最終戦争向けアグリーメント形成へ

第10話 争点整理以前の問題


いつの世も暑さも寒さも彼岸まで寒さのきりの付け日の前日


 昨日、彼は自身の運営するブログに、このような歌を記している。


 さて、寒さのキリは彼岸でつけるにしても、彼の人生を不必要に彩ったあの黒歴史にキリをつけるには、この「最終戦争」を戦わねばならない。

 かの作家は、そんなことを思いつつ、昨晩は酒を飲み倒した。


 ときは、2023年3月21日未明。


 前日大酒を飲んで帰って来たものの、すでに酒は抜けた模様。

 起きるでもなく、寝込むでもなく、布団内で体を休めていた。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


「さて、米河さん。少し、よろしいか?」

 その声は、確かに、あの御仁であるか。

 その見立ては、当たっていた。

「そろそろ、争点を整理にかかろうではないか」

 声の主は、やはり、あの老紳士である。


「森川先生、お久しぶりです。というほどでもないか。ともあれ、争点整理に入る前に、それ以前の問題があるのではないかと、昨晩ふと思いつきました。その問題とは何ぞやと申すと、争点以前の問題として、相互にこの「戦争」におけるルール作りが必要ではないかというわけであります」


 いささかしどろもどろな感じで話す彼であるが、老紳士は、即座にその意図を読み取った。


「そうじゃな。野球でも、その場に合わせたルールが形成されて適用される場合がありましょう。それと同じじゃな」

「そのとおりです。ルール無用の悪党同士の泥試合などやっては、「最終戦争」の名も廃りましょう」

「確かに、な。それで、君はどのようなルールを作るべきか、素案を盛っておるのかね。それがあるなら、この場でご提案されたい」


 彼は、昨晩酒を飲みつつかねて考えていたことを老紳士に告げた。


 まず、この「最終戦争」と誰となく銘打たれたこの論争は、この世とあの世のはざまで行われるものであります。

 そうであるからこそ、この論争は「公開」であるべきである。

 森川先生におかれてはそちらの世の、ワタクシはこの世の、それぞれ対象となる方に対して、この論争を「公開」することを提案申上げる。

 その手段については、その場に応じた手法を採ればよい。


 次に、これはいささか細かい話であるが、用語の統一が望まれます。

 森川さんが園長を務められたのは1950年代、私が大学に合格したのが1988年、その間おおむね40年の期間があります。その当時使用されていた用語を原則として用いる。従って、「養護施設」や「保母」という言葉をここでは通常に用い、現在の用語である「児童養護施設」や「保育士」は、原則として用いない。


 その次に、これはいささか紳士協定的な話になるが、相手及び関係者の人生には最大限の敬意を払って論争すること。

 大体ねぇ、これができん馬鹿が多すぎるのである。

 私は以前、そういう発言を見境なくしてきたちんけな妻子持ちの大馬鹿者を裁判に訴えて、そいつについた弁護士も訴えて黙らせたことがありますが、そのような無能と同列な言動は、現に慎まねばならん。


 ざっと、こんなところであります。

 森川一郎先生の御見解を、御尋ね申上げます。

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