第1話:おわりとはじまり 第3章

 それから更に2週間が経った、ある日のこと。

 燦々と降り注ぐ太陽の下、心地良い振動に誘われるように、ルカは小さくあくびを漏らした。の疲労は相変わらずだが、「夢の世界」はあくまで夢だからなのか、に居る時はすこぶる調子がいい。なのでこれはもう単純に、暖かい陽射しと、丘の上を吹き抜ける爽やかな風のせいだ。

 いつ来ても、この世界は美しく輝いている。

「――大丈夫か?」

 背後から心配そうに顔を覗き込んできたのは、2つ年上の親友であり、ルカ達の暮らす町の領主の息子でもあるフィンレーだ。銀色の髪がさらりと揺れ、紫色の瞳は気遣わしげに曇っている。

 ルカは慌てて、「大丈夫だよ」と両手を振った。

「あんまり気持ちいいからさ……乗せて貰ってるのにごめんな」

 決してつまらない訳でも調子が悪い訳でもないという、ルカの謝罪を素直に受け取ってくれたらしいフィンレーは、「気にするな」と小さく笑った。そのまま手綱を右に引くと、二人の乗った白馬は応えるように、丘の小道をゆっくりと右手方向へ昇り始める。

 愛馬との信頼関係らしきものを垣間見たような気がして、ルカは羨望の眼差しを親友に向けた。同時に、彼の前というか、膝の間に座っているだけの自分の姿に、改めて疑問を感じる。

 ――こんなはずでは。

 今日のルカは、祖母ベリンダの定期連絡のお供で、州都の外れにある領主館りょうしゅやかたへ出向いている。各地で得た種々の情報を提供するという名目で、定期的に招聘しょうへいされるものだが、ベリンダはこれに、積極的にルカを同行させた。社会勉強と言いつつも、常に一緒に暮らせる訳ではない孫を片時も離したくないというのが一番の理由であったのは言うまでもない。ちなみに、ルカ達の住む町から州都までは、本来なら馬車で6時間の距離だが、祖母の転移魔法を使えば、それこそ瞬きの間だ。彼女にとっては造作もないことである。

 しかし、大人達の話が退屈なのは、どこの世界の子供も同じだろう。難しい会談の合間、フィンレーとルカは連れ立って屋敷を抜け出し、自然の中で遊び回った。外見だけでなく、正真正銘の貴公子であるフィンレーと、大魔法使いの孫とはいえ一介の庶民でしかないルカ。だが、歳の近い子供同士が仲良くなるのに、身分の差など問題ではなかった。「一緒に育ってきた幼馴染みのお兄さん」とは違い、今や二人は何でも話せる親友として、互いを認め合う間柄だ。

 とはいえ、今年成人を迎えたフィンレーは、父親から政務の補佐を任されていることもあって、子供の頃のようにルカを誘って抜け出すような真似はしない。

 ルカも、以前ほど近隣諸国の政治情勢や気候変動などの話を、つまらないとは思わなくなった。

 今日も、先代領主であるフィンレーの祖父公爵共々、ベリンダの報告にしっかりと耳を傾けたあと、彼女を引き留めたそうな公爵の想いを汲み取る形で、二人で遠乗りに出掛けたという訳だ。

 ――しかし。

「今日は天気がいいから、麓までよく見えるはずだ」

 木立の間から覗く家並みを眺めながら、フィンレーが笑う。そうだねと答えながらも、ルカはフィンレーに悟られぬよう、こっそり唇をムムムと引き結んだ。

 そもそも、「馬に乗ってみたい」と言い出したのはルカだ。生まれてこの方、どちらの世界でも乗馬未経験であるルカは、騎士の家系に生まれ、幼い頃から訓練されてきたフィンレーが颯爽と馬を駆る姿に、憧れにも似た気持ちを抱いてきた。「ちょっと教えてもらいたい」、という程度の気持ちだったのだが、まずは体験ということで、気が付いたら親友の前に相乗りさせられていたのである。

 ――まるで子供みたいじゃん!

 それでなくとも、手綱を取るフィンレーの手は、男らしくゴツゴツと節くれだっている。剣の稽古を欠かさないこともあって、回された両腕も、背中に感じる胸板も、細身の割にしっかりと逞しい。一緒に野山を駆け回っていたハンサムな少年は、ここ数年の間で一気に大人の青年に近付いた。

