第2話:ルカ 第4章

 ジェイクに頼んで、冒険者ギルドに登録したこと、魔物討伐を行っていることを正直に白状したルカに、ベリンダは当然ながら激怒した。

「どうしてそんな危険なことを……あなたもジェイクも、魔物には詳しくないでしょう!?」

「……ごめんなさい」

 もっともな指摘には、ただ項垂うなだれるしかない。魔物にも縄張りや住み分けのようなルールはあって、初級レベルの冒険者でも可能なクエストであれば、周辺地域には高次の魔物は出現しないというのが通説だ。しかし、実際にルカとジェイクは、よりによって翼竜よくりゅうひなを鳥ではないかと考えた。手当てを施したのがルカではなくジェイクで、彼の所へ雛を追った翼竜達が推し掛けていたらと思うと、ゾッとする。街には黄金のベリンダは居らず、誤解から甚大な被害を出した可能性もあったのだ。

 だからと言って、今あの時に還れたとしても、傷付いた小さな生き物を、むざむざ見殺しに出来たかどうか、自信はない。

 暖かい夜風が、立ち竦む三人の気持ちを分断するように吹き抜けていく。

 素直に謝罪を口にしたルカに機先を制されたのか、ベリンダは憤懣ふんまんやるかたないといった様子で、孫と並んで立つ弟子に視線を向けた。

「ユージーン、あなたが付いていながら、どうして!」

 神妙な顔付きから、彼が事情を知っていることを察したのだろう。自分を介さず、ルカとジェイクが二人で行動することに異論を唱えなかったユージーンの真意を悟り、その裏切りに烈火の如く憤っているようだ。

「ユージーンには僕が頼んだんだ。その、どうしても、斥候隊せっこうたいに入りたかったから……」

 祖母の怒りがユージーンにまで飛び火してしまい、ルカは慌てて彼を庇った。が、音がしそうなほど強い視線を向けられて、思わず口籠る。見たこともない祖母の表情がショックだった。

「ダメだって言ったでしょう」

「――先生」

 にべもないベリンダを見かねたように、ユージーンが口を挟んだ。彼が尊敬する師の言を遮ることなど、有り得ないことだ。

 一歩進み出たユージーンは、懇願するように続ける。

「ルカが心配なのはわかります。でも、彼の気持ちも聞いてあげていただけませんか」

「!」

 目を見張ったのは、ルカとベリンダ、同時だった。ジェイクに劣らず過保護なユージーンは、魔物退治の経験を積みたいと言い出したルカを、最終的には後押ししてくれた。心配しながらも協力してくれたのは、ルカの男としての矜持きょうじを理解してくれたためだとは思っていたが、もしかすると、彼はもっと深いところ、ルカの抱えた煩悶はんもんに、気付いてくれていたのかもしれない。

 ベリンダはというと、痛いところを突かれたかのように、奥歯を噛み締めていた。その反応から、彼女も自分の「子供を私物化する親」のような振る舞いを理解しており、苦しんでいたようにも思われる。

「――さあ、ルカ」

 ユージーンに優しく促され、祖母が反論しないことにも勇気を得たルカは、「あのね」と口を開いた。

「そりゃあ、魔王は怖いよ。僕にあるのは予言だけで、おばあちゃんやユージーンと違って、闘う力を持ってない。ジェイクに手伝ってもらって初級レベルの魔物を倒せたからって、僕自身が強くなれた訳じゃないこともわかってる」

 あくまで戦えるのはジェイクであって、ルカに出来るのはそのサポート程度。実戦を含めた経験豊富なベリンダにとって、この経験値が取るに足らないことも承知の上だ。――だが。

「僕がおばあちゃんに認めて欲しかったのは、僕もそのくらいの勇気は持ってるってことだ」

 そう。ルカが大好きな祖母の目を盗んででも証明したかったのは、まさにこの一点だった。護られているだけなのを良しとしない、強大なものに立ち向かう勇気。自分に示せるのはたった一つ、これだけだと思ったから。

 ベリンダは、黙ってルカの告白に耳を傾けている。

「魔王は怖い。でも、ここでただ待ってるだけなのは、もっと怖いよ。みんなやるべきことがわかってるのに、僕だけ何も出来ないままだ。だから外に出たい。僕に何が出来るのか知りたいし、予言にすがってるだけのヤツだとも思われたくないんだ」

「ルカ……」

 思いの丈を吐き出したルカに、ベリンダは愕然とした様子で、オレンジ色の瞳を見開いた。

 夢を媒介にして、あちらとこちらの世界を行き来させていた頃から、ハーフェルの町の人々は当然、ルカが「予言の子供」であることを知っていた。けれど、皆がルカを慈しんだのは、それだけが理由なのではない。愛らしい外見に見合った素直な気質を、認めてくれていたからだ。ベリンダは、それが祖母としての欲目などではないことに、絶対の自信がある。

