第2話:ルカ 第3章
ルカが丘の上の一軒家に帰宅したのは、ちょうど夕食の支度が整う頃合いのことだった。
暖かな湯気の立つミートパイに食欲を刺激され、充実感と共にダイニングテーブルに着く。実作業に魔法を加えたベリンダの手料理は、手際が良いだけでなく、どれもとても美味しい。
育ち盛りの孫と弟子のために、パイを大きく切り分けながら、ベリンダがにこりと微笑んだ。
「今日はジェイクに何を教えて貰ったの?」
保護者がこんな風に、子供や孫の今日1日の動向を知りたがるのは、どこの世界も同じらしい。「随分遅くまで頑張ってたみたいだけど」という、他意の無さそうな指摘に少し動揺しながらも、ルカはあらかじめ用意していた回答を口にしようとした。
「ええと、ね……」
と、その時。
カチカチと窓ガラスを叩くような音が聞こえてきて、3人は咄嗟に顔を見合わせた。心得た様子で、ユージーンが音もなく立ち上がる。死角になる位置から壁伝いに窓辺に近寄る姿は、さながらスパイ映画の俳優のようだ。この世界では褒め言葉として通用しないことが、とてももどかしい。
庭先を覗いたユージーンが、外を向いたまま、小さく首を横に降る。彼の位置からでも、特に異変は見当たらないらしい。お伺いを立てるような視線を向けられ、ベリンダがこくりと頷いた。
ユージーンの周囲に青い光が
素早い動作で窓が開け放たれるのと、何かが屋内に飛び込んでくるのは、ほぼ同時だった。
「――わっ! えっ、お前……!」
纏わりつくようにグルグルと周囲を飛び回られ、ルカは一瞬パニックになりかけた。しかし、見覚えのある灰色の毛並みに、はたと瞳を瞬かせる。
それは、昼間手当てを施した、あの小鳥のような生き物だった。柔らかそうな羽毛には汚れ一つなく、元気にルカの周りを羽ばたいている。ネイトお手製のポーションが劇的に効いたことは明白だが、どうしてうちに?
「お前まさか、付いてきちゃったのか?」
疑問で頭をいっぱいにさせるルカの右手を、小鳥(?)が
「……くれるの? 僕に?」
お礼ということなのだろうか。思わず聞き返すと、ルカの右肩に留まった小鳥(?)は、ピイと同意するかのような声を上げる。こうしてみると、可愛く思えてくるから不思議だ。
驚いたのは、ベリンダとユージーンだった。
「ルカ、あなた……!」
ギョッと目を見開いた様子から、二人には小鳥
謎の生物とじゃれ合う孫に向かって、ベリンダが手を伸ばそうとした、次の瞬間。
「――ッ……!!」
聞くに耐えない
音による圧迫感からの解放があまりに急激だったため、ルカはしばらく床を見詰めたまま、肩で呼吸を繰り返した。恐る恐る顔を上げてみると、ユージーンがルカを庇うように立ち塞がり、前に進み出た祖母が凛とした様子で、ロッドを構えている。恐らくは家中に結界を張り巡らしたのだ。
――そして、窓の外では巨大な緑色の
「な、なんで……!?」
おとぎ話の中の存在としてしか認識してこなかった、最強クラスのモンスターの登場に、ルカは悲鳴を上げた。対する魔法使い師弟はというと、落ち着いたものではある。しかし、片時も視線を外さない点から、黄金のベリンダの実力を
「その子を追って来たんでしょう」
振り返らぬままの祖母の回答に、ルカは震え上がった。
「えぇっ、じゃあコイツ、翼竜の子供なの!?」
「話は後よ!」
言うが早いか、ベリンダは宙に浮かぶ竜達に向かって、魔法で引き寄せたロッドを振りかざした。動きを封じられたらしい巨体が、
ベリンダはそのまま、戸外へ走り出していった。
「君はここに居て」
ユージーンもまた、そう言い残して師の後を追う。
結界が張られた安全な屋内で、ルカは突き動かされるように、窓辺に走り寄った。2体の翼竜と対峙する祖母の元に、ユージーンが駆け付ける。見守ることしか出来ない自分を、これほど情けないと思ったことはない。