 何のことはない、ルカは、置いて行かれたような気がして悔しいのだ。

「……」

「? どうした?」

 チラリと振り返ると、フィンレーは小さく小首を傾げた。州都の女性達がこぞって「王子様みたい」と誉めそやす貴公子は、昔と変わらぬ笑顔で真っ直ぐにルカを見詰めて来る。

 ――「何でも話せる対等な親友」だからこそ、知られたくない意地もある。

「何でもない」

 誤魔化すように笑って、ルカは互いの近況報告に話題を戻した。夏休みの旅行先が決まったことと、オシャレ好きの母と姉がその為の洋服を買いあさり始め、父共々閉口していることなどを話して聞かせると、フィンレーからも、最近学び始めた古代語が意外に面白かったという話や、剣の師と出掛けた遠乗りで、危うく大怪我をするところだったエピソードなどが返される。

 フィンレーの表情に、少しだけ翳りがあることに気付いたのは、辿り着いた丘の頂上から、州都の景色を眼下に一望した時のことだ。

「……フィン?」

 訝しむルカを安心させるように微笑んでから、フィンレーは長い睫毛を伏せた。その紫色の瞳は街並みを見下ろしながらも、どこか遠くの場所を見ているかのようだ。

「――近々、魔王討伐隊が正式に結成されるらしいんだ」

「!」

 魔王、という、ゲームや漫画以外ではおおよそ聞き慣れない単語に、ルカは思わず両目を瞬かせた。

 ルカ達の住む国は、世界の中央部に位置する、広大で豊かな国だ。都心部では鉄鋼業、周辺では農業が共に盛んで、国内で粗方あらかたの生産活動を賄えるという、最大の強みを持っている。しかし、遠い昔、「北の魔境」に住み着いた魔王が度々反乱を起こし、その対策に国力を削られているというのも、また事実であるらしい。

 17年前、この魔王は人間社会へ向けて、大々的な侵攻を行った。その際、王立騎士団や、祖母を始めとする魔法使い達の活躍により深手を負ったことでこの計画は頓挫とんざし、以来人々は束の間の安息を享受している、とはルカも聞いたことがある。

 討伐隊が結成されるということは、それは王宮の決定に他ならない。

 ――では、魔王軍の侵略が再開されたということなのだろうか。

 漠然とした不安を覚えて、ルカは小さく息を吐いた。それでもどこか現実味に欠けるように感じられるのは、やはりここが「夢の世界」であるためだろう。

 ルカの不安は、自分の身の安全に関してではなく、親友のためだった。その意図を組んだように、フィンレーは眼下の家並を眺めたまま、短く呟く。

「討伐隊の隊長は、俺の父だ」

「じゃあ、やっぱりフィンレーも行っちゃうの?」

 彼の父親である現領主は、若き日に魔王軍の攻撃から王都を救ったことで、「救国の大剣士」と謳われる人物だ。貴族の地位にあっても性格は豪放磊落、ルカも小さな頃から随分可愛がって貰った。本来領主本人に行うべき祖母の定期報告の相手が、政務を退いたはずの前領主であったのは、討伐隊の組織に当たって、既に王都へ招聘されているためであったのだろう。

 元来責任感の強いフィンレーのことだ。常日頃から、父の名に恥じない実績を残したいと願っていることは、ルカもよく知っている。討伐隊への加入は、名を挙げる絶好の機会と捉えるはずだ。

 ルカの懸念をよそに、しかしフィンレーは、整った顔をわずかに自嘲の形に歪めた。「いや」と小さく首を横に振り、静かに溜め息を落とす。

「父上は、俺には『領地運営の全権を委任する』と」

「……ああ……」

 どんな顔をしてよいかわからず、ルカもまた詰めていた息を吐いた。領主の意図はわかる。自分に何かあった時のことを考えても、優秀な跡取りは領地に残しておくべきだ。親友の身を案じるルカとしても、この計らいは全面的に支持したい。

 だが、身を立てたいと願うフィンレーには、好機を失うようにしか思えなくて、欝々と思い悩んでしまうのだろう。

「それだけお父さんに信頼されてるってことじゃないかな」

 零した言葉は、自分でも恥ずかしいと思うほど、幼稚に聞こえた。

 それでも、優しいフィンレーは「ありがとな」と笑ってくれる。

 ――この世界も、暖かく幸せなだけの場所ではない。

「…………」

 フィンレーの優しさや誠実さに改めて感じ入りながらも、ルカはうっすらと背筋を凍らせた。


                  ●


 淡いベージュのカーテンを通して、強い陽射しが降り注いでくる。

 薄いブランケット1枚さえも暑苦しく感じられて、瑠佳るかは寝返りを打つと同時に、邪魔な布を引き剥がした。

 授業中の校舎は静まり返り、中でも保健室は世界から切り離されたかのような静寂に満ちている。クラスメイト達のボールを追う声も、どこか別次元の出来事のようだ。

 保健医の何事かを纏める物音を聞くともなしに聞いていると、改めて羞恥が込み上げてくる。

 四限目の体育の時間、試合形式のサッカーに興じる中、瑠佳は相手チームの生徒と接触し、派手に倒れてしまった。ふざけて調子に乗っていたとか、集中的にマークされて削られたといった話ではない。眠っても取れない、日々蓄積されていく疲労の中で、集中力を欠いていたのが原因だ。