 それでもルカは、彼らの期待を察して、不安になってしまうのだろう――優しい子であるがゆえに。

 月の光が煌々こうこうと照らす夜空を、星が一つ滑り落ちた。素直な心情を吐露するルカに、ベリンダの怒りもまた、どこかへ霧散むさんして消える。

 愛情に突き動かされるまま、ベリンダは、気にすることはない、と孫を宥めようとした。保護者として、自分が必ず事態を収拾させてみせるから、と。

 しかし、ベリンダは先を続けることが出来なかった。ルカが「それに」と言葉を継いだからだ。

「それに、もしかしたらおばあちゃん、一人で行っちゃうつもりなんじゃないのかなって、心配で……」

「!!」

 自信なさげな、可愛らしい上目遣いで言い当てられて、ベリンダはハッと息を呑んだ。

 その様子に、黙ってルカを見守っていたユージーンもまた、驚愕の表情を師に向ける。

「……ええ、そうよ。私はすべての決着を、私一人で付けるつもりだった」

 諦めたように首を横に振るベリンダに、ルカは「やっぱり」と唇を噛み、ユージーンは「どうして」と小さく吐き出した。たとえ黄金のベリンダといえども、魔王とその軍隊を一人で相手取るなど、無謀のそしりは免れない。

「17年前、国防軍と力を合わせても、私は何一つ救えなかった」

 どこか遠くを見るような目で、ベリンダはポツリと呟いた。抑揚のないその声音こそが、逆に彼女の怒りと悲しみを表しているようで、ルカは小さな胸をひっそりと痛める。

 王立騎士団、魔法士団の助力を得ても、娘夫婦とルカの他にも、甚大な被害が生じた。魔王軍の前には、人間の兵士の数など、端から問題ではなかったのだろう。

 斥候隊の結成など、口実に過ぎない。

 魅力的な赤い唇が、悲しい笑みをかたどる。

「またルカを失うくらいなら、相討ちになった方がマシよ」

「ダメだよ、そんなの!」

 思わず、ルカは叫んでいた。自分はどうやら、長年暮らした弟子にすら見抜けなかったベリンダの心中を、正確に理解していたようだ。しかしそれは、到底受け入れられることではない。

 ――ずっと自分のために尽くしてくれた祖母を犠牲にしてまでしがみ付く「生」に、何の意味があるというのだろう。

 ルカは毅然と言い放った。

「おばあちゃんの居ない世界で、僕が幸せになれると思う!?」

「ルカ……」

 胸を突かれた様子で、ベリンダは声を震わせた。わずかに躊躇する様子を見せた後、何かを吹っ切るように、ルカの頬に手を添える。

「――私は、あなたが傍に居てくれるだけで幸せなの」

「……」

 されるがままに頬を撫でられながら、ルカは、自分の想いが伝わっていないことに歯噛みした。もどかしさと悔しさに、視線を伏せる。

 しかし、聡明なる黄金のベリンダは、「でも」と、自嘲するように苦い笑いを漏らした。

「でも、それはあなたを縛り付けているのと同じね。これじゃ、『あちらの世界』のご家族にも、申し訳が立たないわ」

「! おばあちゃん……」

 見返したベリンダは、晴れやかな表情で、優しく微笑んでいる――ルカと、ルカの大切なものすべてに慈愛の眼差しをくれる、いつもの「おばあちゃん」の顔だった。

 泣きたくなるのを堪えるルカに、ベリンダは吹っ切れた様子で頷く。

「わかったわ――あなたを斥候隊に推薦しましょう」

「……ホント!?」

 家族への想いに潤んだ瞳を、ルカはパチリと瞬かせた。急転直下の事態に、涙も引っ込む勢いだ。

 だがしかし、ベリンダの心を動かしたのは、紛れもなくルカ自身だった。抱えた不安、自身の進歩を望む姿勢。そして何より、ベリンダに対する家族としての思い遣りが、かたくなだった大魔法使いの気持ちを解きほぐしたのである。

「やった……!」

 ずっと応援してくれていたユージーンを振り返ると、力強い笑みが返された。まるで「褒めて欲しくて母親に駆け寄る子供」のような、可愛らしい孫の様子を微笑ましく見詰めながら、ベリンダは濃紺のうこんのマニキュアを塗った人差し指を、ピンと立てる。

「――ただし、一つ条件があるの」

「!?」

 提示された内容に、ルカは大きな瞳をきょとんと瞬かせた。

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