――祓い師【伍】


 翌日――。

 少し事情があり、予定していた時間よりも二時間ほど遅れての入山となった。

 かといって誰かと約束していたわけではないので遅れようが逆に早かろうがどうでも良いのだが……。

 今日は貴人も一緒に地下へと下りていく。

 早朝から温泉に二回も入った彼女は機嫌が良さそうだ。仕事が終わったらもう一度入ってから帰るとやる気を漲らせている。

「ここ……前からこんな状態だったの?」

 今日は敵が一匹も見当たらないため騰蛇に照明としての炎を増やして貰い、浮かび上がった地下の惨状に貴人が唖然と呟く。

「ちょっと不自然な感じがするんだけど……」

「昨日もこんな感じだったと思います。それ以前は分かりませんが。不自然さは私も感じていました」

 洞窟のようなこの空間に入ったところで全ての壁が剥き出しになっている。

 昨日は暗かったため肌で感じた程度だが、いきなり土壁に変わっているのはやはり違和感しかない。

 ――何か強い衝撃によって吹き飛ばされたような……。

 晴明は不自然に崩れた壁を手でなぞる。

「恐らく、この奥に置かれていた何かが原因で地下が削られたのでしょう。であれば、あの時の地震にも説明がつきます。特にそこの邪気が酷かった……間違いないですね」

 昨日、騰蛇が見つけた何かがあった場所で晴明は立ち止まる。

 髪に隠れた左目が疼くような気がして頭を振った。

「晴明……大丈夫か?」

「ええ、問題ありません」

 庇うように左目をそっと掌で押さえる晴明を気遣うように騰蛇が身を寄せる。

 問題ないのは確かだが、何故か昨夜見た夢が脳裏を過ぎり、暫くそこから離れられずにいた。

 騰蛇が痺れを切らして足下からスルスルと這い上がって来る。

「早く仕事片付けて此処から出よう。何も無いにしてもあまり留まらない方がいい……おい、晴明? 聞いてるか?」

 自分を呼ぶ声は聞こえているが、意識は別の場所にあった。



 *****



 ――九七一年。

 東北にある活火山が噴火した。

「丁度百年振りですか。予想していたよりも邪気が多く瘴気も濃い。この京もただでは済まないでしょう……さて、どうしたものか」

 言う割に腰を上げず悠長に構えているよわい五十には到底見えない若い姿の男を十二の影が取り囲み口々に意見を述べる。

「どうするもこうするも無いだろう。事前に分かっていたことだ。既に結界も張って、迎え撃つ手筈も整ってる」

「玄武の言う通りです。我々が四方に散って京をお守りします」

「それとも、他に何か気になる事でもあるの?」

「まさかとは思うけど……アレを当てにしてはいないだろうね?」

「あんな奴の力なんて要らないわ! 度々此処へ来てはあなたを誑かして……そもそも野良妖を招き入れること自体許されないことなのよっ?」

 誑かされた覚えはない。向こうが時間を持て余し、こっちも暇だったから相手をしてやっているのだ。

 ――と言い張ったところで彼等は聞く耳持たないだろう。

「晴明にはわたくしたちがいます」

「そうだぜ。性悪狐がなんぼのもんよ! のこのこ来やがったら纏めて消し炭にしてやる」

「これこれ……」

 なんと血の気の多い式鬼神たちか。忠誠心があらぬ方向へ行っている。

 やれやれと漸く腰を上げた時、耳心地の良い声が自分を呼んだ――。



 *****



「来たか――晴明」

 我に返って振り向くと、昨日と同じ金色の瞳がこっちを見つめたまま距離を詰めてくる。

「思ったより遅かったな」

 まるで晴明が来ることを知っていたような台詞だが、昨日彼の前で仕事の予定を話していたことを思い出す。

 それで言えば彼がまた此処に現れたことの方が不思議だ。やることがあるとは言っていたが、まだ居るとは思わなかった。

 先程までのフラッシュバックしたかのような光景を一時忘れて、晴明は問う。

「……君もまだ此処に用事が?」

「いや、もう済んだ」

「こんなところで、一体何をしていたんですか?」

 傍まで来て立ち止まり視線を交わしたまま動かない優美な男に晴明はまた不思議な感覚に陥る。

 ――昨日今日の話ではなく、もっと前にどこかで見たような……。しかし思い出せない。

「そなたが来るのを待っていた」

 それは聞きたかった答えではないが、また疑問が湧いた。

「なぜ私を?」

「暇だったからな」

「……」

 問えば答えてくれるようだが、どうも一問一答が嚙み合わない。

 ――からかわれているのだろうか?

