隣に入ってくる。私としてもあれだけ撫でてもらったわけだし、拒否するのは違うと思って、渋々受け入れる。
凛音はベッドに入って来るやいなや、私の頭を撫でてくる。
「おやすみなさい。美海さん」
「……おやすみ」
凛音は私のいる方向に体を向けて、さっきからずっとニコニコしている。人とのコミュニケーションが苦手な私は、この状況でどうすればいいのか分からず、とりあえず反対側を向くことにした。
そうして私は目を閉じる。目を閉じれば自然と考えごとが浮かんでくる。
凛音が患っているという通称「生贄病」。24時間365日。一億人に一人の「適合者」と毎日、どこへ行くにもずっと一緒にいなければならない。人の人生を一つ、生贄にしないと死んでしまう病気。
百組いれば百組が、十年とたたず別れてしまうという。別れれば殺人罪に問われてしまうというのに、それでもパートナーになることを受け入れた相手を、拒絶してしまうのだ。
きっと人間には一人の時間が必要なのだと思う。一人で考え込んだり、映画とかを楽しんだり、散歩をしたり。自分が自分であるということを噛みしめることができるからこそ、相手を尊重して、愛せるのだろう。
もっとも、私のこの気持ちは、愛とかそんなのじゃないけど。
「私、美海さんで良かったです」
突然、凛音が後ろから私を抱きしめてきた。ぎゅっと、抱き枕にでもするみたいに。もう二度と離さないと宣誓するみたいに。
私は何も言葉を返さず、寝たふりをする。言葉を返すのは怖かった。私は凛音のことがそれほど好きではない。もちろん、顔は綺麗だし、私のことを大切にしてくれるし、好きではある。好きか嫌いかで言えば、間違いなく好きだ。
でも、凛音は私には相応しくない。もしも凛音が私と同じくらいどうしようもない人だったら、私だってべったりになっていたかもしれない。でも凛音は出来た子だ。年齢だって若くて、落伍者な私とみている世界は違う。
だから距離を感じるのだ。お姫様のように美しく、なおかつ心も綺麗な凛音の愛が私に向けられている。そのことに、まるで現実味を感じられない。
「好きです。美海さん」
私が寝ていると思ったのか、甘い声で囁いてくる。
「だから夢みたいなんです。こんな風に一緒に寝られる日がくるなんて」
熱い吐息が首筋にあたって、身悶えしそうになる。
「……すきです」
何の反応もせずにいると、耳元で甘い声でささやいてくる。私は寝たふりをした。もしも今起きたら、凄く気まずくなってしまう。大人な私が寝たふりをするだけで、全て丸く治まるのだ。
「……もしも寝たふりをするのなら、キスとかしちゃいますよ?」
私はすぐに凛音の方を振り向いて、ジト目でみつめた。
すると凛音は寂しそうな顔をした。
「美海さんと話したくなってしまったんです。でも返事してくれないし」
「起きてって声かけるだけでいいと思うけど……」
凛音ははっとした表情をして、暗がりでも分かるくらい、顔を赤くしていた。
「……凛音のこと、羨ましいよ。私は恋なんて全然できてないから。そんな余裕もなかった」
「私もあの夜、美海さんに出会うまではそうでしたよ。美海さんのことはちょっと気になってましたけど、声をかける気もなかったですし。もうすぐ死ぬ私なんかに告白されても困るだけだろうって思ってたので」
凛音は頬を緩めていた。私と一緒にいられる今を心から楽しんでいるみたいだった。
「でも退廃的な人なら、そこら中にいると思うけどね。通勤ラッシュの電車とかさ」
「そういうのじゃないんです。私が惹かれたのは、まだまだ若いのに全て諦めてる美海さんだったから。なんていうんでしょう。現実的でないというか、幻想的にみえたんですよね。こんなに美人な人が、どうして世界の終わりみたいな表情をしてるんだろうって」
凛音の後ろに月がみえた。欠けた月が白く輝いている。凛音は私を美人と呼ぶけれど、こんなに欠けた私のどこか美人なのやら。
「自業自得ってやつだよ。もしも私が誰かに褒めてもらうためじゃなくて、自分のために生きることができていたのなら、こんな風にはならなかったはずだから」
凛音はベッドの中で、私の手を握り締めてきた。
