鮎沢マリカは都合が好い!

 鮎沢あゆさわマリカはイギリス人の祖父を持つ所謂いわゆるクォーターだ。

 12と10違う二人の兄と違って、あまり祖父の血筋を濃く継がなかったのか、純粋な日本人と見た目の違いはない。

 女性にしては背が高い方ではあるが、祖父の血筋というよりはここ近年、背の高い日本人は男女問わず普通にいるので、遺伝はあまり関係ないかもしれない。


 今では二人の兄とそう頻繁に会うこともなくなったが、マリカが実家にいた高校生くらいまでは、下の兄はまだ実家にいたし、上の兄もちょくちょく帰省はしていた。

 歳の離れた兄たちと暮らしてきたせいか、どうも年上に無条件に信頼と頼りがいを感じてしまうのか、今まで付き合ってきた男も年上ばかりだったりする。

 ただまぁ、何というか男運はあまりいい方ではないと自他共に認める節がある。


 高校二年の時は一個上の先輩と付き合っていたが二股をかけられ終了。

 大学一年の時は三つ上の先輩と付き合っていたが、変な宗教にかぶれてしまって、あまつさえやたらと勧誘してくるようになったので終了。

 新社会人になった時はミュージシャン希望の男と付き合っていたが、ある日マリカの前からいなくなり消息を絶った。6万円ほど貸していたのに。

 で、一番新しい彼氏おとこと別れたのが一昨年。今までの中で一番長く、本気で付き合っていたと思う。結婚という文字も頭の片隅にじわじわと浮き出ていた矢先だった。


 知らなかった――妻子がいるなんて。


 その日は朝から雨の降る一日。


 営業部の頑張りで新規の契約を取ってきた取引先へ打ち合わせを兼ねた初めての訪問の帰り。

 社用車の助手席から何とはなしに外を眺めていた時、駅前に彼氏を見つけた。手を繋いだ小さな女の子と一緒に。


「えッ!?」


 声が漏れる。

 加来読かくよむ町はマリカにとっても彼氏にとっても縁のない場所のはず。

 電車や車で通り過ぎることはあってもこの町に来ることはほとんどない。いつ何しに来たか記憶にないほどだ。

 彼氏も仕事場も住んでるマンションもこの町ではない。職場はともかくマンションには何度も行っているのだから。


「止めてッ! 車を止めて、都合とごうッ!!」


 同じ会社で関連部署に配属されている後輩の都合与志とごうよしにそう叫ぶと、車が止まるか止まらないかの内にドアを開けて降りしきる雨の中、飛び出していくマリカ。


「ちょッ!? 鮎沢先輩ッ!!」


 後輩が叫ぶ声も耳に届かない。

 駅前のロータリーに行こうとするタクシーにクラクションを鳴らされながらも駅へと走る。あまりの焦りにパンプスを脱いでしまいたい衝動に駆られてしまう。


(何で? 何で? 何やってんのよ! その女の子は何なのよッ!)


 可能性として、自分と同じように仕事関係でこの町に来ているというのは十分に考えられる。

 女の子にしても迷子の子供を駅員か交番に届ける途中かもしれない。

 だけど。


! !!)


 思う可能性を否定する女の子の親愛に満ちた笑顔。それと同質の笑顔を見せる彼氏。

 

 見た瞬間、直感で分かった。親子なのだと。娘なのだと。


 ロータリーを横切って駅に辿り着いたマリカは唇を噛む。

 片手に小さな傘を持ちながら反対の手で彼氏を引っ張っていく少女の先に――女性が一人。

 それは。

 少女の母。

 彼氏の妻。

 怒りで顔がカッと熱を持つ。

 親子三人ともマリカの存在に気付いていない。


 自分のことを気づかせてやればどうなるだろう。

 『こんばんは』と声をかけて『あれ? お知り合い?』と尋ねてやったらどうなるだろう。

 しばらくすると三つの傘が並びマリカがいる場所から反対側へと遠ざかっていく。


 ギリッと耳奥で噛みしめる音が聞こえる。


(泣くもんか……泣くもんか……泣くもんか、泣くもんか、泣くもんか、泣くもんか、泣くもんか……誰がこんなことで泣くかッ!!)


 心の中で叫ぶも俯いた顔を上げることが出来ない。

 駅の利用客が訝し気に視線を向けてくるが、知ったことか。

 どれくらいそうしていただろう。

 何かを急かすようにポツポツとマリカを叩く雨粒がフッと止んだ。

 ようやくと顔を上げると、視線の先に映るのは黒い傘。


「――先輩。車、まわしてきました」


 ぶっきらぼうな後輩の声。

 気遣いも、いたわりも、優しさも感じられないその声に、なぜだかマリカはほんの少し救われた気がした。

 無言のまま社用車の助手席ではなく後部座席へと身を滑り込ませる。

 都合は何も言わず運転席へ乗り込むと車を出した。


 タイヤが路面の水を切る音と、ワイパーのゴムが擦れる音がするだけで車内には静寂が漂っていたが。


「――ちょっとだけ……ちょっとだけ海に」


 微かな声は対向車がすれ違う音にかき消され。

 しかし、運転席の方からウィンカーのカチカチとした音が鳴る。

 10分ほど南に走れば湾岸線に出る。

 二人を乗せた車は走っていた国道を右折して南へ。

 

 夜の波止場。

 点々と街灯はあるが照らす範囲はそれほど広くなく、空と海との境は真っ暗で判別できない。ただ本当に海が見たくてここに来たわけではないので、マリカも都合も気にしなかった。


「――あたしってさ」


 真っ暗な海に向かってぽつりと呟くマリカ。

 傘に隠れてその表情はわからない。

 

「友達によく『マリカって男運が無いよね』って言われるんだ。自分でもそうなのかなぁって思うんだけど……さ」

「……」


 都合は無言で返事をする。

 ただ聞いているだけでいいと。今は。


「悔しいな。悔しい……」


(あれ? あたし悔しいの? 悲しいとか寂しいじゃなくて?)