 打ち所が悪かった訳でもないので、すぐに起き上がり、接触した生徒とも互いに謝罪し合って、その場は丸く収まるはずだったのだが、わずかな時間とはいえ意識を失ってしまったのがまずかった。

 この春大学を卒業したばかりの、今時珍しい熱血教師は、「脳震盪でも起こしたのかもしれない」と、小柄な瑠佳を背負い、保健室に直行した。お姫様抱っこでなかったことだけが救いだが、それでも十二分に目立ってしまったことは間違いない。

 おんぶで運ばれる最中、各教室の窓際からは、いくつもの好奇の視線が降り注いでいた。

「………………ッ」

 悶絶するように、狭いベッドの上をのたうち回る。

 瑠佳は華奢に見えるが、ひ弱な訳ではない。しかし、筋肉隆々の新任教師には、「か弱い教え子」としか見えていなかったのだろう――屈辱!

 幸いにも、30歳を幾つか超えた辺りだと思われる女性保健医は冷静で、瑠佳の昏倒の原因が疲労の蓄積にあることを素早く見抜き、安静にしておくための居場所を提供してくれるに留まった。とはいえ、昼休みにどんな顔をして教室に戻ればよいのか、頭の痛い話だ。

 そこへ、無遠慮な勢いでガラリと扉の開く音が聞こえてきた。同時に「失礼しまーす」と、明らかに保健室を訪ねて来るには元気過ぎる声が被さる。何事だと訝しむ前に、保健医が小さく窘めた。

「寝てる子が居るのよ、静かにして」

「あー、ごめ~ん」

 もっともな指摘を受けても、女子生徒の声には、まるで悪びれた風もない。それどころか、「もう無理だわ、寝かせて~」と情けない悲鳴を上げたかと思うと、瑠佳の右隣のベッドにドサリと倒れ込む音がした。随分気安い口調と態度だが、保健室常駐者なのだろうか。絶対に友達になりたくないタイプだ。

 瑠佳がひっそりと苛立ちを押し殺す側で、保健医も呆れたような溜め息を落とす。

「ここは体調の悪い生徒が来る所よ」

 誰が聞いても「元気な奴は帰れ」と言われているのが察せないタイプらしい女子生徒は、「いいじゃん」と明るく笑った。本来なら具合の悪い生徒が寝ているはずの場所で、聞かれてもいないのに、「昨日観たホラー映画がめっちゃ怖くて、寝不足なんだよねー」と捲し立て始める。

 ――他の教員に比べたら若い方だし、先生のこと舐めてるんだろうな。それか、元々頭のネジが飛んでるヤツだ。

 保健医も持て余しているようだし、瑠佳は、このまま女子生徒の横暴が続くようなら助け舟を出すべきだろうかと、真剣にタイミングを計り始めた。保健医が、ちょっと自分好みのキリッとした女性であることも、無関係とは言えない。

 だが、そんな下心混じりの計画は、睡魔をものともしない女子生徒の映画語りに掻き消される。

「それが、『自分の見てる夢の内容に殺される』って話でさー」

「――!!」

 ギュッと心臓を掴まれたような錯覚に陥り、瑠佳は悲鳴を飲み込んだ。背筋を嫌な汗がゆっくりと伝う。

 女子生徒が観たというのは、何度も夢の中で殺されることを繰り返す主人公が、やがて現実の生活をも脅かされていき、ついには夢と同じ方法で殺害されるという映画だったらしい。もしかしたらそれは、ホラーとしてはありきたりな内容なのかもしれない。

 でも、と瑠佳は思った。

 映画の内容は、自分の置かれている状況とはまるで違う。しかし、現に今の瑠佳は夢の中でこそ健康体であるものの、現実では疲弊ひへいしきっているではないか。だからこうやって、体育の時間に意識を失い、保健室のベッドに寝かされる羽目になっている――

 「夢が現実を侵食する」という筋書きの存在に、瑠佳は戦慄した。幼い頃から頻繁に見てきた夢の「世界」。平和で美しく、居心地の良さしか感じたことはなかったが、最近は目覚めるたびに疲労が増し、日々の生活にも支障が出始めている。

 ――あの「夢」が、現実の自分を蝕んでいるとしたら?

「……ッ……」

 祖母やユージーン、親しい仲間達の笑顔を思い出し、瑠佳は必死で、身体の奥底から湧き上がる震えを抑え込んだ。

 女子生徒の無駄口をきっぱりと諫めた保健医が、「うるさくしてごめんなさいね」と謝罪してくれたが、何と答えたのかは記憶にない。

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