第13話 否応なき対立軸
「おっしゃる通りとしか、言いようがないところですね」
米河氏の回答は、あっさりとしたものである。
「それはどういうことか?」
森川氏の問いに、米河氏はさらなる回答を重ねていく。
・・・ ・・・ ・・・・・・・
どうしても、この世界ではそういう対立軸が発生します。
その主たる軸は、職員側か、さもなくば、児童側か。
第三の軸というのはありうるかといえば、あるかもしれない。
ですが、職員側に立つか、児童側に立つかの二択が、すべてです。
この問題の、すべてをなすと言ってもよろしかろう。
そこに鑑み、森川さんはよつ葉園創立時の主要人物のおひとりでもあり、古京友三郎初代園長をついで、戦後晴れて園長に就任された。確かに年齢的には現在の基準で見ても「定年退職後」の「再就職」に相当するような時期に就任され、それから20年にわたり園長職、最後は理事長職も務められた。
個々の児童の担当をする一職員程度の問題ではなく、いかにも、養護施設よつ葉園という「枠組」を作る立場におられたわけです。それまでの経緯についても、森川さんが生きてこられた時代においては、それこそ夏目漱石の坊ちゃんの赤シャツ氏の弁ではないが、「社会の上層」に位置する立ち位置におられたわけですから。
そこについては、関西中学、これは旧制であり現在では高等学校に位置する学校を卒業されておられるところ、当時の進学率を鑑みれば、それでも十二分、現在の大学卒以上のレベルの「学歴」さえもお持ちである。
ところで私も、国立O大学を卒業しておりますけれど、私が在籍した当時の大学進学率は、ようやく3割を上回っていた頃でして、まだ、旧来の大学のイメージが残っていた時期ではありました。
表面的な学歴では私のほうが上下で言えば上となりそうでしょうが、時代等の要素を加味すれば、私以上の「エリート」であることは間違いない。
そのような人物が、養護施設設立者にして職員の元締めたる園長も務められたわけですからね。
これに対して、私は確かに、最終的には国立大学に現役で進んで卒業しました。
そこだけ取れば、過分にも「エリート」と称される要素はあるでしょう。自分がエリートだの、ましてやどこかの御仁のように「グローバル人材」だなどと述べるつもりは毛頭ありませんが、時代の要素を加味すれば、さほどのエリートと言えるほどのものでもなかろうと思っております。
しかしながら、それはあくまでも私個人の価値判断にすぎません。
そして何より、私自身は6歳から12歳までの間、貴殿の設立された養護施設の「児童」としての生活を余儀なくされた。
当時の職員各位の私への個々の対応について今論じても仕方ありませんが、その立ち位置から来れば、いずれ、貴殿との対立の対手となることは、この世とかあの世とかの問題ではなく、必然であったと言えましょう。
よって、その論点は論ずることべからざるものと言えましょう。
当然かどうかなど今さら申すまでもないが、私は、児童側の対立軸から物を言わざるを得ない。その立ち位置から職員側の総元締の軸におられる森川さんと向き合わねばならないことは、自明の理であります。
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