第3話 開戦猶予

 開戦猶予、ですね。承知いたしました。私からも、猶予を願い出たく存じます。

 実はこのところ、東先生や山上さんに、夢でではありますが再会いたしました。

 子どもの頃にはお話しできなかったことを話せましたし、私も、いろいろ伺いました。何と申しましても、山上さんの幼少期、満州国におられた頃の「あじあ」号のお話は、興味深くお聞きしました。


 おそらくは大宮さんあたりにはお話されていたとは思いますけど、私自身が、よつ葉園時代のことをあまり話してもおりませんでしたし、正直思い出したくもないことの代名詞みたいな感じで扱っておりましたから、まあ、黒歴史というのも生ぬるいくらいの位置づけでしたからねぇ。そんなときに話をされましても、だから何だ、ぜいたくな幼少期を送っておいて、そりゃあ、子どもの頃は楽しかったでしょうよと、毒づくのがオチだったところでしょう。

 しかしまあ、私も、自分が高校生の頃の山上さんの年齢になって参りました。

 半世紀も人間様家業やってきましたら、そりゃあ、少しは丸くもなりました。

 もう30年若かったら、あの方のそういう御話をお聞きしても、反発しかなかったでしょう。

 今ですよ、今、今だからこそ、そのエピソードが私にとって生きてきたのは。


 森川先生は御存じないかもしれませんが、このところ有名な予備校講師で現代文を担当されている有名な先生がおられまして、その方のフレーズが、これですよ。


いつやるの、今でしょう、今!


 まさに、山上さんと向き合ってお話して、それを糧にできるのは、私にとって、まさに今だってことです。

 そうそう、精神科医で受験技術評論家として何冊も本を出されている東大医学部出身の方は、東大を受験に東京に出られた時、当時のラジカセで、甲斐バンドというグループが歌っていた「ヒーロー」って歌をくりかえしききながら、受験に向かわれたと著書で述べられていました。


ヒーローになるとき、それは、今。


 まあ、そういう趣旨の歌なのですが、本当に、そういうときが来たと、私は思っております。他にも、セーラームーンのミュージカルの歌とか、いろいろ例を挙げればいくらでも挙げられましょうが、キリもないですから、このあたりにしておきますけれど。


・・・ ・・・ ・・・・・・


 対手の若者、とは言っても50歳を超えたかつての少年は、思うところをかつていた養護施設の実質的創業者相手に、忌憚なく、述べている。

「そうかな。あんたもやるな。東さん(よつ葉園3代目園長)は、あんたの前で、しきりに、自分は情弱老人ではないとか何とか、しつこいくらい言っておられたようじゃが、実はわしもな、あの方と同じく、情弱老人ではないぞ。こちらの世界でも、わしは先駆的に物事に取り組んでおるのでな、インターネットやスマホなど、御手のものじゃ」

 若い方の男性が、明治生まれの老人の弁に答える。


「そうですか・・・。老いてますますどころか、死してなお益々お元気でされているのは、何よりであります」

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