平日昼間のプロムナード
猫矢ナギ
平日昼間のプロムナード
「言い訳は聞きたくない!」
頬に走る痛みに気を取られる俺の耳に、彼女の悲痛な叫びがこだまする。
呆然と立ち尽くす俺を振り返ることなく。一人残された室内に、彼女が出て行ったことを知らせる扉の閉まる音が響いた。
人間、無心で空を見上げたくなる時もあるのだと、いざこういう感情になってから知る。遥か上空を横に流れる雲を見て、「ああ、時間動いてるんだ」なんて実感する始末だ。
平日真昼間の公園で、スーツ姿でベンチに腰掛けて。何をやっているんだろうと自分でも思う。
昨日の出来事が原因で仕事が手につかず。様子のおかしい俺を見かねた上司が、気遣って早退を言い渡すほどだ。よほど傍目でも顔色が悪く見えるらしい。
「はあ……」
雲を吹き飛ばすような、全身から何もかも抜き去る気持ちで溜め息を吐く。
事の発端は、同棲している彼女に、仕事の同僚女性と歩いているところを見られたことだった。
こちらとしては単なる人付き合いの一環。何らやましいことなんてないのだから、俺は至って堂々と事実を口にした。
その結果が
“「言い訳は聞きたくない!」”
彼女は予め荷物を纏めていたらしく、スーツケースに収まるだけ持って──家出した。
「…………どうしろってんだよ……」
いくら釈明のメッセージを送ろうと、返事すらない。
コミュニケーションを断ってくる相手に、これ以上なんと言えば状況は変わるのか。
ネットで見かける、女心がどうたら、旦那がどうたら、なんてエッセイまで読んでみたがまるで分らない。理屈が通じない相手なんて、もはや理不尽な天変地異と変わらないってものだ。
なんて、ベンチの背もたれに頭を預けた時。ふと頭上に影が差した。
「オイ。アンタ」
その影の主──えらく背の高い深い紺色の作業着の男は、酷く怪訝そうな顔で俺を見下ろしている。
年のころは俺と同じくらいのようだが、目深に被ったキャップの下から覗く鋭利な目は、強く苛立ちを湛えているように見えた。
「ッハイ!?」
そのあまりに敵意丸出しな眼光に、思わず居住まいを正して振り返る。
「何があったか知らねーが、いい加減そこどいてくれ。何時間居座る気だよ。アンタのせいで掃除が終わんねぇだろうが」
男は手に持った箒の柄の先を、見てわかるほどに指でトントンと叩きながらこちらに苛々をぶつけてくる。
「此処に居着いてるホームレスの爺さんだって、オレが掃除してるのが見えれば、ちょっと退くくらいの対応見せんだよ。アンタには下々の労働を阻害する趣味でもあんのか?」
「す、すみません。今退きます……」
漂う剣呑な雰囲気に背を押され潔くベンチから腰を上げると、作業着の男は満足したようで少し態度を軟化ささせた。
「で、何があったんだよ、アンタ。仕事行く前にリストラ知らされて、帰るに帰れなくなったのか?」
生々しい想像はやめてほしい。
男はベンチ周辺の木の葉を竹箒で掻き集めながら、片手間に俺に世間話を振ってくる。自分の作業さえ進行すれば、無駄口には寛容なようだ。
「……昨日の夜彼女に逃げられて、仕事が手につかなくて帰らされたんだよ……」
作業着の男は真顔で俺の方を一度見ると、心底バカにした様子で鼻で笑った。
「ハッ。その程度で休めるとは、手に職持った奴は良い身分だな」
その言い様に、思わずムッとする。
「じゃあ、こういう時お前ならどうするんだよ」
淡々と公園の遊歩道周辺を掃除する男の傍らで、俺の悩める現状について語り聞かせた。
「そりゃ、良いワケねーだろ」
「何が!?」
「いや、アンタの対応だよ」
男は声色だけで分かるほど呆れた様子で、かごの中のゴミをビニール袋に詰めながら言う。
「まず、だな。女を理屈で納得させようとしてんのが間違いなんだよ」
「はあ?」
「犬にチョコは食べると死ぬから食うな、って言っても、アイツらは匂いにつられてベロベロ舐めに行くだろ。最初から言っても無駄だと割り切って、丸め込みに行くことを考えろ。もしくはこちらがある程度妥協する。チョコ菓子は扉付きの高い棚の上に置いて、袋は蓋付きのゴミ箱に捨てるようにする、とかな。生態からして価値観の違う相手に、自分の価値観で勝負を仕掛けても虚しいだけだ」
「犬好きみたいだな、お前……」
遊歩道の先で散歩されている犬を見ながら言う男は、ハッと気が付いて咳払いした。
「そもそもアンタ、どーせ普段家で喋んねータイプだろ」
「んなことは無いが」
「そうかぁ? どーせ、疲れてるから後にしてくれーとか言って仕事から帰ったらすぐ寝るタイプだろ。オレの親父みたいに」
お前の親父かよ。
とは思いつつ、まあそういう日も無いとは言い切れない。口ごもる俺に、しめたとばかりに作業着の男はしたり顔だ。
「人間には言葉があるんだから、普段からしょうもない話とかはしとくべきだぞ。自分の身の回りにどういうヤツが居て、自分はこう思ってる、とかな。逆に考えてみろ。アンタだって彼女が、見ず知らずの男と仲良さげに歩いてたらぜってー問い詰めてたろ」
「それは……うぐっ」
状況を想像して、思わず胸元を押さえた。心が痛い。
「で、アンタはこのままでいいのか? 情けなく項垂れて、しばらく仕事も出来ないポンコツ状態で」
一通り作業が終えたらしい男は、次の行き先を見つけたのか、遊歩道の先の先を見据えて呟く。
俺はスマホの、返答のないメッセージ欄を思い浮かべて思わず拳を握り締めた。
「…………良いわけ、ないだろ」
しかし、どう切り出せばいいというのか。
俯く俺の脇腹を、作業着の男が肘で突いてくる。
「なら思い立ったが吉日、善は急げだ。どうせ振られるか縒りを戻すかの瀬戸際なんだから、当たって砕けろだろ! 普段彼女に対して思ってたことを、良いも悪いもぶちまけてみろ。ずっと人前でスキスキちゅっちゅっしてたオレの友人カップルも、気づいたら別れてたんだからなるようになれだ」
最後の情報要らないだろ。
しかしまあ、
「それもそうだな」
実際のところ、彼女と話してお互い納得できるかはわからないが。確かに俺は、あまり彼女の話も俺の話も最近はろくにしていなかった気がする。
「じゃ、オレは仕事に戻るから。達者でな」
一人満足して去って行く作業着の男の、汚れた軍手がひらひらと振られる。
「なんでそんな言い回しなんだよ」
届くのか届かないのか、微妙なツッコミが思わずこぼれた。
とりあえず、彼女にまたメッセージを送ろう。
出だしは、そう。
傷心して公園で空を見ていたら出会った、作業着の変な男に諭された話からだ。
平日昼間のプロムナード 猫矢ナギ @Nanashino_noname
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