小さなプライド

桑鶴七緒

小さなプライド

もうこんな事に付き合わせるのも今日で最後にしたいと常日頃考える。どこから話せばいいのか悩ましく思えるがこの小さな反抗は彼そのものなのである。


私の息子は好奇心旺盛さが真っ盛りの8歳。勉強もそこそこ好点は取るし、友達とも人並みに上手く付き合って遊びに出かける事もしばしば。

しかし、なぜか母親である私に対してはある物への執着があり、些細なことひとつ発生すると言い訳を始めたがる。


息子はピアノを習っていて週1回は自宅近くの音楽教室に通う。ルーティンとして弾きはじめは現在練習中のハノンの練習曲から入り続けて、課題曲のマイカパルのピアノ小品集の「春」と「伝説」。彼はハノンなどの指練習は好んで1時間以上は弾き続けるのだが、課題曲になると、必ずと言っていいほどサボりたがる癖を醸し出す。

手が小さいところもあるので、指変えや音域が飛ぶところは特に苦戦してコード進行通りに進んでいかないとゴネてアップライトピアノの下の板を蹴る時があるので、止めるように注意を促すのだ。


私も隣の部屋で聴いているうちに、彼が同じところでつまづいて音が止まるのを察すると始まったなと心の中で呟く。

しばらく静まり返っているので、様子を見にピアノ部屋に行きドアを開けると、椅子に寝っ転がり身体を海老反りにして間抜けな顔をして私を見る。


「今日はどうしたのさ?」

「あのね、譜面の音符が言うことを聞いてくれない」

「楽譜通りに弾いているんでしょ?何の音が引っかかる?」


一緒に譜面を見ながら彼が弾くのを聞いていると、確かにどこかの小節の音が抜けて飛ぶようだ。私も幼少期にピアノを習っていた経験があるので、記憶がある限りは譜面を読む事ができる。


「もう一度弾いてみたら?」

「何度やっても同じだよ。この楽譜が僕の言うこと聞いてくれない」


……いやあのね、それはあなたがよーく音符をひとつひとつ確認して見ていないから、そういう現象が起きているんだよ。


試しにCDでこの曲の演奏を楽譜を見ながら聴いて確認することにした。やっぱり飛んでる。何度か繰り返し聴いていくと、ある小節の音符を間違えて弾いている事に気づいた。


「あなたがここの音を半音で押しているからだよ。」

「違うよ、この音は全音。お母さん楽譜読めてるの?」

「いやいや。だってこう弾くんだよね……ほら、楽譜は今の音符で間違いないじゃん」

「この音符を書いた人が間違えているんだよ。僕は正しく弾いているし」


これが30分間に渡り同じ箇所の小節の音符でああだこうだと、両者どちらも譲らない。

また翌日になり同じ箇所でつまずいては言い訳をする彼。仕方がないので次のレッスンの時に先生と確認するように告げ、通所当日の日に彼はひと通り弾いては先生から指摘を受けて直すように促されたらしい。


自宅に帰ってくると、真っ先にピアノに向かい、間違えた箇所の部分を聞いていくと、きちんと直っていた。私がやはり正しかったと言うと、彼はこう答えた。


「僕ははじめからそう弾いたよ。お母さんの耳が変だったのかな……」


まあ、とにかくまだこの歳だ。子どもは子どもだし、大目に見てあげるとするか。いずれか成長すれば今よりかは上達してくれるだろう。

そして、また新しい課題曲が先生から与えられると、やはり彼は自分の間違いに堂々と胸を張って言い訳をして私に対抗してくるのであった。

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小さなプライド 桑鶴七緒 @hyesu

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