第15話 養護施設という場所の閉鎖性について 2

「サティアン、なぁ・・・。それ、実は、私は諸君の間で話されているところを、こちらの世から見ておった。山崎良三君がよつ葉園を退職されて、それで、かれこれと次の準備をされておる頃。なぜか、あんたと再会されたらしいと知って、様子をうかがいに参っておったら、いきなりステーキ、じゃないわ、いきなりサティアンでは、のう(苦笑)。さすればわしは、新興宗教の創始者かな?」


 森川氏、呆れながらその光景を振り返る。


「その調子でしたら、よほど、私と山崎さんの前に出てきて、一言文句でもお述べになりたかったように思われるのは、気のせいでしょうか?」

「気のせいどころか、それ以外の何でもないわ!(苦笑)」


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 森川氏は、少し間をおいて、現世のことを振り返った。


 児童指導員を長年された山崎君がそこまで言っておるのを聞いて、わしがやって来たことに果たしてどんな意味があったのか、あれから、ずいぶんこちらの世で考えさせられたわい。

 それから間もない頃、あの大槻君が奥さんと離婚された。息子さんがお二人、すでに成人されとって、そのうち上の子はあんたより1歳下であったな。まあ、息子さんらも、両親のことはもはやいちいち言える状況でもなかったようじゃ。

 それはそうよ。実はな、あんたからすれば大先輩の大宮哲郎さんのもとに出向いて、ありゃあ何だと尋ねたぞ。彼が墓参りに来てくれて、よしてくれてもええものを、わざわざ、そのことを御丁寧にご報告しでかして下さったからな、かくなる上は夢でもよいから尋ねに出向かねばと思って、哲郎君のもとに出向いた。


 大槻はそこまで知恵というか頭が回らんだろうところまで、哲郎君は、きちんと分析して、私に述べてくれたよ。

「それは、大槻家の「発展的解消」ではないか」

 老いては夫婦相睦まじくなどといった家庭論は、あの御夫妻には通用せなんだようじゃな。奥さんは当時県議会議員になられておったし、大槻君は福祉人としてきちんと名を成しておったし、そんなもん、無理して「家庭」なんぞ営む必要も、本来ない者同士であったということが、良くも悪くも立証されたように思えてならなんだわな。それは、大宮さんがご指摘じゃったけど、わしも、言われてみれば全く同感としか、もはや言いようのないものでしたな。


 ふと思ったのじゃが、米河さん、あなたもそうじゃが、養護施設という場所で育つことを余儀なくされた子らぁにとって、そこで展開した人間関係というか、人とのつながり、な、それは、いやでも「発展的解消」するものというよりむしろ、そうせざるを得ない宿命を負わされているのではないかと、な。


 それは、あの手の場所が、あまりに閉鎖的ゆえの反動からくるものではなかろうかと、わしはあるとき、思うに至ったのじゃ。

 もちろん、大槻家というのは、養護施設という枠組内のものではない。

 しかしながら、大槻君は自らの勤務先である養護施設の敷地内の職員住宅で、御自身の家庭を営み続けた。

 そのことが、良くも悪くも、彼の息子さんらの成人後に作用したのではないか。


 少し争点整理から外れた話になったが、ここは是非、あんたの感想を聞きたい。

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