第3話 庶民の味方・和食堂車!

「そや。あの「富士」の食堂車の2か月くらい後やったかな」

「それ、私の兄が一枚絡んでいますよね」

「堀田君のお兄さんとは、あの新聞記者あがりの堀田英太郎さんですか?」

 山藤氏は、堀田氏の兄と岡原氏が旧知の関係であることは知らなかった模様。

「そうです。なぜか岡原大先生と知合いでしてね」


「彼のお兄さんの英太郎君は、三高からの同級生でしてね、彼は文科で私は理科で、本来接点なんかないはずやけど、ひょんなことで、知合いになったのね」

「そりゃあまた奇遇ですな」

「山藤さんも御存じのようですな、英太郎君のほうも」

「ええまあ、弟の堀田君の御紹介ですけどね」

「あのアンチャンもしかし、ずいぶんな変わり者でいらしてなぁ。その弟さんにしては、堀田繁太郎君はまともですわ」

「いやいや岡原さん、御存知でしょうけど、彼が院生の頃、思うところ思い詰めて陸軍に志願して追い返されておりますが、一歩間違うと熱狂のスイッチが入りかねん要素をお持ちですからね。その時陸軍側でかの学徒兵候補君に応対した担当が、ズバリ、私ですから。あのお兄さんとよく似たところ、ありましたね」

「それもはや、私の黒歴史どころか笑い話ですけど、人のことは言わんときます。一応、兄弟ですねん(苦笑)。ほな、大先生、うちの兄がらみの話、よろしくお願いします」


 かくして、昭和戦前期の伊勢参りの快速列車の話が始まった。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 あれは、あの富士号の話の2か月ほど後やった。

 さすがにいつも、急行や特急の食堂車、まして洋食なんてわけにもいかんけど、当時はなんと申しても、庶民の味方・和食堂車が結構ありましてな。まあ、どのレベルをもって庶民かそうでないかと議論されてはキリがないでしょう。

 そこはつつかんといてくださいな。

 ともあれなぜか、快速や普通列車にも、当時は、ある列車には和食堂ならあったのね。結構重宝したのよ。この伊勢参拝列車以外にも、長距離の普通列車に食堂車が付けられていたのも、何本かあったのよ。エエ時代やったな。

 あれは確か、土日で神戸に戻っておって、月曜朝に京都に戻るときやった。

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