第5話 一生そばにいる関係

 蝉の泣き声がうるさい八月の上旬。凛音の両親は毎日お見舞いに来ていたし、凛音と同じくらいの年齢の女の子たちも、頻繁に病室にやってきていた。夏休みということもあって、時間は問わなかった。


 私はそのことを羨ましいなと思いながら、凛音のベッドのとなりに設置されたもう一つのベッドに腰を掛けて、凛音たちのことをみつめる。真っ青な空とうず高い入道雲を背景にして、少女たちは何やら話していた。


「要するに、結婚するってこと!?」


 きゃーきゃーと騒がしい声。凛音は微笑みながら答える。


「まぁ、そういうことだね。一生そばにいることを誓い合うわけだし。まだ役所に書類とか届けてないから、正式にはまだなんだけど」


「そうなんだ」


 見舞いに来た少女たちはちらちらと私の方をみていた。


「美人だし、かっこいい大人の女の人って感じでいいじゃん」


 凛音は「そうだね」と頷いていた。かと思えば「でもみんなにはあげないからね」と私のベッドまで歩いてきて、少女たちに見せつけるように抱きしめてくる。


 きゃー、と少女たちは笑顔を浮かべていた。私は顔に熱を感じながら、なんとも言えない気持ちになって、みんなから視線を逸らした。


 少女たちが病室から出て行ったあと、凛音は私を抱きしめたまま、ささやいた。


「このこと、ご両親にはまだ伝えてないんですよね?」


 凛音はとても不安そうに眉をひそめている。パートナーになることを断られるかもしれない、とか思っているのだろう。


「大丈夫だよ。報告なんてする必要ないし」


「報告はしないとだめだと思いますよ? 報告もせずに結婚以上の関係になるなんて、だめだと思います。それに、私の両親も、美海さんのご両親にお礼を言いたいと話していましたし、私自身もお礼を言いたいです」


 凛音の言葉は正しい。確かに普通の家庭なら、報告はするべきだろう。でも私と親の関係は普通じゃない。凛音のような温かな家庭を私は知らないし、愛情を向けてもらったこともほとんどない。


 そんな人に、パートナーの報告なんてしなくていい。


 私がうつむいていると、凛音は頬にキスをしてきた。思わず視線を奪われる。黒い宝石のような瞳が、キラキラと私をみつめている。


「もしもダメだったら、私と一緒に駆け落ち、してくれますか?」


「えっ?」


「拒まれるかもしれないのが不安なんですよね?」


 どうやら、凛音は私の不安を全く別種のものだと思ったらしい。凛音は私みたいな家庭環境とは無縁。だから、想像することもできないのだろう。


 私は首を横に振った。


「両親は受け入れると思うよ。でも仲が悪いから、あまり顔をみせたくないんだ。ただ、それだけ。パートナーになれないとかじゃないから、凛音は何も心配しなくていいよ」


 私は作り笑いを凛音に向けて見せた。凛音は不服そうに頬を膨れさせている。


「大切なパートナーなんですから、心配くらいさせてくださいよ」


 そうして凛音は私の肩に寄りかかってきた。


「これからずーっと一緒にいるんですから」

 

 なんとなく、私は凛音の頭を撫でた。最初はじっと私の方をみてきていたけれど、やがて微笑みを浮かべ目を閉じた。


 私に寄りかかってくれる人がいること。それこそが、私にとっての幸せなのかもしれない。でもだとするなら、凛音にとっての幸せって何なのだろう?


 みんなのために生きること。それは立派だと思う。でも凛音にはそれ以外に生きる意味はあるのだろうか? 私はその美しい顔をみつめる。もしも生贄病なんかじゃなければ、もっと自由に幸せに生きていたのだろう。