 自分の彼氏が――好きになった男に妻も子供もいた。知らずにいたならショックを受けない女などいない。怒りに身を震わさない女はいない。

 駅で女の子の――三人の姿を見た時は確かに怒りにカッとしたけれど。今は。

 悔しさ。それはともすれば終わりを受け入れているともとれる。この現状に、あの男の裏切りに抗うこともなく。


(そっか。あたし受け入れたんだ。終わることを)


 もちろん、このまま何事もなく終わりを迎えることはない。一度会ってきっちりと決着はつける。でなければ次に進めない。でも今だけはやっぱり。

 雨音しか聞こえない静けさに、ふと我に返る。

 傘を後ろに傾けて自分より背が高い年下の後輩をチラリと見やる。

 何も言わない。

 何も言ってくれない。

 何も言わないでくれる。


「――都合」

「はい」


 なのに問いかけには即座に応えてくれて。

 きっと待っていてくれたのだろう。


「先輩命令。後ろを向いてあたしがアンタの背中を叩いたら思いっきり大声で叫べ」


 意味のわからない理不尽な命令。どうしてとか、嫌ですとか疑問も否定も口にせず。ただ簡潔に一言。


「はい」


 その返事にマリカは傘を放り出して、都合の広い大きな背にコツンと額をつけると。

 ポン、と一つ。背中を叩く。


「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 闇夜を切り裂くような雄叫びと、誰にも聞こえることのない慟哭が夜の波止場に響いていた。

 雨粒とはあきらかに違う、流れ落ちる雫の煌めきと共に。



※  ※  ※  ※  ※

 


 二人きりになってどれくらいたっただろうか。三分? 五分?

 お見合いの流れで定番の『あとは若い二人で』状態になってから都合与志とごうよしは一言もしゃべっていない。

 お見合い相手の女性、鮎沢あゆさわマリカはにこにこと楽しそうな笑顔ひょうじょう

 都合は仕事着のスーツとさほど変わり映えがしない恰好だった。

 方やマリカといえばバッチリ着物を着付けて来ていた。


(ちゃんと着付けたのって成人式以来かしら?)


 視線の先、あたふたと焦った感じで下を向く後輩を見つめながらそんなことを思うマリカではあったが、いつまでもこのままではいられない。


「こら、都合。いつまでも下向いてないでシャンとしなさい。だいたい失礼でしょうが。お見合い相手を前にずっとダンマリなんて」

「いや、だって。僕知らなくて。父や母は何も。工藤さんは火打ち石でがんばってで、ポーロにエサはキャットフードで……」


 いいわけをブツブツと言い出す都合。内容は支離滅裂だったが。


(ダメだこれ。そもそもってどういうことなのよ、まったく)


 顔合わせの瞬間、都合はあまりの驚きに雄叫びを上げたのだ。見合いの相手を知らず、加えて相手がマリカとは1ミリも想像していなかったのだろう。

 しばらくあちら側でいろいろ協議の結果、なんやかんやで今の状態になっていた。

 マリカとしては都合がどういう経緯でこの場にいるのかいろいろ興味が尽きないのではあるが。

 とりあえず言っておくことがある。


「都合。一応、これだけは最初に言っておくけど、あたしはアンタと結婚する気はないわよ?」

「もももも、もちろんですッ! 僕なんかが鮎沢先輩に釣り合うはずがありませんし!」

「あ、誤解しないで欲しいんだけど、アンタのことがどうこうって訳じゃないからね? あたしがまだ結婚なんて考えられないってだけで」

「もももも、もちろんですッ! 僕なんかが鮎沢先輩に釣り合うはずがありませんし!」

「――さっき言ったわよ? そのセリフ」

「もももも……」

「こらッ!!」


 壊れたAIロボットみたいになりつつある都合の頭を軽くコツンとする。


「シャンとしなさいッ! ――まったく。あの時はちょっと格好良かったのに」 


 顔見せ時の雄叫びを聞いてふと思い出した。

 夜の波止場で。

 広く大きな背中。


「――あの時?」


 拳の一発が効いたのか正気を取り戻した都合が尋ねる。


「去年――さ。新しく取引先になった川角書店からの帰り……よ」

「……あ!」


 どうやら思い出したらしい。


「――あの時の先輩、ずっと泣いてたから」

「ちょっと。あたし泣いてなんかないわよ」


(――背中を借りたときは、その。ちょっとは泣いた……かもしれないけどさ)


「す、すいません。あの時はそう感じたって話なんです」

「ふーん」


 あの後、元カレときっちりと決着ケリをつけることが出来てこうしていられるのは、都合のおかげだと素直に思う。


「鮎沢先輩?」

「あ、ううん。何でもないわ。それより大事なことだから二回言っとくわよ。あたしは結婚するつもりがないからこのお見合いは不成立だからね。ちなみにあたしの方から断りを入れるから。男から断られたってなったら恰好がつかないし」

「――はい」


 なぜだかシュンとなってしまった都合を見て可笑しくなる。


「こーら。また下向いて黙る」

「あ痛ッ」


(まぁ、でも。結婚云々はともかくとして、年下の男ってのも悪くないかも――ね)


 軽くデコピンでお仕置きしながらそんな風に思うマリカだった。




――了――




















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彼女たちは都合が好い! 維 黎 @yuirei

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