 そう思いもしたが、彼の瞳にはからかいの色などなく、笑みを浮かべながらも真剣な光を帯びていた。

 晴明はその視線から逃げるように一度目を伏せて考えを巡らす。

 ――暇を持て余していたからといって一度しか会っていない相手を待つだろうか。しかもこんな暗い地下で……。

「……暇……持て余す……」

 また意識が何処かに引きずり込まれそうになると、右頬にひんやりとしたモノが当てられた。

 ハッとして視線を上げると、それは目の前に立つ男の掌だと分かった。

「どうした? 少し顔色が悪いようだが……」

「……いえ……大丈夫です」

「……」

「……少し夢見が悪かっただけです。心配はいりませんよ」

「それはどんな夢だ?」

 言ってしまってからしまったと思った。

 無言で先を促す男の空気がどうも堪え難くつい口走ってしまった。

「はっきりとは覚えていないんです。だから大した内容ではなかったと思います」

 これは事実だ。覚えていないことを教えられるはずがない。

 労わるように滑らかな指先が目元を数回撫でる。

「ちょっと、いつまで触ってるのよ。晴明も、いつまで触らせてるつもりなの?」

 貴人が素早く男の手を払い除けると、晴明を後ろへ押しやった。

「晴明。ちゃっちゃと仕事片付けちゃって」

「……そうですね。少し離れます」

 貴人にそう告げて、昨日作った霊符を土壁に張り付けて回る。この場一帯を浄化し餓鬼が湧いて出た場所を調べ、念のため結界を施すためだ。

 晴明が仕事をこなしている間に、貴人は男を睨みつけながら声を殺して話し掛けた。

「あんた、何がしたいの?」

「はっ。何がだ?」

 嘲笑を浮かべる男はあしらうように質問を質問で返して来た。

 貴人はカッとなって一歩踏み込む。

「こっちが訊いてるんでしょ! 答えないつもり?」

うぬはおかしなことばかり言うな。何がしたい? それは俺の台詞だ」

「! ……なんですって?」

 僅かに身を引く貴人に今度は男が顔を寄せて囁いた。

「――やはり嫌な臭いがするな。昨日、汝は何処に居た?」

「っ‼」

 素早く身を翻した貴人に対し、男はニヤリと笑みを浮かべる。

 終始睨み合うふたりを仲裁するように下から白い蛇が割って入った。

 男の足元で頭を起こした騰蛇の身体は未だメラメラと燃えている。

「ふたりで内緒話は止せよ……晴明が勘違いするぞ」

 同時に晴明を振り返ったふたりに騰蛇は呆れた眼差しを向ける。

 貴人はまあいつもの事だが、まさかこの男まで――いや、彼もまた当然の反応なのかもしれない。

「あんたも変わらないな」

「それはお互い様だろう」

 霊符の設置を済ませた晴明は印を結んで術を発動する。それを遠目で見ながら男は淡々と返した。

「他の連中はどうした? 永遠の忠誠を誓っている割に薄情なことだな。まさかとは思うが……拒まれたのか?」

「……あんたには関係ないだろ。昔とは違う、今はオレたちふたりで十分だ」

「それはどうかな」

「? ……何が言いたい?」

「言いたいことなど山ほどあるが、まずは仲間の事をどうにかするのが先だろう」

 指摘され、騰蛇は丸い目をスッと細めて晴明に寄り添う貴人を見た。騰蛇もその異変に気付いている。それも随分前から……。

「それこそ、あんたには関係ないことだ」

「はっ。関係ない……?」

 人を食ったような笑いを含んだ声だったが、こっちを見下ろした男の目には怒気の色が孕んでいる。

 騰蛇はコクリと唾を飲み込んだ。

 自分の姿も蛇ではあるが、蛇に睨まれた蛙の気持ちが良く分かる。

「怒るなよ……。兎に角、あいつのことはこっちでどうにかする」

 暫く向けられていた刺すような視線が緩んだことで、騰蛇もひっそりと息を吐く。

「――それで、何があった?」

 もう男の視線は晴明に向けられている。切り替えが非常に早い。

 男が気にしているのは再会してから曖昧になっている晴明の今の状態だろう。

「夢見が悪かったのはオレも初耳だけど、昨日霊力を使い過ぎたせいで寝過ごしたんだ。体調は戻ってると思うけど多少まだ尾を引いてるんだろうな」

「ずっとそんな状態か?」

「昔と違って今は邪気が蔓延していること自体少ないんだ。瘴気ともなれば尚身体に害を及ぼす。でも最初の頃と比べると耐性も付いて来たから動きも軽くなった方だぞ」

 男は説明を聞きながらもそれ以降口を開かず、ただ晴明の動きを目で追っているだけだった。


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