 私じゃないもっとすごい人と結ばれて、幸せになったはずだった。


 でも今、凛音の横にいるのは私で。


 どうして私なんだろう。そう、思ってしまう。


 病室の扉が開いて、凛音のお母さんが入ってきた。


「こんにちは。美海さん」


「こんにちは」


 私は軽く頭を下げた。私にもたれかかって眠る凛音をみたお母さんは、和やかに笑顔を浮かべていた。


「最初はどうなることかと思っていたけれど、意外と二人は相性がいいのね。良かったわ」


「凛音さんが私に歩み寄ってくれるおかげですよ。私はだめだめですから」


 私は肩をすくめながら微笑む。するとお母さんは私の手を握ってきた。


「卑下しないで。あなたはもう私たちの家族のようなものなんだから、自分を蔑んでほしくないのよ」


 温かい言葉だった。凛音がどんな風に育てられてきたかよく分かる。きっとたくさんの愛を注がれてきたのだろう。


「ありがとうございます。でも私が凛音さんに相応しくないのは事実ですよ」


 私には兄がいる。兄は名門大学の医学部に合格して、今は薬の研究をしているらしい。容姿は整っていて、頭脳明晰で、一応私のことも心配はしてくれていた。


 そういう具体例がいるからこそ、凛音の隣にいるべきは私ではないと、より強く思ってしまうのだ。


「美海は相応しいよ」


 隣で目を覚ました凛音が、前髪を払いながら私に微笑みかけてくる。


 これ以上自己否定をするのまずいかと思った私は「ありがとう」と微笑んだ。


「凛音の言葉には反論しないのね。やっぱり特別だと思ってくれているのかしら?」


「美海さん。私のこと、特別だって思ってくれてるんですね。私も頑張らないとですね。ずっと特別に思ってもらえるように」


「そうよ。凛音。美海さんは人生を犠牲にあなたの隣にいてくれるのだから、大切にするのよ? だからよろしくお願いしますね。美海さん」


 私の人生なんてたかが知れている。それを犠牲だなんて大層な言葉で騒ぎ立てられるのは、なんだかむずむずした。


 私は「私こそよろしくお願いします」と頭を下げる。するとお母さんは「そうそう。そのことなんだけど」と私の肩に手を置いた。


「近々、美海さんのご両親に挨拶をさせてもらってもいいかしら?」


 断りたいけれど、理由がない。だから私は渋々頷いた。


「……はい」


 するとお母さんは申し訳なさそうに肩をすくめた。


「先に役所でパートナーを申請してからでいいかしら? 礼儀がなってないってことは分かるのだけれど、やっぱり拒否されることを考えたら、不安なのよ」


 気持ちはわかる。もしも断られたら凛音は死んでしまうのだから、既成事実を先に積み上げておきたい。そう思っているのだろう。もっとも断られるなんてあり得ないけど。


「別にいいですよ」


 私が即答すると、お母さんは目を見開いて驚いていた。

 

「本当にいいのかしら?」


「仲悪いですから、問題ないです。きっと何とも思ってませんよ。あの人たちは。私が何をしようと、無関心でしたから」


 私からすると、何でもない言葉だった。でもそれはお母さんからすると普通ではないみたいだった。凛音も心配そうに、私の手を握ってきている。


「凛音。美海さんのこと、大切にしてあげるのよ」


「うん。大切にするね」


 二人の視線が私に集中する。それはあからさまな同情だった。不幸な人生を送ってきた人に向ける視線としては正しいのだろうけれど、私は正直、嫌だった。


「同情なんてしないでくださいよ。私からすると無関心が当たり前だったんですから。別に、辛いとか、思ってないですから。むしろ同情の方が辛いです」


 凛音とお母さんはますます私を憐れむような視線を向けてくる。間違えた、と思った。適当に流すべきだったと気付いたときには、もう遅かった。


 病室が静まり返る。お母さんは申し訳なさそうに「そろそろ私は帰るわね」と告げて、病室から出ていった。


 そうして、また私たちは二人きりになった。病室は静かだけれど、外からは蝉の声が聞こえてくる。青空はいつの間にか曇っていて、急に土砂降りの雨が降ってきた。激しい雨が窓を叩いて流れ落ちていく。


 私は凛音の隣でぼうっとそれをみつめていた。


 凛音は普通の人間だ。もちろん奇病は患っている。でもその奇病にだって、対抗策はある。でも私にはない。無関心な親に関心を持たせる方法を、私は知らない。


 それに今さら両親が私に関心をもってくれたとしても、私自身は普通になれないだろう。


 雨音が病室に響いていた。雨に彩られた灰色の世界をみつめていると、凛音が私にもたれかかりながら、ささやいた。


「私は美海さんのために、なにができるでしょうか」


「何もしなくていいよ」


 そう告げると凛音は私の手の上に、自分の手を重ねてきた。


 ベッドをきしませながら体を動かして、私の顔を覗き込んでくる。私はその媚びるような瞳が嫌で、凛音から目を逸らした。すると凛音はつぶやく。


「人って、自分が一番不幸だって思いたがるものなんです」


 私は思わず、凛音に視線を向ける。まるで自分のことを言われているみたいだった。


「私はそういう人を、これまで何度もみてきました。余命宣告をされている私を目の前にしても、あなたは見た目がいいからいいでしょ、とか。頭がいいんだからいいでしょ、とか。そんな事言ってくるんですよ」