「今からでも遅くないですよ。私、美海さんには自分のために生きて欲しいです。退廃的な美海さんに惹かれたのは事実ですけど、美海さんの望む美海さんになってほしいんです。その為なら、私、何でもしますから」
「そんなことしなくていよ。今さら人生をやり直す気にはなれない。私は凛音の人生を応援したい」
「えっ?」
どうしてか凛音は驚いた表情を浮かべていた。
「……私の人生?」
「うん。私たちってずっと一緒にいないといけないわけでしょ? だからどちらの人生を優先するか選ばないといけない。私は凛音の人生に寄り添うよ」
普通なら人はそれぞれの人生を過ごす。でも生贄病はどちらか一人の人生をもう一人に捧げなければいけない病気。仕事も学校も、どちらかが諦めなければならないのだ。
希望溢れる高校生な凛音と、もう終わってる私。どちらの人生を優先するのかなんて、考えるまでもない。
そのはずなのに、凛音はどうしてか困った顔をしている。
「私の人生、って言われても、よく分からないです。私、これまで誰かのために生きることばかり考えてきましたから。お父さんとかお母さんとか、友達とか。みんなを悲しませないために」
「……夢とかないの?」
凛音はベッドの中で私の手をにぎにぎしながら、考え込んでいるみたいだった。だけど突然笑顔を浮かべたかと思うと、私を抱きしめてきた。凛音の温かい体温が伝わってきて、なんだか体がこそばゆくなってくる。
「美海さんと付き合うことです」
すぐそばに凛音の顔があった。吐息がかかってくるくらい、近い。うるんだ瞳には、私しか映っていなかった。
「それは夢じゃないでしょ?」
「いいえ。夢ですよ。叶わない夢だって思ってたんです。もうすぐ死んじゃうはずだったんです。でも美海さんは私とパートナーになることを決意してくれました。私はもう、それだけで十分なんです。自分の人生なんていらない。美海さんが、人生を謳歌してくれるなら、それでもう……」
「だめだよ」
自分でも信じられないくらい、冷たい声だった。
私の人生には、凛音の人生を捧げるような価値はない。私からすると凛音の人生は煌めいているようにみえる。それは私の主観だけではなくて、客観的にみてもそうだろう。
未来のない私と、現役の高校生。どちらが優先されるべきかなんて、明らかだ。
それに理由は他にもある。
「私は凛音を見捨てようとした。ただ、両親と関係が良かっただけで。嫉妬で人を殺そうとする。あそこまで自分が醜いとは私も思ってはいなかった。そんなどうしようもない人間の人生、消えてなくなってしまったほうがいいに決まってるでしょ?」
否定され続ける人生。誰にも求められない人生。私はそれをこれまで一度も変えられなかった。そんな私自身に価値はないし、私の人生にも価値はない。
でも凛音は目を見開いて、私をみつめていた。
「美海さんは……」
「どうしようもない奴だよ。だから、全部、凛音にあげる。私の全部あげるから」
私がそう告げると、凛音はなおさら私を強く抱きしめた。これはきっと、拒絶の意味なのだろう。でも私はそれを無視して、凛音に問いかけた。
「凛音。私と一緒に夢を探そう。何もないのが怖いんでしょ? 誰かのために生きてきた凛音は偉いよ。でも今日からは自分のために生きるといい。私が助けるから」
私もそっと凛音を抱きしめ返す。そして頬にキスを落とした。
凛音は目をぱちくりさせていた。私の言葉に混乱したのか、私の行動に困惑したのか。でもすぐに目を閉じて「はい」とささやいた。
しばらくすると、すぅすぅと私の胸の中で眠りについた。私もその姿をしばらく見つめてから、目を閉じる。
きっと、ほとんどの生贄病のカップルが別れてしまうのは、お互いが人生を譲らないからなのだろう。あるいは譲ったとしても、途中で耐えられなくなってしまうから。自分が将来何もなしえないということに。誰かの踏み台になっているという事実に。
でもそんな事を考えられるのは、自分に自信がある人だけだ。私は自分がろくでもない人間であるということを自覚している。私なんかの人生ひとつで、凛音が輝かしく生きることができるのなら、それでいい。
思考は途切れ、まどろみに飲まれていく。
凛音の寝息を聞きながら、眠りに落ちた。
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