第2話 (本編のネタバレを含んでいます。本編を未読の方は、その点ご了承ください。)
「あらら、大変」
孫のひなたちゃんを連れてやってきた
「笑い事じゃないです。もし、めちゃめちゃ売れたら……」
「……それは痛いけど、経営は順調でしょ?」
「はい」
「実は私も蓼科さんの作品、好き。この間初めて一冊読んで、意外と良かった。だから章君に担当してあげて欲しい」
「ああいうジャンルの本、読むんですか?」
「うん。たまに。深く考えずにストレスを発散したいときなんか、いいでしょ。でもよく読んだら、ちゃんと人間の本質的な部分が書いてあった」
「どの作品ですか?」
「デビュー作。読み終わった直後に、読書メーターに感想書き込んじゃった」
「え……それ、やばくないですか?」
「何で?」
「広川蒼汰のアカウント、菅沼さんと繋がってますよね?」
「あ」
「あ、じゃないですよー。もし、見られたら」
「……見るかしら」
広川は執念深い。
同じコンテストで受賞した蓼科萌が華々しくデビューしたのと対照的に、広川はデビューに失敗している。それ以来、真逆の作風の蓼科萌をライバル視――というよりは、敵視――していて、自作のエゴサはもちろん、蓼科萌の作品についての感想まで、暇な時にチェックしているらしいのだ。
ふと、思い当たった。
菅沼さんの感想を読んでいたからこそ、昨日、あそこまで怒ったのではないか。
ミュゲ書房のメンバー全員が、自分の敵になったような気がして。
「感想は、後で消しておく。ところで、相葉さんってどんな人なの? 章君のために書いた原稿をあっさりあげちゃうなんて、すごく気になる」
「……ここだけの話にしてくださいよ……」
客のいない店内。
俺は塔の部屋――絵本と児童書の並ぶ棚にぐるりと囲まれた吹き抜けだ――の出窓にひなたちゃんを抱っこして腰掛けていた菅沼さんの隣に座り、広川と相葉の関係を説明した。
広川蒼汰のデビュー作『リベンジ』に感銘を受けた彼は、ミュゲ書房宛に丁寧な感想と、広川の連絡先を問い合わせるメールを送ってきた。
七月のことだったから、相葉が入社してわずか三ヵ月後で、「すごいOJTぶりだな」と章さんは笑った。章さんがいた丸山出版の編集部では、編集者に単独で作家にコンタクトを取らせるのは、少なくとも入社半年は経ってからだったそうだ。
広川の連絡先の問い合わせはよくあり、章さんはそれまでと同じように広川にメールを転送し、連絡先を伝えてよいか聞き(もちろんOKだった)、相葉に返信した。
その後相葉は、改めて広川宛に『リベンジ』の感想をメールし、壱星社から仕事を頼めないかと打診した。
それまでと違ったのは、ここからだ。
広川に連絡を取ったどの編集者も、結局は執筆依頼を断られたのに、相葉は成功したのだ。
「だって、ほやほやの新入社員ですよ。断ったらかわいそうじゃないですか。しかもあまりなさそうな名前だから検索してみたら、K大でラグビー部の主将だったって。企画が進むかどうかはまた別の話ですけど、しばらくやり取りしてみます」
上から目線に笑ってしまったが、要するに、気に入ったということなのだろう。
たしかに相葉は、メールの内容からして、真っすぐで謙虚な人柄がうかがえて好感度が高かった。なのに、いきなりベストセラー作家の広川にコンタクトを取るという大胆さがある。しかもラグビー。おそらく広川が興味を持ったのは、その多面性だ。
「章君、強力すぎるライバル出現……」
菅沼さんが、ひなたちゃんをあやしながら呟いた。
「はい。しかも今回、広川さんを怒らせたので」
「原稿、どうするの?」
「どうするって……諦めるしかないですよ」
「やだ、そんな弱気?」
「――実は、章さんに提案したんです。相葉さんに連絡して、事情を話して返してもらってはどうか、と。そうしたら、叱られました」
「どうして?」
「広川さんの意思を尊重すべきだ、と。『今回、うちでは企画すら立てていなかった。だからもちろん原稿は出版社、編集者、いずれのものでもない。作家のものだ。作家である広川蒼汰の意思を尊重するしかない』と」
「……そう……それなら残念だけど、諦めるしかないか」
「はい」
いったい、いくら損をすることになったのだろうか。考えると、そら恐ろしい。
俺は、ミュゲ書房に原稿を送ってきた蓼科萌のことを、ちょっとだけ恨みがましく思ってしまった。
蓼科萌は、丸山出版時代に章さんが担当したデビュー作の『非常階段で、君と』こそ売れたものの、二作目は不発だった。新しい担当と合わなかったことも原因の一つらしい。
その結果、三作目をごく小さな版元から出すことになったが(丸山出版はシビアで、売り上げの出せなかった作家はどんどん切る)これもぱっとせず、一人でこつこつ書いて完成させた原稿を章さん宛に送ってきた。
その厚い封筒を受け取った時の章さんは、嬉しそうな、覚悟を決めたような、語彙力のない俺には表現できない表情をした。そこには、懐かしさもあったのかもしれない。
『余命二週間の君と、星降るカフェで三つの願いを(仮)』と題されたその原稿は、蓼科萌の特徴である「癒し」と「青春」に加え、「余命」「カフェ」「願い」という、最近の売れ筋キーワードがこれでもかと散りばめてあり、内容次第では売れる可能性があるのではと思われた。
一晩かけて原稿を読んだ翌朝。
「どう、池田君。この原稿、いけると思う?」
「はい!」
「俺もそう思う。うちから出そう。担当には俺が付くけど、印刷会社とのスケジュール調整とか、事務的な部分は池田君に任せていいかな。そろそろ慣れただろう?」
「はい、頑張ります。何かあったら相談させてください。よろしくお願いします」
こうして、蓼科萌の企画は始まった。
章さんの仕事ぶりはいつにも増して献身的で、それはきっと、蓼科萌をデビューさせておきながら、自らの退社によって、その後の面倒をみられなかったことを気にしていたからだろう。
この仕事で蓼科萌を復活させたい、彼女の執筆活動を軌道に乗せたい――その強い気持ちが伝わってきた。
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