夢想
谷本夕陽
第1話
「ねぇ、あなたは誰を見ているの?」
あなたは、いつも私を通して誰かを見ている。私を見て欲しい。その言葉はグッと飲み込んだ。呑み込んで生きてきたのに、隠してやってきたのに、ついに溢れてしまった。
ポケットに捩じ込んで、胸元に隠して、帽子の中に隠して──上手くやってきたはずだったのに。
「私は……、私はここにいるよ? 私を見て、貴方の前にいるのは私なのよ?」
何かが頰を伝っていた。視界が歪む。貴方の顔がよく見えない。
「……でも、知っているわ。貴方は私を絶対に見てくれないって。理解しているのよ。なのに縋っちゃう、愛してしまう──愚かな私は私を見て欲しいって願ってしまった」
なんでそんな苦しそうな顔を貴方がしているの──!
気を抜いたら叫んでしまいそうで、胸が酷く痛んだ。
「大丈夫。貴方が、貴方の好きな人と結ばれるように協力するから。……でも、忘れないでそれでも貴方を愛しているのは、愛すのは私なんだから」
きっと上手く笑えただろう。貴方が褒めてくれた私の笑顔。
きっと上手く誤魔化せただろう。私のドロドロとした内側は。
大丈夫、大丈夫。貴方の幸せのためなら、私は私を殺してみせるわ。これが私の愛の証明。どれだけ自分勝手と誹られても、貫き通すの。
「……ごめん、ごめん──自分勝手でごめん。こんな僕を愛してくれてありがとう。でも、僕は、君を捨ててしまう。こんなどうしようもない僕を支えて、愛してくれた君を。やっぱり、僕はあの娘のことが忘れられない」
そんな顔しないで。私より傷ついているような顔をしないで。泣かないで。涙を溢さないで。
そんな顔されたら、私、貴方のことを恨んでしまいそう。
貴方への愛が全部反転してしまうわ。
ぐるぐると愛と憎悪が胸の内で渦を巻いて、矛盾が至る所に生じて、狂ってしまいそう。
──ああ、吐き出してしまいたい。目の前で情けない顔をしている貴方に、お前に、ぶちまけてやりたい。この胸の内側を。私はこんなに傷ついているんだぞと、お前のせいだと全部擦りつけてしまいたい。
ぐっと衝動を抑え込み、笑いかける。
さあ、綺麗さっぱり私のことを捨ててくれ。私に下手に未練を残さないでくれ。そう願いながら、貴方に言葉を紡ぐ。
「ちゃんと、言葉にしないと伝わらないわ。──私は、貴方に惚れて、押して押してやっと付き合って……、だから付き合ってすぐ気づいたの。貴方は私を見ていないって。苦しかったけど、貴方を好きだったから、愛していたから、簡単には手放せなくて。この一年、ずっと苦しさを隠してきた。伝えずにいた。だって伝えたら、いなくなってしまうことが分かっていたから。でも、やっと決心がついて、言葉にしたわ」
ふっと一息おく。
貴方の顔は呆気にとられていて、笑ってしまいそうだった。
「結果はこの通りだけど、伝えたことで、後悔は晴れた。行動しないって案外辛いの。しない後悔より、する後悔。よく言ったものよね、その通りだわ。貴方は行動しないといけない。私のためにも、貴方のためにも。だから、ほら、ちゃんと言葉にして」
貴方の手で、ちゃんと終わらせて。言葉には出さなかったけど、きっと伝わったはず。
「……ぼ、くと、……」
途切れ途切れに紡がれる言葉は力がなかった。
「なあに。ちゃんと言葉にしてって言ったよね? 聞こえないわ」
乾いた音が響いた。
私は貴方の頰を引っ叩いた。
情けない。こんなことも自分の手で断ち切れないのかという思いを込めて。
「私は優しい貴方を愛してる。でもね、優しさを履き違えないで。私は一生、胸に秘め続けることもできた。だけど、それは貴方のためにはならないから、言葉にしたの。私の決意をダメにする気? ちゃんと言葉にしないのは私に対しても、あなたの想い人に対しても、不誠実だわ。逃げているのよ、貴方は。決してそれは優しさじゃない。踏み躙っているのよ。私の決意を」