 凛音は自嘲的に微笑んでいる。雨音はなおさら激しくなっていく。


 凛音は立ち上がって、長い黒髪を揺らしながら、窓辺に寄った。窓に打ち付けた雨が流れて落ちていく。それをみつめていると、凛音は振り返った。


「私だって、ろくでもない人生ですよ。生まれたときから、発作に怯える毎日で。そのせいで友達もあまりできませんでした。適合者は一億人に一人だし、仮にもしも適合者がみつかったとしても、相手が受け入れてくれるかは分からなくて。受け入れてもらったとしても、幸せになれるとは思えなくて。薬の開発だって、患者数が少なすぎるから採算が取れないってことで、全く進まない」


 凛音は私のところへとまた歩いてくる。かと思えば、手を私の頬にあてた。凛音の顔が近づいてくる。でも今、その表情は同情というよりは、まるで苦境の中で助け合える仲間を見つけたような、そんな表情にみえた。


「私のは同情じゃないです。同情したから、何かをしてあげたいって思うわけじゃないんです。ただ、助けたいから。少しでも明るくなってもらいたいから。だから、美海さんがしてほしいこと、教えてもらえませんか?」


 凛音の唇が、私の唇に重なる。私は目を見開いて、凛音をみつめた。長いまつげが揺れている。雨音が響く病室で、凛音は私の唇を食んでいた。下唇と上唇を交互に、大切に包み込むように。まるで、愛おしいものを味わうみたいな目の色で、私をみつめている。


 胸がうるさくて、顔が熱くて、どうしようもなく気持ちよくて。私は縋りつくように凛音を抱きしめた。すると突然、生温かく湿ったものが、私の唇を割ろうとしてきた。


 感じたことのない感覚に飛びあがりそうになった私は、凛音を突き放した。


「だ、だめっ。こんな、好きでもない人と」


 まるでうぶな女子高生みたいなセリフが自分の口から飛び出して、私はますます顔を熱くしてしまう。私はそんな純粋な人間ではないというのに。


「……もしも、美海さんに一目ぼれしたって言ったら、笑いますか?」


「えっ?」


 凛音は顔を赤くしている。恥ずかしそうに、ラフなズボンを指先でつまんでいた。でも表情は真剣そのものだ。


「時々、美海さんをみることがあったんです。学校の帰りとかに。すれ違うたびに、退廃的な人だって思いました。まるで全てを諦めたみたいな表情をしていたから。でも私はその表情に惹かれたんです。私と同じだなって」


 理解ができない。困惑していると、凛音は照れくさそうに笑った。


「それに、美海さん、やっぱり美人ですから」


 笑う凛音が美人過ぎて、今すぐ鏡をもってきてあげたい気分になっていると、凛音は私の顔を胸に抱え込むようにした。


「聞いてください。私の、心臓の音」


 柔らかい胸の奥から、どくん、どくんと明らかに緊張した音が聞こえてくる。なんで平然とこんなことができるのだろう。この子は。


「美海さんは、女の人が好きなんですよね? それを察したとき、とても嬉しく思ったんです。きっと運命が私たちを巡りあわせてくれたんだって。生贄病の苦しみも、全てが報われたような気がしたんです」


 凛音は笑ってくれている。でも私は思いだす。私は一度、凛音から逃げたのだ。もしも凛音の言葉が全て本当なら、私はきっと二重の意味で凛音を傷付けた。命が失われる絶望だけでなく、好きな人にまで拒まれて。


「正直、辛かったです。美海さんに逃げられた時は。でも美海さんは戻ってきてくれたじゃないですか。私と一生を共にすることを決意してくれた。こんなに嬉しいことはないです。だから、美海さんのためなら、なんでもしてあげたいんです」


 そうして凛音は私を胸元に抱き寄せたまま、頭を撫でる。お母さんに大切にしてもらうって、こんな感じなのかな。私はふと、そんなことを考えてしまった。年下の高校生の、女の子相手に。


「だから、私にしてほしいこと、教えてくれませんか?」


 体がふわふわと軽くて。一人でずっと苦しんでいた頃は鉛みたいに重かったのに。だからなのだろうか。口を開けば、本心がすぐに出てくる。


 私はまるで夢をみているような気分で、つぶやいた。


「大切にしてほしい。私のこと」


 凛音の優しい指先が私の髪の毛を梳いていく。今にも泣いてしまいそうだった。


「……分かりました。私、美海さんのこと、大切にしますね。もっと具体的な願望を知りたかったのですが、まぁいいです。赤ちゃんみたいな美海さんをみることができて、嬉しいですし」


 凛音がつげた瞬間、顔が熱くなった。


 でも体を離すことは出来そうになかった。


 私はじっと、17歳の女の子に頭を撫でられるのだった。

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