ベリンダの拘束を振り切った1体が暴れだした。重ねて動きを封じる間にも、もう1体が自由になる。
やはり、2匹が相手では分が悪いのだろうか。しかし、ユージーンの的確なサポートが徐々に功を奏して来ているようにも見えて、ルカは知らぬうちに、両手を強く握り締める。
何度目かの攻防で、ユージーンがついに、2体揃っての拘束を成功させた。祖母が常日頃から彼を「才能がある」「センスが良い」と称する本当の意味が、理解できた気がする。危険を伴う実戦の中で進歩していくのは、並大抵の実力ではない。
これを受けて、ベリンダが一気に攻勢に出た。ロッドの上部に、金色の光が集まっていく。
ルカの肩にとまった翼竜の
「……待って、おばあちゃん!!」
考える間もなく、ルカは叫んでいた。2体の翼竜は恐らく
ベリンダとユージーンが動きを止めた。なぜ止めるのかと
この世界で暮らすことに慣れていないルカにも、人里に降りてきた魔物は、住み分けの出来ない個体として、問答無用で狩らなければならないことはわかっている。――だが。
「あの、僕、コイツが翼竜だって知らなくて……」
窓から身を乗り出すようにしながら、ルカは必死で状況の説明を始めた。
恐らくこの翼竜の雛は、怪我の手当てに恩義を感じて、ルカを追ってきたのだろう。先程の紅い魔石は、やはりお礼と考えるのが自然な気がする。
あの時の状況を思い返してみると、親達とはぐれたタイミングで敵に襲われた翼竜の子供は、何とか撃退に成功したものの、深手を負って倒れていた、そこをルカに助けられたと考えれば説明がつく。
しかし、今ようやく雛を見付けた親達は、きっとルカこそが我が子を
「ねぇ、だから……っ」
意を決したルカは、雛を抱いて戸外へ走り出た。
「! ダメよ、ルカ!」
焦ったような祖母の制止が聞こえたが、構わず、動きの封じられたままの翼竜達に近付く。落ち着いて見れば、見上げるような巨体には、大小の対格差があるようだ。比較的大きい方が父親、小さい方が母親なのだろう。
ルカは、そっと雛を差し出した。
雛は、ルカの手の中で、おとなしくしている。
「僕は、この子を拐ったりなんかしてない」
黄色い4つの目が、ギョロリとルカを睨め付けた。遠慮のない視線は、まるで品定めされているかのようで、ひどく緊張する。
慎重に言葉を選びながら、ルカは何とか弁解を口にした。
「この子はたぶん、僕にお礼を言いに来てくれただけだから、怒らないでくれると助かるんだけど……」
ルカを補足するかのように、雛がピィと声を上げた。
構えを解かぬまま、ベリンダが厳しい視線を翼竜達に向ける。
「知能があるんだから、この子が言っていることはわかるわね?」
それは問い掛けというよりは、
――やがて父親らしき翼竜から、反応があった。
『……信じよう』
耳に聞こえる声ではない、それは思念波のようなものだったのだろう。
明確に意思の疎通が図れることに、ルカは驚いた。「知能があるんだから」というのは、そのままの意味らしい。ドラゴンという存在は、やっぱり強くて賢いということだ。
拘束魔法を解くべきかと迷うユージーンを「そのまま」と止めておいて、ベリンダはロッドを強く地面に叩き付けた。自らの優位を固持したまま、硬い表情で宣言する。
「うちの子に免じて、今後一切人里に近付かないと約束するなら、解放してあげるわ。少しでも抵抗するなら……」
ロッドの先端に、光の玉がぶわりと現れた。力の一端を見せ付けたベリンダに、翼竜の番は静かに
それから一家は、ひとしきりルカの頭上をグルグルと飛び回ってから、西の方角へ飛び去っていった。
ホッと息をつく暇もなく、ベリンダの硬い声がルカの名を呼ぶ。
「――ルカ。説明してちょうだい」
その美しくも恐ろしい形相に、ルカは初めて本気で祖母に叱られる覚悟を決めた。
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