彼の顔つきが少し変わった気がした。
「ぼく、と、別れてください。貴方は、強くて、優しい。僕なんかが、釣り合う相手じゃなかった。僕は、きっと貴方といた方が、幸せになれるだろう。でも、あの娘じゃないと、駄目なんだ。僕の、僕の背中を押してくれて、ありがとう。これからも、愛すと言ってくれてありがとう。……僕の恋の協力は、しなくて、大丈夫だよ。僕は、僕の足でちゃんと立ってみせるから」
ああ、やっと私を見てくれた。やっと、その目に私が映った。付き合ってからも、ずっと心はどこか遠くにあった貴方が、見てくれた。心が浮つく。別れを告げられたのに、私は嬉しかった。
やっと、私の愛が貴方に届いた気がした。
私は、どうあっても、貴方を愛している。きっと一生忘れられない。この愛は。
だから、笑顔で貴方を送り出す。新たな門出は祝わないといけないでしょう? それが、好きな、愛している人のものだったら尚更。その結果、私から離れていこうとも。
「ええ、わかったわ。別れましょう。それと、貴方がいらないと言うなら、私は貴方のあの娘への恋を手伝わないわ。──これで私たち終わりね。幸せな一年をありがとう。じゃあね」
笑顔でカフェから立ち去る。私たちが初めて出会ったカフェ。ここで始まって終わった私の恋。
私は、いい人でいられただろうか。
込み上げてくる涙を溢さないように気をつけながら、家路を辿る。
急がないと、急がないと。弱い私が出てきてしまう。
歩いていた足は早歩きになり、小走りになって、住んでいるアパートに着く頃には全速力で走っていた。
ボロいアパートの階段を駆け上がって、鍵を開けて、部屋に飛び込んだと同時に膝から崩れ落ちて、涙が次から次へと溢れ出す。
「終わっちゃったよぉ。寂しいよぉ。私、貴方が幸せになれるなら、いくらでも手放すわ。でも、やっぱり寂しいの」
誰にも届かない言葉が涙と一緒に溢れてくる。
母曰く、小さい頃から私は寂しがり屋だった。だけど人付き合いが上手くなくて、感情が薄っぺらくて、人をあまり大切にできなかった。理解できなかった。
でも、私は自分のことを寂しがり屋だと気づいていなくて、一人でも大丈夫だと思い込んでいた。
だから、友人は少なくて、その友人たちにはかなり重めの感情を抱いていて、友人が自分よりも仲の良い人を作った時は嫉妬に狂いそうだったけれど、嫌われたくなかったから、必死に押し殺して、平静を装っていた。理解している人を演じていた。
そういうこともあるよね。程々に、お互いが気持ち良い距離感でやっていこうって。
そう言い聞かせないと、私がやっていけなかった。
そんな日々の中で、貴方に会って、恋をして、恋が叶って、幸せだった。
幸せだったの。だから私に、恋を教えてくれて、幸せを運んでくれた貴方には幸せになって欲しい。
これは嘘偽りのない思い。
貴方が幸せそうに笑ってくれるだけで私は充分に満たされるから。でも、寂しいのは変わらなくて、私の胸は今にも張り裂けそうで、
「初恋はやっぱり、叶わないんだ」
聡明なんかじゃあ、恋はやっていけなかった。
ハッと目を覚ます。世界は変わらず回っていて、私の頰はなぜか濡れていた。
なんだか、甘くて、でも切なくて、胸がツキツキと痛む夢を見た気がする。
思い出さないほうがきっといいのかもしれない。
私は、今日もあの人に会いに、カフェに通う。
夢想 谷本夕陽 @Alstroemeria
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